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福森雅武展 -京都高島屋-




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本日より、私が大好きな土樂窯・福森雅武先生の個展が京都高島屋にて始まります(25日火曜日まで)。

先日、土樂窯にお邪魔して、野焼きの様子を拝見させていただきました。
とても原始的なこの焼成方法に、

「どうなるかはわからない、もしかしたら全部あかんかもしれん。非効率で無駄で、だぁれもしないような事やけど、やってると楽しいでしょう?それがいいんです」。

と、いつものごとく楽しそうな先生。
無心で薪を窯にくべてゆく道歩さん(福森先生のお嬢さん)の迫力を前に、黙り込んでしまっていた私。そんな私の隣にふといらして、「何でも一生懸命がいいんです」と先生。
私はこんなにも何かに一生懸命に打ち込んでいる時がはたしてあるだろうか……。

いつもいつも、私の胸にその時に一番響く事をさらっと仰います。その度に目から鱗な私です。
見ていないようで、とてもよく人の事を見ている方だな…と思います。見ているというより、感覚で、相対する人の事を感じ取られているのでしょうか。
様々な方達と交わり、修行をされてきた方のすごみというものをいつも感じさせていただいています。
“すごみ”と表現してしまうとなんだかとってつけたような、わざとらしさを感じられるかもしれませんが、先生はいつも自然です。こちらが「すごいなぁ…」と思う事全て、当たり前のごとく自然に仰り、なさるわけなのです。そういう“すごみ”なわけです。

生きた学びが楽しすぎて、先生のいらっしゃる所にはよくお邪魔していますが、先生はいつも誰に対しても「ありがとう」の言葉をたくさんかけられます。
今回も、お弟子さん達や手伝ってくれる人皆に、ありがとう、ありがとうと……。

「こんな事(野焼き)、一人でしようと思ったって出来る事じゃあありません。そうでしょ?手伝ってくれる人がいるからこそできるんや。ありがたいことやなぁ」。

そういえば、以前取材させていただいた時にも、

 「職人ていうのはね、今から思えばこういう人たちがいるから一つの物ができるっていうのがあるからね。よってたかって一つの物ができるっていうのはね、一人の作家の物よりも、ものすごく力が強い。一人の者がいくら名人として一つの物を作ったって大したことはないんだよ」。

と仰っていらしたのを思い出しました。

今回の展覧会はもちろん福森先生お一人の個展ではありますし、先生がいらっしゃらないと何も始まらないわけではありますが、その周りには、奥様や道歩さんや円さん(先生のお嬢さんで、土樂窯の近くで作陶をされています)、お弟子さんなど多くの支える方がいらっしゃり、その息吹も感じられる事と思います。
会場では、野焼きの様子も写真スライドショーで見られるようですよ!
そんな“ものづくり”の様子から、先生の作品から、皆様にも何か感じ取っていただければと思います。

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野焼きの仏様。火のまわり方は自然におまかせ。人間が操作できるものではありません。それぞれに、それぞれの色をまとって姿を現されます。
後日、火がおさまり、姿を現したお不動さんの真っ赤な色が今も目に鮮やかで忘れられません。

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by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)