2012年秋 「東嶺圓慈 禅画と墨蹟」展ならびに禅文化研究所曝涼展
日付 | 2012/10/1 |
---|---|
場所 | 花園大学歴史博物館(無聖館4F) |
詳細 | ![]() 「白隠あっての東嶺」か、「東嶺あっての白隠」か。 白隠慧鶴(1685~1768)門下のひとり東嶺圓慈(1721~92)の功績を、後世の人々はこのように讃えます。東嶺は白隠禅を禅林のみならず民衆世界にも広め、昨年秋の企画展で展観した遂翁元盧(1717~89)とともに「白隠二大神足」とならび称されています。 しかし、二師が白隠より受け継いだものは法灯だけにとどまりません。それは、白隠に倣った禅画と墨蹟であり、数多くの作品を遺しています。とりわけ東嶺の独創的な遺墨は、みるものに強烈なインパクトを与え、現代の人々までも魅了しています。白隠から受け継がれた東嶺の禅画と墨蹟は、白隠のそれを継承しつつも、白隠作品に増して大胆な筆遣いがみられます。「微細東嶺」と称される禅風とは相反する豪放さがその魅力です。 本展では、東嶺ゆかりの寺院に蔵されている遺墨を2期にわけてご紹介します。第1期では東嶺の創建道場である龍澤寺の所蔵作品を、第2期には齢仙寺をはじめとする故郷近江の寺院につたわる遺墨を展観します。東嶺の作品を通して、師の足跡を辿るとともに、師の遺した禅画と墨蹟の魅力に迫ります。 また、禅文化研究所曝涼展では、雲居希膺・愚堂東寔・大愚宗築という江戸前期三大禅匠の墨跡、ならびにその三禅僧と関係のある禅僧の墨跡もあわせて展観します。 開催内容
東嶺圓慈像 自賛 水谷憬南筆 龍澤寺
第1期〔10月1日(月)~11月6日(火)〕:龍澤寺所蔵作品
近江小幡駅出町(現・滋賀県東近江市五個荘中町)の薬肆を営む中村家に生まれた。9歳にして、同国能登川大徳寺の亮山恵林のもとで出家。このときより「慧端」と名乗り、のちに「道果」と改めた。17歳のとき、日向(宮崎県)大光寺の古月禅材とその法嗣の翠巌従真に師事。その帰郷の途次、丹波(京都府)法常寺の大道文可に参じた。23歳、駿河(静岡県)松蔭寺において白隠に相見し、29歳にて白隠より印可を受ける。35歳、妙心寺に登り、微笑塔下に分座し、初めて「東嶺」と号す。伊豆(静岡県)龍澤寺を造営するほか、今はなき駿河無量寺と江戸至道庵を復興するとともに、尾張(愛知県)犬山瑞泉寺の輝東庵を中興した。東嶺は神道と儒教にも造詣が深かく、神儒仏三教一致を唱え、自らを「三光崛」と称した。寛政4年(1792)閏2月19日、72歳、郷里の齢仙寺にて示寂。諡号は仏護神照禅師。著書に『宗門無尽灯論』など多数。 詳しいパンフレットは、こちら(PDF)。 |