トップページ » 2009年6月 4日

愚堂禅師の鐘銘 -愚堂禅師墨蹟撮影行にて-




浄満寺鐘楼

愚堂禅師の墨蹟の所在のほとんどは、開山されたお寺の多い岐阜や三重、あるいは京都を中心とした近畿圏なのであるが、大分県にも開山されたお寺があり何本もの墨蹟があるので、遠路を九州へと向かった。

今回わざわざ九州まで出向いた理由のもう一つが、福岡県うきは市に残る愚堂禅師の鐘銘の入った梵鐘を撮るためなのである。

太平洋戦争の時には、自坊の梵鐘もそうなのだが、多くの寺院の梵鐘は兵器のために金属供出にあってしまった。
実はこの鐘も、昭和17年秋に供出されんとして鐘楼から下ろされ、お別れの供養法要まで行なわれたという。
ところが下ろした梵鐘を確かめたところ、愚堂東寔禅師の銘が刻されていることが判明し、急遽、保存申請をしたところ、当時の九州大学教授の干潟竜祥教授の調査によって、保存の価値が認められ供出の難を免れたのだという。

愚堂禅師の鐘銘が残る梵鐘

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by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)