公益財団法人 禅文化研究所

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調査研究

唐代語録研究班のご案内

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財団法人禅文化研究所は、1964年の設立以来40周年を迎えますが、このたび、設立と同時に発足しました「唐代語録研究班」を、体制を新たに再出発させるにあたり、広く班員を募ることにいたし、ここに、研究班の紹介を兼ね、参加のご案内を申し上げる次第です。
 
当研究所が1964年(昭和39年)に臨済宗の各派と金閣寺・龍安寺・西芳寺(苔寺)・銀閣寺の協力のもとに開設されるに際し、故鈴木大拙博士は研究所に対して特にメッセージを寄せ、禅の語録の解読、その言語と禅思想の研究に期待をかけられました(季刊『禅文化』第31・32号、『鈴木大拙全集』〔増補新版〕第34巻所収)。
その研究活動の柱たる「唐代語録研究班」の中心的役割を荷ってきたのは故入矢義高先生(1910-1998)と柳田聖山先生でした。入矢先生は若いころ『臨済録』(旧版岩波文庫)を読んで、臨済義玄禅師の「爆発するような主体精神の発露」に強い感銘を受けると同時に、伝統的な理解にもとづく従来の読みかたの誤りに気づき、戦後京都大学人文科学研究所で禅の語録の読書会を開いて、当時岩波文庫に収められていた『伝心法要』『禅源諸詮集都序』をはじめ、注目され始めていた敦煌発見の禅文献を会読したのでした。
当研究班の萌芽はここに胚胎します。柳田先生もその読書会の一員として、以後この二人が協力しつつ、日本の禅文献の研究をきり拓いてゆくことになります。その活動の場は、のち故佐々木ルース女史が1955年大徳寺龍泉庵に組織した米国第一禅協会日本研究所へ、さらに1964年からは禅文化研究所へと移り、今日に至っています。
 
この間に会読テクストに採りあげられたのは、多種にわたる敦煌禅籍をはじめとして、『洞山録』『曹山録』『大梅語録』『十牛図』『古尊宿語要』『祖堂集』『真字正法眼蔵三百則』その他があり、なかでも『祖堂集』は前後11年にわたって続けられました。
定例研究会は班長柳田先生、講師入矢先生を中心として、班員も禅学・中国思想・中国文学語学・仏教インド学研究者等の多彩な参加者を得、広く注目を集めて、欧米からもフィリップ・ヤンポルスキー、バートン・ワトソン、ジョン・マックレー、ベルナール・フォール、ゲーリー・シュナイダー氏等の訪問参加がありました。その成果は「禅の語録」(18巻、筑摩書房)『The Records of Lin-chi』『絶観論』『馬祖の語録』『玄沙広録』(3巻)『景徳伝灯録』(刊行中、当研究所)に結実しています。このように、入矢・柳田両先生を中心とした50年にわたる共同研究は20世紀後半の世界の禅学研究をリードしてきましたが、1998年入矢先生が逝去、2002年柳田先生が本研究班を退かれこととなりました。
 
そこで2003年5月からは、あらためて禅の語録に関心をもつかたがたにも広く参加をよびかけ、半世紀続いてきた伝統を受けつぎ、いっそう活気ある研究班をめざして継続してゆくこととなりました。
周知のように禅の語録は、ひとりで読むにはなかなか難しく、読解に必要な資料を共有し衆知をあつめて吟味して、はじめて深い理解が得られるものとおもわれます。日本における禅研究もじじつそのようにしておこなわれてきました。また対話することによって叡智を燦めかせた禅者たちの記録は、いまも知識を交流し協力しあう形式で読まれるのが、もっともふさわしいとおもわれます。参加者の経歴も経験も問わぬ開かれた研究班でありつづけることは、禅の語録という研究対象におのずと副うものでもありましょう。
新たに再出発する研究班を下記の要領で開催するにあたり、広く参加をよびかける次第です。

1 研究会名 唐代語録研究班定例研究会
2 日    時 2003年5月26日(月)より p.m.2:00~5:00
これ以降の開催日時につきましては、原則として隔週の月曜日ですが、変更もありますので、「禅文化研究所の予定」をクリックしてご覧ください)
3 会読文献 宋・大慧編『正法眼蔵』巻下(唐宋の禅者の対話を集録したもの。参加者にはテクスト[宋版のコピー]を用意しています)
4 場    所 禅文化研究所会議室