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狩野山雪・老梅図襖絵の複製  妙心寺・天祥院

妙心寺塔頭 天祥院

京都国際文化交流財団が行なっている「デジタルアーカイブ事業」。 簡単に言うと、京都の貴重な文化財である屏風や襖絵などの書画を、最新のIT技術により撮影されたデジタル画像から高性能のプリンターで和紙に印刷し、そこに京都の伝統工芸士が金箔を貼り込み、複製品を作成するというものである。 この3月に、キャノンの出資もうけて制作されるこれらの複製事業によりようやく完成した数点が、もともとあった所蔵寺院等に里帰りすることになった。

そのうちの二点、石庭で有名な龍安寺にあった、狩野永徳画の「琴棋書画図」襖絵と、妙心寺塔頭の天祥院にあった狩野山雪の描いた「老梅図」襖絵について、禅文化研究所は監修という立場で計画時から関わっていた。
この2点は明治期の廃仏毀釈の影響を受けて散逸してしまった逸品で、現在、「琴棋書画図」襖絵は米国シアトル美術館に、「老梅図」襖絵は米国メトロポリタン美術館に所蔵されている。

引き手をはめ込む職人

3月10日、この2点がそれぞれのお寺に納められることになったので、私も同行した。まずは妙心寺塔頭の天祥院。 天祥院の御住職である釋義雄師は、100歳を超えられて、なおもお元気な老僧であるが、襖が到着した時から、4面が予定していたところにはめ込まれるのを待ち遠しくも、にこにことご覧になっていた。 運び込まれた襖はそのままはめ込めるわけではない。職人の手によって、実際の鴨居と敷居に合うように寸法を調整が必要なのである。 古い和風建築にはよくあることだが、歪みが生じていてなかなかピタリとはまらないが、丁寧に調整されて約1時間後には、4面が無事はめこまれた。 そしてそれまでプリントされていただけの部分に本物の引き手がはめ込まれた。

複製された「老梅図」襖4面

特にこんな写真では、複製品であるかどうかは判断がつかないかとは思うが、実際にみてもかなり再現性が高い。傷みを修復された跡までが再現されてしまうのは仕方ない。 さて如何でしょう。こちらは、メトロポリタン美術館所蔵の実物のデジタル画像です。比べてご覧あれ。

ちなみにこの事業のことが、NHK解説委員室ブログにも記されている。
また、別途、龍安寺の狩野永徳画の「琴棋書画図」襖絵の際に記すが、このデジタルアーカイブ事業についてNHKが取材をしてきた。その番組が4月中旬のクローズアップ現代で放送される予定である。


【追記】09年4月27日
コメント欄に貴重な情報をお寄せいただきました常田様より、欄間のお写真をお届けいただきましたのでご紹介させていただきます。詳しくは下のコメント欄をご高覧下さい。

欄間
老梅絵襖の上の欄間(向かって右側)。
下の白い普段襖が「老梅襖」のあった場所。
欄間
老梅絵襖の欄間(向かって左側)。
by admin  at 07:30
コメント
  1. この老梅図の襖は明治41年頃建築された京都桃山の片岡直温邸(元大蔵大臣・日本生命創立者副社長)にあった襖で裏面は「群仙図」でした。
    明治41年頃片岡安氏(直温氏養子・建築家、元大阪商工会議所会頭)が設計建築時にこの襖絵に合わせて日本間座敷を設計したと聞いています。)
    (昭和18年発行の「桃山障壁画の鑑賞:土井次義著」に片岡安氏蔵と記載あります)
    昭和17年頃私の父が屋敷を襖絵と共に譲り受けました。当時、15畳の座敷に面して「群仙図」、10畳の座敷に面して「老梅図」になっていました。
    なお、この襖の上に同年代頃の両面菊花模様の欄間があり、襖と欄間が相俟って素晴らしい風格を醸し出していました。(これは現在も保存されている筈です。)・・・当時は普段は倉に収納しておき、特別の来客時に座敷に襖を入れたことを記憶しています。その写真が見つからないのが残念です。
     昭和32年頃父は搾取される様な形で襖は持ち出され、行方が分からなくなっていました。
    その後、襖絵が里帰りし、メトロポリタン美術館にあることを知り、見にいきました。
    一方、「群仙図」はミネアポリス美術館にあることもわかりました。
    この襖絵の不思議な運命に驚くばかりです。
     なお、メトロポリタン美術館の日本間の設計施工は京都の安井杢工・安井清副会長(当時)が施工され、旧常田(片岡)邸座敷は5年ほど前解体され材料は保存されていると聞いております。
     天祥院は建物も再築されたこともあってか、壁面が2部に分かれ、寸法も合っていないのが痛ましく感じられます。

    by 常田壽彦  2009年4月24日 09:43
  2. 常田壽彦さま
    とても貴重な情報をいただき、誠にありがとうございました。
    さっそく天祥院様にご連絡し、このブログにいただいたコメントを見ていただくように伝えました。
    実際のところ、この老梅図がどういう経緯でメトロポリタンにまで行ったかを、ほとんどご存じないようでしたので、喜んでおられました。
    また、妙心寺展を主催している妙心寺遠諱局の担当の方にもご連絡しておきました。
    天祥院は建物が再建されているため、この老梅図の複製は、もともとあった状態で納めることはできませんでしたので、現行の寸法に合わせたりしておりますが、100歳を超えられて依然お元気な先住職様は非常にお喜びになっておられました。

    by 禅文化研究所  2009年4月24日 10:27
  3. コメントありがとうございます。
    上のコメントとは違う者です。

    >当時は普段は倉に収納しておき、特別の来客時に座敷に襖を入れた

    良いですねぇ…。こういう時代があったのですよね。
    欄間のお話も興味深く拝読致しました。あの襖絵とお話下さった欄間を思い浮かべ、ため息が出ました。
    貴重な情報を色々とありがとうございました。
    今後とも宜しくお願い致します。

    by 禅文化研究所  2009年4月24日 10:34
  4. 欄間にもご関心をお持ちのようですが、欄間は普段ずーっとそのままですから、写真はあります。貼り付けて送ろうかと思いましたが、ブログでは貼り付け出来ないのが残念です。
    簡単に取り外し出来ませんでしたから、詐取されることはありませんでした。
     欄間の出所は何処かは分かりません。

    by 常田壽彦  2009年4月24日 14:48
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