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龍沢寺僧堂・死活庵老師の津送

梅のほころぶ龍沢寺

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静岡県三島市にある専門道場、円通山龍沢寺。あの白隠禅師が開山である名刹である。 この龍沢寺住職の死活庵・中川球童老師が、昨年末に遷化されたことは、このブログでも少し書いた。 20年以上前に、わたしはこの道場に掛錫していたので、2月14日の津送のお手伝いに呼ばれ、前日13日、三島駅に降り立った。 京都は雪が降っていたが、静岡は雲一つない快晴。あまりにも富士山がきれいに見えたので沢山写真も撮ったのだが、これは改めて書かせてもらう。

死活庵老師の真前

さて、さっそく梅の花のほころぶ龍沢寺に向かい、懐かしい顔ぶれと挨拶をかわし、老師の遷化をいたみあった。 じつは、私が新到参堂(入門)して一週間もたたないころ、当時、龍沢寺の閑栖老師だった中川宋淵老師が遷化され、その数年後に、私が参じていた鈴木宗忠老師も遷化された。そしてこのたびの中川球童老師の遷化で、ここ二十年あまりで三人もの老師を送ることとなり、ここで同じ釜の飯をたべた会下一同、悲しみに暮れている次第である。

向かって左から奠湯・秉炬・奠茶の三導師

津送の三導師は、奠湯導師が静岡臨済寺僧堂師家の無底窟・阿部浩三老師、奠茶導師は名古屋徳源寺僧堂師家の江松軒・嶺興嶽老師、秉炬導師は大本山妙心寺塔頭霊雲院住職の曇華室・則竹秀南老師で、また、100人を超える参列の諸尊宿の中には、大本山向嶽寺管長・瑞松軒老師をはじめ、京都円福寺僧堂・蒼龍窟老師、仙台瑞巌寺僧堂・起雲軒老師、ニューヨーク大菩薩禅堂・無位室老師などの大方もおられ、厳粛に執り行われた。

死活庵老師は、龍沢僧堂の師家となる前、中川宋淵老師の厳命でイスラエルやアメリカに渡って外国人へ布教された国際的な禅者である。あの9/11アメリカ同時多発テロの時に、偶然にもニューヨークにおられ、関係者一同肝を冷やしたらしいが、御無事であり、手持ちの帰国用チケットを帰国を急ぐ人に譲ったという話も聞いている。

死活庵老師の遷化を偲んで、次号の季刊『禅文化』208号でご縁のあるお三方からの追悼文が掲載される。

※ブログ掲載日~2009/2/9まで、正しくは「中川宋淵老師」を、誤って「中川宗淵老師」と表記しておりました。読者の方よりご連絡をいただき修正いたしました。申し訳ありませんでした。

by admin  at 07:30
コメント
  1. 中川球童老師のご遷化を悼み、ご冥福を深くお祈りいたします。縁者

    しばらく行っていないため全く知りませんでした。老師のあのハスキーなお声が耳によみがえってきます。

    by 匿名  2009年7月10日 09:04
  2. 匿名様
    コメントありがとうございます。
    接心に出られたことでもあったのでしょうか。
    今年12月19日には三回忌がございます。
    ご都合がつけばお参りください。

    by 禅文化研究所  2009年7月10日 09:30
  3. 時代の流れを感じる。古代人の五智で知性を磨き、心を観察する事で妄想を明らかにし、自身操作の妙を得る。しかし、元々古代人の知性。限界が在った。《無常感の中、自己の存在意義を明らかにする事は、宗教である。科学の研究者である私に、大悟は今は必要ない。》球童さんは臨済禅の限界を時代の流れの中に感じていたのだろう。私は、鈴木宗忠老師亡き後に眼藏会に通い、永平寺管長秦禅師に《お前の求める物は、仏教には存在しない。物理学を学びなさい。》と言われ、禅を物理学に変えたので球童さんの気持ちが痛い程理解出来る。無念の生涯だったのだろう。

    by 鈴木一文  2010年3月 2日 20:57
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