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-平常心是道- えしん先生の禅語教室 その15




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-平常心是道(へいじょうしんこれどう)-

今回も馬祖道一禅師の語録から、一般的によく知られている語を採り上げてみました。馬祖の唱えた禅は、自分で「雑貨舗」と読んでいるほど、実に生活に密着した生き生きとしたものです。『馬祖の語録』(禅文化研究所刊・絶版)を読むと、後に臨済が出てきて言いそうなことは、もう既に馬祖が先取りしていると言っていいほどです。

「平常心是道」という禅語は、馬祖が弟子の問いに対して答えた語ではありません。馬祖がある日、廊下の辺りで、その場にいる門人たちに説いて聴かせた、いわゆる「示衆」の中に出てくる語として記録されています。その部分を訳すと次のようになります。

仏道というものは、わざわざ坐禅修行して手に入れるものではない。ただ汚染されなければいいのだ。では何を「汚染」と言うのかというと、生死ということが気になってわざわざ修行したり、何か生死を脱出したいというような目的を持ったりすること、それが汚染というものだ。もしズバリと仏道を手に入れたいと思うなら簡単、「平常心」つまり平常な心でいること、それが「仏道」なのだ。

では、「平常心」とはどういうものであるか。それは、わざわざ修行などしないこと。これは善いこと、これは悪いことなどという価値判断も要らぬ。取捨選択というような選り好みもしない。この世界にはいつまでも無くならないような永遠な実体があるとか、もともと何にも無いんだとかいうような固定観念を持たない。また、これは凡人の見方だとか、聖者の見方とかいうものを持たないことを言うのである。

まあ、この場に於ける馬祖の示衆はざっとこういう内容なのです。私たちは日常生活に於いても常に是非、善悪、美醜というように、物を二つに分けて相対的に価値判断します。実際、そういう分別が無いと、日常生活はできません。そして私たちは、そういう分別をすることによって、無用な神経をすり減らしつつ、生活しているわけです。

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by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)