トップページ » 2008年9月25日

行雲流水 1

高岡の晩夏の雲と海
高岡の晩夏の雲と海


禅宗の修行僧のことを「雲水(うんすい)」という。
もとは「行雲流水(こううんりゅうすい)」ということで、ひとところに留まらず、自由なさまをいう。つまり雲水は、一所不住で、諸方におられる禅匠をたずねて行脚するものなのである。
実際、唐代や宋代の禅僧の伝記をみても、修行中にはそれはそれは途方もなく遠い距離を行き来して行脚されているし、日本でも白隠禅師でさえ、北は新潟から南は愛媛まで、諸方の禅匠に参じている。
ところが現在というと、多くの雲水は、ある一僧堂で一人の老師について修行するというのが、あたりまえのようになってしまっている。
よく、「禅の修行は厳しいですね」と言われる。もちろん厳しいが、師を求め諸国を行脚する本来の雲水としての修行はもっと厳しかったであろう。

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by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)