刊行物
禅文化研究所は、広く一般に、禅及び禅文化を普及する手段として、研究事業の成果を年間十数点、主に書籍として刊行しています。なかでも、年四回発行の季刊『禅文化』は、禅の思想と生活、及び文化・美術などに興味を持たれている読者のための教養誌として刊行を続けています。
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版画額
白隠禅師「お多福女郎粉引歌」「お婆々どの粉引歌」
山丸女桑椽・アクリル付/新緞子地仕立/原文読み・解説書付 -
「句双子」とは、一般に謂う所の「禅林句集」のことである。「葛藤」とは、言葉の意。本書も、外題は「句双葛藤鈔」と言うが、内題は、「宗門葛藤集」と言う。いずれにしても、宗門で用いる禅語を集めたものという意味である。
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建仁寺218世・南禅寺231世に昇った天隠龍沢が、唐・宋・元の諸名家の絶句328首を門類に編纂したもの。康正2年(1456)以来、10数回板刻出版され、多くの作詩者に愛好された。 -
大慧が古人の行履を拈挙し、法嗣の道謙が編録したもの。 -
五山文学の巨匠、義堂周信により編集された詩偈集。撰録詩偈3000首、作者336人は詩偈作成の指南書として永く重んじられるものである。 -
宗門の根本語録「臨済録」を、学匠無著道忠が校訂し、享保12年に刊行したもの。この校訂本は、漢字にフリガナや濁点を振り、また正確な返り点、送り仮名が付されており、伝統的読みの基準となるべきものである。
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白隠禅師の弟子、30数名の言行を記録した資料から、よりすぐりの逸話を集めました。 -
二十世紀を代表する高僧、釈宗演禅師の未曾有の生涯を、未公開の手記や日記、豊富な資料でたどる。 -
白隠禅師75歳の時に書かれた書物。実話を元に、法華経の功徳を民衆に説くために、物語としてまとめたものや、死んで地獄に堕ちた者が生還して娑婆に戻り、地獄のありさまをつぶさに語り継げる、という蘇生譚などを収録。
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○策進幼稚物語=江戸の居士の求めに応じて書いた、少年時代から24歳までの自伝。もとは初関を透過した120数名の名簿があったが、何らかの理由で削除された。
○高山勇吉物語=飛騨高山の少年勇吉に、高山神社の神がのりうつって説教をするという物語。勇吉は時には白隠になりかわって説法もする。奇談めいた内容のため、当時から批判する者もあったが、近年発見の新資料によって実話であったことが証明される。 -
禅無くして茶の道は無し。利休居士も、茶の湯は、第一仏法を以て修行得道する事なり。と言われたように、茶を学ぶものは、その根本にある精神を知ろうとすべきである。また、茶の道を学ぶうちに、おのずと禅を知ろうという気になるものだ。そんな方の為にこの一冊をお薦めしたい。 -
入矢義高教授を中心とする語録研究班が会読・研究した『玄沙広録』の初の全訳注。その語録は鋭い批判精神の言葉と、自己変革の軌跡を精細に書き留めている。上中下全巻通しての語彙索引付。 -
白隠禅師が自らの生涯を語る。生い立ちから晩年までの自伝で、青年時代の行脚については『年譜』以上に詳細に記される。伝記研究上の最重要資料。
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巻之上……中御門天皇の皇女である宝鏡寺・光照院の二門跡に宛てた手紙で、門跡寺院の奢侈な日常生活を戒め、「道中の工夫」を説く。
巻之下……大洲藩家老、加藤内蔵之輔成章に宛てた手紙。「死字の工夫」「隻手公案」を勧め、四智と宝鏡三昧を説く。巻末ではニセ老師がニセの後継者を作り出す現状を具体的にあげて批判する。 -
日本史の舞台における、禅僧の役割は何であったのか。優れた主役であったり、徹底した脇役であったりもする。禅僧と、朝廷や幕府、時の権力者との交渉を探りながら、日本史の視点から禅宗史をとらえた一書。多数の写真を掲載し、歴史読み物的に禅宗史を学ぶ。 -
禅宗寺院で日常的に読誦される「大悲呪」。その「大悲呪」とは、どのようなお経なのか? なぜ、唱えるのか? そのご利益とは?「大悲呪」が載る『千手経』を読みながら、「大悲呪」のさまざまな疑問に答える、禅宗僧侶、必携の一書。 -
「邊鄙以知吾」……岡山藩主池田継政に宛てた仁政を勧める書。大名の奢侈な生活が一揆を引き起こすとし、さらには、参勤交替の行列などはなはだ無駄であると激しく批判。そのために絶版禁書に処せられた。
「壁訴訟」……三島代官伊奈半左衛門の善政をたたえ、宿場役人に代ってその留任を願う内容。各地に起こっている一揆に触れ、蜂起せざるを得ない百姓に同情を示す。
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