半分、青い。

 

blog_MG_8614.jpgNHKの朝の連ドラ「半分、青い。」が終わりましたね(実はこれを書いているのは最終週のクライマックスをむかえるあたりで最終話を観ていませんが)。
どの連ドラも観てきたわけではないのですが、なんとなく今回はビデオに撮って夜観ることにしていました。登場人物のりつ君ファンや、すずめファンも多いでしょう。マー君が……という方もおられるかもしれませんね。
私はどちらかというと、タイトルにひかれてという感じです。

半分青い。ドラマ全体を通してのテーマなんでしょうね。誰もが成功したり失敗したりを繰り返しの人生。自分の生涯と当てはめながら観ていた方も少なくないのではないでしょうか。

禅語に出てきそうだなと思ったので、データベースで「半青」を検索してみたところ、出てきました、出てきました。

『虚堂録』なんかにも出てきます「半青半黄」をはじめ、「半青半白」「半青半赤」という風に……。いずれも半分は青く、半分は黄色だったり、白かったり、赤かったり、いろんな色の対照として使われていますね。「半青半黄」は『禅学大辞典』(大修館)にもでていまして、「十分に熟しないこと。未熟」とあります。出典は『碧巌録』をひいてあります。『無文全集』第三巻(碧巌録Ⅲ)から引用してみましょう。

第七十二則「百丈問雲巌―百丈、雲巌に問う―」
本則は、

挙す。百丈、又た雲巌に問う、咽喉脣吻を併却して、作麼生か道わん〔蝦䗫窟裏より出で来たる。什麼とか道わん〕。巌云く、和尚有りや也た未だしや〔皮に粘じ骨に著く。拖泥帯水。前に村に搆らず、後に店に迭らず〕。丈云く、我が児孫を喪せん〔灼然として此の答え得て半前落後なる有り〕。

というものですが、そのあとの評唱に、

雲巌、百丈に在って、二十年侍者と作る。後、道吾と同じく薬山に至る。山問うて云く、子、百丈の会下に在って、箇の什麼の事をか為す。巌云く、生死を透脱す。山云く、還って透脱するや也た未だしや。巌云く、渠れに生死無し。山云く、二十年百丈に在って、習気も未だ除かず。巌、辞し去って南泉に見ゆ。後、復た薬山に帰って、方に契悟す。看よ他の古人、二十年参究するに、猶お自ら半青半黄、皮に粘じ骨に著きて、穎脱すること能わず。是は則ち也た是。只だ是れ前に村に搆らず、後に店に迭らず。

とあり、ここに「半青半黄」の言葉が見えますね。無文老師の提唱によると、

「二十年百丈に在って、習気も未だ除かず――何だ、百丈のところに二十年もおってからに、まだ悟り臭いものが取れんのじゃナ。そんなザマで何になるか」
と叱られた。雲巌、また迷いに迷って、南泉和尚のところに出掛け、その後に再び薬山に戻って来て、今度は本当の悟りを開いたということである。なかなか、苦労をしておられるのである。大器晩成である。百丈のところに二十年もおっても、半青半黄、柿の熟さんのと同じだ。皮からも離れられなければ、骨からも離れられず、頭から離れられず、カラーッとした境界にはなれなかったのである。まんざら修行ができていなかったとは言わんが、前に村に搆らず、後に店に迭らず、中途半端な修行であったと言うべきであろう。

まさしく、20年も百丈禅師のところにいるのに、おまえは未熟であると喝破されていますね。禅僧たるもの、しっかり修行して、青いも黄色いも、そんな色などどうでもいいほどの熟した境界にならねばいけないのでしょうが、私のような凡夫には「半分青い」が丁度いいのでしょう。

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釈宗演の逸話 その2

 

blog_2018-09-15-10.27.jpg釈宗演の逸話、もう少しご紹介します。

「予言者の訪問」

 みずからをメシア仏陀と称し、釈迦よりもキリストよりも偉大な予言者だと吹聴し、自己礼拝を宗義とし、いたるところに押しかけて寄付を乞うては宣伝に努めていた変わり者がいた。
 ある時、この変人が東慶寺に宗演を訪れて盛んに老師を相手に一席ぶった。
「貴僧は有力な後継者がいるからまことに結構だ。自分は十五年間というもの、日夜に悪戦苦闘して道の宣伝に努力しているが、いまだ世に容れられず、その日の生活にさえ窮するありさまである。願わくば、この予言者のために、有力者に紹介の労を取っていただきたい」
 これを聞いた宗演は、座を正して、
「予言者をもって任ずる者が、人に紹介を頼むようでどうするか。紹介とは俗事のための手段だ。紹介状は書けん。また、おまえさんは十五年間、伝道に従事して来たといわれるが、いやしくも新しい宗教を伝えようとするならば、十五年はおろか、三十年、四十年の短日月ではとても効果を収めることはできん。予言者に似つかわしくないではないか」
と説いたが、この男の目的が多少の喜捨にあることを見抜いた宗演は、
「そこに供えてある布施は、最近もらったものだ。中味は百円か、千円か、それとも二円か三円か分からんが、ともかくそれを全部やろう」
と仏前からお布施を下げて来て、封をしたまま与えた。さすがの予言者も、一言もなくそのまま辞し去った。

 


 

さすがに宗演老師、ですね。

さて、自坊のことで恐縮ですが、自坊の本堂に掛っている寺号額(上の写真)は釈宗演老師のご揮毫によるものです。自坊は妙心寺派ではありますが、おそらく、世代住職の誰かが釈宗演老師のおられる円覚僧堂に掛搭したのであろうと思っていました。

もちろん明治期に参じたことは間違いのないことですから、察するに、私から3代前の住職であろうと思われます。私の師匠が言うには、自坊の土蔵の中に、その3代前の住職の名前が記してある英和辞典やキリスト教の聖書などがあるというのです。明治時代の田舎寺の禅寺住職がなぜこんなものを持っていたのか不思議だと……。

そうすると、ふと線が繋がりました。アメリカを始め海外巡錫をした釈宗演老師に参じていたなら、そういったものを手にすることになる機会があったに違いないと。

円覚僧堂の在錫名簿に自坊の3代前の住職の名前が残っているか調べていただかなくてはと思っているところです。ひょっとすると京都に来られた時にでも、自坊を訪ねてこられたこともあったかもしれません。

ここまで書いた後に、仕事の関係で釈宗演老師の語録『楞伽漫録』を紐解いて走り読みしておりましたら、大正四年と大正七年に、自坊の近くのお寺に巡錫されたときに作られた偈頌を合計4作見つけました。さて、この時でしょうか。

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釈宗演の逸話 その1

 

250_tobira_syaku.jpg来たる2018年10月8日から、花園大学歴史博物館にて「100年遠諱記念 明治の禅僧 釈宗演」展を開催する事を先般のブログで書かせていただきました。

いうまでもなく釈宗演老師は明治期を代表する禅僧ですが、逸話も残っています。ここでは弊所発行の『禅門逸話選』(絶版品切れ)よりいくつかご紹介いたします。

 


 

「菓子を褒美に小僧となる」

 宗演は若狭大飯郡高浜村に生まれた。由来、若狭は名僧知識が多く出るところで、臨済の碩徳である大拙、儀山、越渓などもここの出であった。ことに越渓は宗演の生家一瀬家に縁のある人であった。
 そんな縁から、十二歳の時、妙心寺の越渓和尚のもとで得度したのであった。得度するについては一つの逸話がある。
 あるとき、越渓和尚が宗演を含む子供たちを前にしていった。
「おれの小僧になる者は、ご褒美にこの菓子をやろう」
 子供たちは誰も「ウン」とはいわなかったが、ひとり宗演だけは喜んでその菓子をもらい、ついに越渓の弟子となったのである。

「寝ころんだ小僧に一礼した師匠」

 宗演十六歳の時、建仁寺山内両足院の峻崖和尚について学んでいた。旦夕の托鉢、作務、米踏み、掃除洗濯という小僧生活である。
 ある日、師匠の峻崖和尚が外出していた折、宗演は本堂の縁側に寝ころんでいたが、やがてそのまま眠ってしまった。そのうちに、師匠の峻崖和尚が帰って来た。和尚は、宗演が寝ころんでいるのをまたがずに、足のほうに回ると、おもむろに宗演に向かって一礼して行った。
 夢うつつのうちにこれを知った宗演は、深く師の態度に感じたのだった。のち宗演はこのことを回想し、つねにいった。
「いやしくも法門に身をゆだねる者は、万事にこのような謙譲慈悲の心がなければならん」

「禅は凡夫の修行じゃ」

 宗演は古い型の禅僧を超越していた。米国や欧州にも巡錫しただけあって、提唱にもナポレオン、ワシントンなどがポンポン出てくるほど現代的な禅僧であった。
 そんな和尚であるから鯛でも洋食でも平気で口にしたが、それでいて生臭いところが少しもなかった。そしていうことがまたふるっていた。
「ピチピチした新鮮な鯛を食って、美人の舞を見、三味線を聴いた上に、名香か何か鼻のご馳走にでもなるともっとよい。畢竟、禅は凡夫の修行である」

「並の坊主とは違うわい」

 京都の大津獲堂居士の家に、宗演が宿泊した折、たまたま禅僧嫌いで皮肉屋の某博士が来合わせた。なかなかの好取り組みゆえ、一座の者はどんな場面が出現するかと、固唾の飲んでいた。すると宗演は、
「わしが宗演です」
と初対面の挨拶をして、じっと博士の顔を見た。例の射るような眼光は炯々として実にすごいものであった。結局、老博士が日ごろ得意の皮肉も諧謔も出なかった。宗演が帰ったあと、博士いわく、
「並の坊主とは違うわい」

 

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一度きりの人生

 

blog_MG_0974mono.jpg私も高校生の頃から一眼レフを持って写真に興味を持ち、それから40年になるでしょうか、何度もマイブームが来たり去ったりしつつも、ここ数年、また撮影意欲があり写真を撮ることに興味を引かれています。
いいのが撮れるとInstagramにアップしたりするのですが、Instagramのハッシュタグに「#写真好きな人と繋がりたい」というのがあったりして、そのタグを辿ると、皆さんが自慢の写真を沢山アップされていて、ここに交じるのはなかなか勇気が要るなと思うほどです。

ところで、西本喜美子さんという方をご存知ですか?

最近、NHKの番組でも採り上げられていた、そう、自虐的ともいえるユニークな自撮り写真で有名なお婆ちゃんです。ご覧になった方もおありでしょう。

Googleの画像検索で探してみると、こんなのが表示されます。これ、人に撮って貰っているわけではなく、自分でカメラをセットして自らがモデルになって構図を考えて撮られているのです。そして、西本さんは90歳にもかかわらず、Twitter、Facebook、Instagramを駆使し、ご自身のブログもあります。ブログの名前は「西本喜美子の創作生活」。

私の創作活動の記録です(1928.5月生、90歳)。72才で初めてカメラをさわり74才で初めてMacをさわり、試行錯誤しながらも素敵な写真仲間達と共に、人生を100倍楽しんでいます。

と書いてあります。驚くと共に素晴らしいですよね。ブログ自体はしばらく更新されていない模様で、今は主に、Instagramにアップされているようですね。

息子さんは名の通ったアーティストなのですが、彼が故郷の熊本ではじめた写真塾に母親である喜美子さんが通い出したのがきっかけだとか。それも72歳でですよ。パソコンまでやり出して、今や、ものすごいフォロワーがついているわけです。

田舎のお寺で生活していると多くのお年寄りと関わることが少なくありません。中には奥さんやご主人に先立たれて凹んでしまう人たちの多いこと。でも、中には歳を取ってもキラキラとしている方もおられます。

ある程度歳を取ってからでもはじめられることもありますね。一度きりの人生、他人にわからないことでもいいですから、なにか見つけて楽しんで生きようではありませんか。

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サンガセミナー2018 3-1「禅の建築講座 -黄檗山萬福寺の伽藍-」終了

 

blog_2018-09-10-09.15.jpgもう先週の月曜日(2018/9/10)のことで申し訳ありませんが、本年度のサンガセミナー 3-1「禅の建築講座-黄檗山萬福寺の伽藍-」を無事終了しました。

今回の講座は、黄檗山萬福寺を会場に、講師の佐々木日嘉里先生による午前中の座学、その後、萬福寺の普茶料理をご賞味頂いたあと、午後は萬福寺山内の建造物を、佐々木先生の解説を交えながら見学してまわるというものです。

先般の強烈な台風21号がさったばかりなのに、また大雨が続き、山陰方面は鉄道網が運休している日。残念ながらその影響で参加を見送られた方もおられましたが、雨の中、約30名もの方が受講されました。

冒頭に、会場である黄檗宗萬福寺の宗務総長・盛井幸道師からお忙しいところをわざわざご挨拶をいただきました。

blog2018-09-10-10.08.jpgつづいて、さっそく佐々木日嘉里先生の講座。写真の沢山入ったレジュメをお配りし、それに沿って、まず日本の寺院建築の歴史概略を解説いただき、途中からこの萬福寺の中国様式がおおく取り入れられた伽藍の説明へと進んでいきました。

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約2時間の座学を聞いたあとは、いよいよ、受講者の皆さんがお楽しみにされていた普茶料理。

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仏旗にある五色が使われているとお聞きしたとおり、カラフルな精進料理がつぎつぎと出てきます。美味しく頂戴しました。

その後は、午後の実地見学です。現在、境内の伽藍堂と鐘楼が解体修理の最中ということで、佐々木先生がその様子を見られたらいいのにというご希望がかない、特別に工事現場に立ち入らせて頂き、解体されて露わになっている建物の柱組を観ることができたのです。
京都府の文化財保護課がこの工事を行なっておられるということで、担当者の方より詳しい説明をいただき、予想外の勉強までさせていただくことになりました。内部の撮影はしてもいいが公開禁止ということですので、残念ながらここではご覧頂けませんが、午前中に先生からお聞きした柱の部材などを目の前で観ることができ、とてもラッキーでした。

そののち、境内の伽藍を一つ一つ見ながら、午前中にお聞きした内容を復讐するように見て回ることができたのでした。

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足元の悪いなかではありましたが、丁寧で詳しい説明と実地見学、そして精進料理に皆さんご満足をいただけたように感じました。

精進料理付きの講座、できれば今後も取り入れていきたいと思いました。

さて、次回のサンガセミナーは、2018年10月13日(土)、京都東山は高台寺での「地獄絵図(熊野観心十界図)お絵解き講座」(西山克先生[関西学院大学教授])です。まだ少し余裕がありますので、今からでもお申し込み可能です。お待ちしております。

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