トップページ » 2009年6月 3日

-応無所住、而生其心- えしん先生の禅語教室 その7



三室戸寺のあじさい


-応無所住、而生其心 おうむしょじゅう にしょうごしん-

今回は、禅宗が大事にしている『金剛経』の中の、「応無所住而生其心」という一句について勉強しましょう。難しい漢字の行列ですが、「応(まさ)に住(じゅう)する所無くして、而(しか)も其の心を生ずべし」と読みくだします。

達磨はインドから『四巻楞伽経』を伝えたと言われるところから、初め禅宗は「楞伽(りょうが)宗」と呼ばれたのですが、六祖慧能(えのう)の時から、『楞伽経』に代わって『金剛経』が重視されるようになります。つまり中国禅宗は六祖のとき、インド以来の「坐禅中心主義」から脱皮して、中国独特の「智慧第一主義」としてインドの静寂主義から独立したのです。『金剛経』は文字通り、ダイアモンドのように固くて燦然と光る「般若の智慧」を説いた、般若経典群中の白眉であり、臨済宗では現在でもこれを日常的に読誦しています。

法事の席である和尚さんが、この御経文の意味を説かれますと、聴いていたお婆さんが、「いままで大麦小麦二升五合」と覚えて有り難がっていたのに、和尚さんの説明を聴いたらさっぱり有り難くなくなりましたと言われた話を、子供の頃に聞いたことがあります。お経というものは余りあれこれ詮索せず、一心に読誦するほうが看経の功徳があるという話なんですね。

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by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)