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釈宗演の逸話 その2

 

blog_2018-09-15-10.27.jpg釈宗演の逸話、もう少しご紹介します。

「予言者の訪問」

 みずからをメシア仏陀と称し、釈迦よりもキリストよりも偉大な予言者だと吹聴し、自己礼拝を宗義とし、いたるところに押しかけて寄付を乞うては宣伝に努めていた変わり者がいた。
 ある時、この変人が東慶寺に宗演を訪れて盛んに老師を相手に一席ぶった。
「貴僧は有力な後継者がいるからまことに結構だ。自分は十五年間というもの、日夜に悪戦苦闘して道の宣伝に努力しているが、いまだ世に容れられず、その日の生活にさえ窮するありさまである。願わくば、この予言者のために、有力者に紹介の労を取っていただきたい」
 これを聞いた宗演は、座を正して、
「予言者をもって任ずる者が、人に紹介を頼むようでどうするか。紹介とは俗事のための手段だ。紹介状は書けん。また、おまえさんは十五年間、伝道に従事して来たといわれるが、いやしくも新しい宗教を伝えようとするならば、十五年はおろか、三十年、四十年の短日月ではとても効果を収めることはできん。予言者に似つかわしくないではないか」
と説いたが、この男の目的が多少の喜捨にあることを見抜いた宗演は、
「そこに供えてある布施は、最近もらったものだ。中味は百円か、千円か、それとも二円か三円か分からんが、ともかくそれを全部やろう」
と仏前からお布施を下げて来て、封をしたまま与えた。さすがの予言者も、一言もなくそのまま辞し去った。

 


 

さすがに宗演老師、ですね。

さて、自坊のことで恐縮ですが、自坊の本堂に掛っている寺号額(上の写真)は釈宗演老師のご揮毫によるものです。自坊は妙心寺派ではありますが、おそらく、世代住職の誰かが釈宗演老師のおられる円覚僧堂に掛搭したのであろうと思っていました。

もちろん明治期に参じたことは間違いのないことですから、察するに、私から3代前の住職であろうと思われます。私の師匠が言うには、自坊の土蔵の中に、その3代前の住職の名前が記してある英和辞典やキリスト教の聖書などがあるというのです。明治時代の田舎寺の禅寺住職がなぜこんなものを持っていたのか不思議だと……。

そうすると、ふと線が繋がりました。アメリカを始め海外巡錫をした釈宗演老師に参じていたなら、そういったものを手にすることになる機会があったに違いないと。

円覚僧堂の在錫名簿に自坊の3代前の住職の名前が残っているか調べていただかなくてはと思っているところです。ひょっとすると京都に来られた時にでも、自坊を訪ねてこられたこともあったかもしれません。

ここまで書いた後に、仕事の関係で釈宗演老師の語録『楞伽漫録』を紐解いて走り読みしておりましたら、大正四年と大正七年に、自坊の近くのお寺に巡錫されたときに作られた偈頌を合計4作見つけました。さて、この時でしょうか。

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釈宗演の逸話 その1

 

250_tobira_syaku.jpg来たる2018年10月8日から、花園大学歴史博物館にて「100年遠諱記念 明治の禅僧 釈宗演」展を開催する事を先般のブログで書かせていただきました。

いうまでもなく釈宗演老師は明治期を代表する禅僧ですが、逸話も残っています。ここでは弊所発行の『禅門逸話選』(絶版品切れ)よりいくつかご紹介いたします。

 


 

「菓子を褒美に小僧となる」

 宗演は若狭大飯郡高浜村に生まれた。由来、若狭は名僧知識が多く出るところで、臨済の碩徳である大拙、儀山、越渓などもここの出であった。ことに越渓は宗演の生家一瀬家に縁のある人であった。
 そんな縁から、十二歳の時、妙心寺の越渓和尚のもとで得度したのであった。得度するについては一つの逸話がある。
 あるとき、越渓和尚が宗演を含む子供たちを前にしていった。
「おれの小僧になる者は、ご褒美にこの菓子をやろう」
 子供たちは誰も「ウン」とはいわなかったが、ひとり宗演だけは喜んでその菓子をもらい、ついに越渓の弟子となったのである。

「寝ころんだ小僧に一礼した師匠」

 宗演十六歳の時、建仁寺山内両足院の峻崖和尚について学んでいた。旦夕の托鉢、作務、米踏み、掃除洗濯という小僧生活である。
 ある日、師匠の峻崖和尚が外出していた折、宗演は本堂の縁側に寝ころんでいたが、やがてそのまま眠ってしまった。そのうちに、師匠の峻崖和尚が帰って来た。和尚は、宗演が寝ころんでいるのをまたがずに、足のほうに回ると、おもむろに宗演に向かって一礼して行った。
 夢うつつのうちにこれを知った宗演は、深く師の態度に感じたのだった。のち宗演はこのことを回想し、つねにいった。
「いやしくも法門に身をゆだねる者は、万事にこのような謙譲慈悲の心がなければならん」

「禅は凡夫の修行じゃ」

 宗演は古い型の禅僧を超越していた。米国や欧州にも巡錫しただけあって、提唱にもナポレオン、ワシントンなどがポンポン出てくるほど現代的な禅僧であった。
 そんな和尚であるから鯛でも洋食でも平気で口にしたが、それでいて生臭いところが少しもなかった。そしていうことがまたふるっていた。
「ピチピチした新鮮な鯛を食って、美人の舞を見、三味線を聴いた上に、名香か何か鼻のご馳走にでもなるともっとよい。畢竟、禅は凡夫の修行である」

「並の坊主とは違うわい」

 京都の大津獲堂居士の家に、宗演が宿泊した折、たまたま禅僧嫌いで皮肉屋の某博士が来合わせた。なかなかの好取り組みゆえ、一座の者はどんな場面が出現するかと、固唾の飲んでいた。すると宗演は、
「わしが宗演です」
と初対面の挨拶をして、じっと博士の顔を見た。例の射るような眼光は炯々として実にすごいものであった。結局、老博士が日ごろ得意の皮肉も諧謔も出なかった。宗演が帰ったあと、博士いわく、
「並の坊主とは違うわい」

 

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一度きりの人生

 

blog_MG_0974mono.jpg私も高校生の頃から一眼レフを持って写真に興味を持ち、それから40年になるでしょうか、何度もマイブームが来たり去ったりしつつも、ここ数年、また撮影意欲があり写真を撮ることに興味を引かれています。
いいのが撮れるとInstagramにアップしたりするのですが、Instagramのハッシュタグに「#写真好きな人と繋がりたい」というのがあったりして、そのタグを辿ると、皆さんが自慢の写真を沢山アップされていて、ここに交じるのはなかなか勇気が要るなと思うほどです。

ところで、西本喜美子さんという方をご存知ですか?

最近、NHKの番組でも採り上げられていた、そう、自虐的ともいえるユニークな自撮り写真で有名なお婆ちゃんです。ご覧になった方もおありでしょう。

Googleの画像検索で探してみると、こんなのが表示されます。これ、人に撮って貰っているわけではなく、自分でカメラをセットして自らがモデルになって構図を考えて撮られているのです。そして、西本さんは90歳にもかかわらず、Twitter、Facebook、Instagramを駆使し、ご自身のブログもあります。ブログの名前は「西本喜美子の創作生活」。

私の創作活動の記録です(1928.5月生、90歳)。72才で初めてカメラをさわり74才で初めてMacをさわり、試行錯誤しながらも素敵な写真仲間達と共に、人生を100倍楽しんでいます。

と書いてあります。驚くと共に素晴らしいですよね。ブログ自体はしばらく更新されていない模様で、今は主に、Instagramにアップされているようですね。

息子さんは名の通ったアーティストなのですが、彼が故郷の熊本ではじめた写真塾に母親である喜美子さんが通い出したのがきっかけだとか。それも72歳でですよ。パソコンまでやり出して、今や、ものすごいフォロワーがついているわけです。

田舎のお寺で生活していると多くのお年寄りと関わることが少なくありません。中には奥さんやご主人に先立たれて凹んでしまう人たちの多いこと。でも、中には歳を取ってもキラキラとしている方もおられます。

ある程度歳を取ってからでもはじめられることもありますね。一度きりの人生、他人にわからないことでもいいですから、なにか見つけて楽しんで生きようではありませんか。

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サンガセミナー2018 3-1「禅の建築講座 -黄檗山萬福寺の伽藍-」終了

 

blog_2018-09-10-09.15.jpgもう先週の月曜日(2018/9/10)のことで申し訳ありませんが、本年度のサンガセミナー 3-1「禅の建築講座-黄檗山萬福寺の伽藍-」を無事終了しました。

今回の講座は、黄檗山萬福寺を会場に、講師の佐々木日嘉里先生による午前中の座学、その後、萬福寺の普茶料理をご賞味頂いたあと、午後は萬福寺山内の建造物を、佐々木先生の解説を交えながら見学してまわるというものです。

先般の強烈な台風21号がさったばかりなのに、また大雨が続き、山陰方面は鉄道網が運休している日。残念ながらその影響で参加を見送られた方もおられましたが、雨の中、約30名もの方が受講されました。

冒頭に、会場である黄檗宗萬福寺の宗務総長・盛井幸道師からお忙しいところをわざわざご挨拶をいただきました。

blog2018-09-10-10.08.jpgつづいて、さっそく佐々木日嘉里先生の講座。写真の沢山入ったレジュメをお配りし、それに沿って、まず日本の寺院建築の歴史概略を解説いただき、途中からこの萬福寺の中国様式がおおく取り入れられた伽藍の説明へと進んでいきました。

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約2時間の座学を聞いたあとは、いよいよ、受講者の皆さんがお楽しみにされていた普茶料理。

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仏旗にある五色が使われているとお聞きしたとおり、カラフルな精進料理がつぎつぎと出てきます。美味しく頂戴しました。

その後は、午後の実地見学です。現在、境内の伽藍堂と鐘楼が解体修理の最中ということで、佐々木先生がその様子を見られたらいいのにというご希望がかない、特別に工事現場に立ち入らせて頂き、解体されて露わになっている建物の柱組を観ることができたのです。
京都府の文化財保護課がこの工事を行なっておられるということで、担当者の方より詳しい説明をいただき、予想外の勉強までさせていただくことになりました。内部の撮影はしてもいいが公開禁止ということですので、残念ながらここではご覧頂けませんが、午前中に先生からお聞きした柱の部材などを目の前で観ることができ、とてもラッキーでした。

そののち、境内の伽藍を一つ一つ見ながら、午前中にお聞きした内容を復讐するように見て回ることができたのでした。

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足元の悪いなかではありましたが、丁寧で詳しい説明と実地見学、そして精進料理に皆さんご満足をいただけたように感じました。

精進料理付きの講座、できれば今後も取り入れていきたいと思いました。

さて、次回のサンガセミナーは、2018年10月13日(土)、京都東山は高台寺での「地獄絵図(熊野観心十界図)お絵解き講座」(西山克先生[関西学院大学教授])です。まだ少し余裕がありますので、今からでもお申し込み可能です。お待ちしております。

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「100 年遠諱記念 明治の禅僧 釈宗演」展

 

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今年秋には明治時代に活躍され著名な禅僧の一人である釈宗演老師の100年遠諱が、鎌倉の大本山円覚寺で勤修されます。それに先立ち、大本山円覚寺・花園大学歴史博物館・禅文化研究所の共催で、花園大学歴史博物館におきまして、2018年秋企画展として「100 年遠諱記念 明治の禅僧 釈宗演」を開催いたします。

禅文化研究所としましても、ほかに釈宗演老師の出身地である若狭の地でも行なわれる遠諱法要にあわせて、相国寺派第四教区で自費出版される『近世若州僧宝伝』の編集をさせていただき、釈宗演老師以外にも若狭から出られた近世の傑僧の伝記などをまとめさせていただきました。

また、同じく大本山円覚寺において来年4月に勤修される誠拙周樗禅師の遠諱事業として、禅師の遺墨集の制作を承っており、現在、そちらも編集中であるということもあり、このところ、円覚寺関係の仕事をたくさんさせていただいています。

さて、話を戻しますが、「100 年遠諱記念 明治の禅僧 釈宗演」の会期中に、二度の講演会も予定しております。詳しくはこちらをご覧下さい。どちらも入場無料で、お申込も不要です。
展覧会は前期後記で展示替えもあり、それぞれの期間中に一度ずつの講演会ということになるので、それにあわせてご来場になるのもオススメです。

どうぞ、花園大学歴史博物館までお運び下さい。

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仏教とヒンズー教とが共存する国、カンボジアへ その10(ベン・メリア)

 

blog_MG_1214.jpgついにカンボジアシリーズ最終回です。長らくお付き合いいただき、ありがとうございました。
少々、遺跡巡りばかりで飽きた感もしないではないのですが、最後に訪ねたのはベン・メリア遺跡です。

アンコール・ワットから50kmくらい東にいったあたりにあるこの遺跡は、大きな寺院なのですが、傷み方がひどく、また、ほとんど修復が施されていない遺跡として知られています。アンコールワット遺跡群がこうやって世界遺産になるまでには、あちこちの遺跡は各国が協力して修復を行なってきたのです。いってみれば、初めてフランスの学者がジャングルの中に睡るアンコール遺跡を発見した時には、どこもほぼこんな状態だったかもしれません。

blog_MG_1167.jpg痩せ細った牛たちが休憩中の森の中を少しあるいていくと……

blog_MG_1175.jpg密林の中にこんな瓦礫の山が出現するのでした。アンコール・ワットより先に建立されたとみられるそうで、「東のアンコール・ワット」という異名もあるようです。ちなみに、アンコール・ワットプリヤ・カーン、そしてこのベン・メリアの3つの寺院は一直線上に建てられているそうです。
ヒンズー教寺院として建立されたのですが、仏教のレリーフもいくつか観られました。

blog_MG_1195.jpg修復はされていないものの、内部の中央祠堂の方へは、遊歩道のような通路が築かれていて、そこを通って内部へ入っていくことができるようになっています。遺跡は崩れているだけでなく、苔むしていて、とても湿度が高く蒸し暑いのでした。

blog_MG_1215.jpgそしてご存知の方もあろうかと思いますが、じつはここ、スタジオジブリの「天空の城ラピュタ」のモデルになったのではないかと言われている遺跡でして、そういわれてみると、なにやらよく似た雰囲気の景色が見えるのです。

blog_MG_1198.jpgこんなところとか、あるいは、こんな雰囲気とか……

blog_MG_1237.jpg手の長いロボット兵が音をきしませながら出てくるような感じがしますよね。

朽ち果てた遺跡の傍で咲く蓮の花は、死の世界の中に浄土をみた気がしました。

blog_MG_1254.jpgこの後、車でシェムリアップまでもどり、荷物を整理してその夜の飛行機を待ちがてらカメラを持って散歩していたら、川沿いのベンチでカンボジアの美女に出会いました。許可を取って撮影させて貰ったのがこちら。

blog__MG_1268.jpg撮らせてほしいというと、ちょっと恥ずかしがった顔をしましたが、ちゃんとカメラ目線で対応してくれました。こうして初のカンボジアツアーは終わったのでした。

多くの遺跡の中で、私の記憶にとくに残ったのはバイヨンでした。今度はもっとゆっくり時間があればバイヨンのレリーフをゆっくりみたいという気持ちがあります。
それから特筆すべきは、カンボジアのクメール料理。毎日、とても美味しくいただきました。となりのタイ料理ほど辛くなく、反対隣のベトナム料理ほど香草がきつくないので、日本人の口にとてもあうのではないかと思います。
もちろんニュースで流れてくるように一党独裁政治のようになってきていて、ガイドのコーさんは時々批判的な話もしていましたが、人々はニコニコしていて親切でしたし、治安もよく物価も安いので、カンボジアはとても好印象なのでした。

おしまい

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仏教とヒンズー教とが共存する国、カンボジアへ その9(バンテアイ・スレイ)

 

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カンボジアでのある夜、カンボジア伝統芸能であるアプサラスダンスショーを観に行きました。すごくゆったりとしたダンスが特徴で、指先の曲げ方など、練習したらできるものなのかわかりません。食事を頂きながらのショーでしたが、少し大きなホールで各国からの観客が入り交じっておりました。

さて、カンボジアも最後の日となりました。この日はガイドは依頼せず、車だけ半日チャーターしまして、いわゆるアンコール遺跡群から少し外れた2ヶ所をめぐることにしました。

まずは、バンテアイ・スレイです。英語は通じないのかと思えるほど反応のない(午後になって突如英語を話し出したのでした)、これまた猛烈に飛ばすドライバーの運転で、約1時間半。

降り立って遺跡に入っていくところには、こんな立派な水牛が草を食んでいました。カンボジアで見かける牛はやせ細っているのが多いので、ちょっと意外でした。

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さて、バンテアイ・スレイとは「女の砦」を意味するヒンズー教の寺院で、ラテライトと赤い砂岩で建造されています。

blog_MG_1128.jpgリンガ(シヴァ神を象徴する男性器を象った像)のならんだ参道を入っていくと、この塔門(下の写真)があらわれます。

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こうしてみただけでもおわかりかと思いますが、他の遺跡に比べてここの特徴はといえば、レリーフが深く鋭く彫られていて、いまでもはっきり観ることができる点にあるでしょう。

下のレリーフは、ビシュヌ神が象の聖水を浴びている様子です。緻密な彫刻が見事に遺っています。

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こんなお供えをおく台?もありました。蓮の花をかたどっているのでしょうか。

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blog_MG_1163.jpg手前は経蔵、奧が中央祠堂です。そういや、昨日までガイドしてくれていたコーさんは、経蔵のことを図書館と訳して話すので、頭の中で切り替えないと、イメージがしにくいのでした。

そして、観光客の多くが探して見つけようとしていたのが、こちらのデヴァター(女神)像、「東洋のモナリザ」と賞されるものです。

blog_MG_1160.jpgこれから訪ねられる方、大きな遺跡ではないので、どこにあるか探してみて下さいね。
あともう一ヶ所、最後に「ベン・メリア遺跡」を訪ねて、私のカンボジアの旅は終了です。

つづく

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仏教とヒンズー教とが共存する国、カンボジアへ その8(プレ・ループ)

 

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続いて訪ねたのは、かつて境内で行われたと伝わる火葬を名の由来とするプレ・ループ遺跡はヒンズー教の寺院。10世紀中頃の建立だそうで、上の写真の下左に長方形の遺跡がみえますが、これは石槽とよばれ、ここで死者を荼毘にふしたということです。

ガイドのコーさんによると、荼毘に付した後、下の写真の場所で、椰子の実のジュースで遺骨を洗ってから埋葬するのだそうです。

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聞くと、今でもそういったことは行なわれているとのことでした。おそらくカンボジアの田舎ではそういった風習が残っているのでしょうね。

その後、正面の階段をのぼり、中央祠堂の裾まで登り切ると、景色のいいこと。アンコールの平原が一望できるのです。ここから観る夕陽も、絶景ポイントとして有名です。

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最後にギラギラ照りつける太陽で、「ダイヤモンド中央祠堂」。

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あと少しつづく。

 

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仏教とヒンズー教とが共存する国、カンボジアへ その7(プリヤ・カーンとニャック・ポアン)

 

アンコールワット拝観のあと、ふたたび周辺の遺跡巡りに。

まずは、プリヤ・カーン遺跡。聖なる剣を意味するこの遺跡も仏教とヒンズー教の習合で、森の中にひっそりとある遺跡でした。

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車を降りて歩き始めると、門の横に他の遺跡に比べるとあまり見ないくらい大きなガルーダの石造があります。ガルーダは神の鳥で、カンボジアではビシュヌ神が乗って空を飛んだとされます。インドネシアでは航空会社の名前にもなっていますね。

門をすぎると、また木立になり、鳥が鳴く小道を歩いて行くと、木琴の音楽が聞こえてきました。戦災障害者の男性が来訪者を迎えて演奏してくれているのです。他の遺跡には何人もの演奏者がいる楽団もいましたが、みな、悲しい戦争の負傷者たちばかりでした。

blog_MG_0932.jpgしかし、その木琴の音楽が、なんとも涼しげだったことが印象に残っています。ここには掲載しませんでしたが、スマホで撮った動画があり、時々観ては涼しげな気分を想い出すことにしています。

 

blog_MG_0950.jpg遺跡はラテライトと砂岩で築かれていていました。中央に向かうにつれ、くぐり門が小さくなっているので、実際より奥行きが深く見えるようにしてあるのだそうです。

そして、本殿の中央には、ストゥーパが。

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回り込んでみると、蓮の花が一輪、お供えしてありました。

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プリア・カーンをあとにして続いて向かったのは、ニャック・ポアン遺跡。

blog_MG_0974.jpg水面を渡って吹いてくる風がなんとも心地いいのです。遺跡巡りを続けている中で、どうしても鬱蒼としたジャングルや、石の遺跡をみてばかりだったので、水辺にたたずむとこんなに気持ちいいものかと改めて感じます。

他の遺跡と大きく異なるのは、周囲が広い池に囲まれていること。他の遺跡にもお堀程度のものがありましたが、ここは小さな湖の中にある島のような感じです。

まっすぐと池の中をすすむ参道も印象的です。すると中央部の島(人口島だそうです)のようなところには、また池があって、中央の祠堂を囲っています。したがって、遺跡自体はこの周囲から眺めることしかできません。

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ガイドのコーさんによると、ここは医療目的のために作られたのだとか。ジャヤーヴァルマン7世がつくったいわゆる病院施設なのだそうです。古代の人々はこの池に入って沐浴し、治病したのでしょうね。

中央祠堂のある池の東西南北にはそれぞれまた小さな池があり、それぞれは門で郢ォがれているのですが、その門のそれぞれの中には、その方角を司る四大獣が祀られているのです。下の写真は象の頭が見えますね。

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アンコールの遺跡はどこも同じかと思いきや、こういう風にいろいろなところがあって、飽きません。

もとの参道を戻る途中、睡蓮がきれいに咲いているのに気がつきました。

blog_MG_1007.jpgつづく

 

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仏教とヒンズー教とが共存する国、カンボジアへ その6(アンコール・ワット)

 

blog_MG_0628.jpgそしていよいよ、アンコールワット遺跡の見学です。じつは朝日を観にいった日の前日午後に行ったのですが、話の順序的に前後しております。

アンコールワットは、最初、ヒンズー教の寺院として建築された、クメール建築の傑作といわれるものです。カンボジアの国旗にも描かれているし、オールドマーケットなどのお土産品なんかにも、よくその意匠は取り入れられています。
ソター王の時に、中央祠堂に安置されていたビシュヌ神が仏像に代えられ仏教寺院となったようです。しかし、1970年代のカンボジアの内戦のとき、クメール・ルージュによって多くの仏像が首を撥ねられて壊されたとのこと。

blog_MG_0565.jpg外部から第1回廊、第2回廊、そして雨になると上げてもらえなくなる第3回廊があり、とくに第1回廊には壁面にびっしりと彫刻が施されています。

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第1回廊の西面北には、『ラーマーヤナ』の説話が彫刻されていて、ラーマ王子と猿がランカー島で魔王ラーヴァナと戦う場面が中央にあります。

blog_MG_0585.jpg上層部にあたる第3回廊には、たくさんの女神の彫刻があり、この日もむし暑い日でしたが、高いだけあって涼しい風が通り過ぎていき、女神達に囲まれながら、しばらく汗をひかせるために涼んでいました。

blog_MG_0637.jpgそしてここは第1回廊と第2回廊が繋がる十字回廊と呼ばれる回廊の交差点です。
どこかのガイドさんが、東洋人と西洋人を4人あつめて合掌をさせ、スマホで下から見上げるように写真を撮っていました。こういう写真もきっとインスタ映えするんでしょうね。異教徒だろうに、わかってやっているんでしょうか。

blog_MG_0642.jpg中央祠堂では熱心な信者さんがお供えをそなえてお勤めをされていましたよ。仏教らしい風景ですね。

blog_MG_0587.jpgそして、帰り道に出会った仏教僧。なにやらスマートフォンを見ながら話しています。こちらもどこの国でも同じですね。

blog_MG_0657.jpgさて、アンコールワットも堪能しました。あとはまた周辺の遺跡を巡ることにします。

つづく

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仏教とヒンズー教とが共存する国、カンボジアへ その5(アンコール・ワットの日の出)

カンボジアのシェムリアップ3日目の朝、早起きしてアンコールワットの日の出を観に!
じつは前日夕方にアンコール遺跡での夕焼け日没観賞を狙っていたのですが、この時期は雨期で午後や夕方によく雨が降るため、昨日も曇り空にてあえなく断念したのでした。

朝5時にホテルを車で出発し、アンコール・ワットへ直行。西門に通じる石廊は工事中なので、そこでの日の出観賞をする人はなく、スマホのライトを頼りに続々とアンコール・ワットの内部に進んでいきます。懐中電灯を持っていくのがいいと思いますが、近頃はスマホにライトを照らす機能があるので便利ですね。

blog_20180819075845__MG_0811.jpg今日もお願いしているガイドのコーさんに撮影ポイントに連れていっていただきましたが、世界中から色々な国の人たちが集まってきてかなりの人の数。中国人が一番多いように思いましたが、西洋諸国の方々もかなりの数です。存外、日本語はあまり聞こえてきません。

今朝も、あいにく、東の空には雲があり、アンコール・ワットの塔の間から昇ってくれるはずの太陽を拝むことができなさそうです。しかし、それでも朝日の影になって水面に映るアンコール・ワットの建物はフォトジェニック! ご覧下さい。

blog_MG_0767.jpgなんと美しいことでしょう。日の出は拝めませんでしたが、この幻想的な色に酔いそうなほどでした。往年、ここで暮らしていた人たちも観ていたであろう日の出。そう考えると数百年など一瞬のできごとのように思えるのでした。

とはいえ、現実的にみると、現代の人たちは(私も含め)、観賞の半分の時間を画面を通して見ているのでした。

blog_20180819075127__MG_0791.jpg私が通っている写真講座の先生から、このごろはカメラアイを磨けと指導をされているからかどうだかわかりませんが、美しい景色を撮影するのも少々飽きてきたとき、水面をよくみていると、トンボがいることに気がつきました。日本のトンボと少し違うようです。なんというトンボかわかりませんが、羽がオレンジ色に光っていました。

blog_MG_0850.jpgさて、朝日を楽しんだあとはアンコール・ワット内部へ。

つづく

 

 

 

 

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