トップページ » 1.禅文化研究所の仕事 » デジタルアーカイブス » 大用国師生誕の地、伊予へ その2

大用国師生誕の地、伊予へ その2

 

一昨日のブログの続きです。

円覚寺の誠拙禅師の誕生の地のご縁があり、西伊予、南伊予には、禅師の墨蹟を遺している御寺院がいくつかあります。
調査撮影の2日目にはその中の佛海寺さま、大隆さま、そして妙徳寺さまの3カ寺を訪ねました。
この地に遺る誠拙禅師の書をこの眼で観たいからと、大乗寺の河野老師自らもお出向きになりました。

 

blog_2018-05-24-09.53.42.jpg

まずこちらは宇和島市の佛海寺様。昭和になってから火災で焼失したということですが、誠拙禅師の書が3幅あり、これらは火災の当時、幸いにも修復に出していたため焼けなかったとのこと。また本堂内にある扁額も禅師の書でしたが、おそらくこれも持ち出されて難を逃れたのであろうかと思われます。

blog_2018-05-24-09.54.jpg

そして、この佛海寺さまには、このような誠拙周樗禅師(大用国師)を顕彰する碑が建てられていました。大正時代に建てられたもののようです。

この後の行程は、河野老師が自ら我々の道案内を買ってでていただき、先導されるままに続いての大隆寺さまへ。慶長10年に、伊達政宗の長男である伊達秀宗が徳川秀忠よりこの地を拝領し宇和島藩ができたわけですが、その後、この大龍寺を伊達家の菩提寺としたとのこと。
下の写真の右側に少し見えるところは、もともとお殿様のための玄関だったとのことです。伊達秀宗の正室である亀姫の墓所を始め、以後の伊達家の何人かの藩主や一族が祀られているとのこと。
機会があればこのお寺の悉皆調査をしたいと思うのでした。

blog_2018-05-24-10.49.jpg

写真を取り損ねてしまいましたが、こちらの境内からは、宇和島城も見えました。

そして、同じく宇和島市ではありながら少し南下した津島にある妙徳寺さまへ。妙徳寺様が兼務されている永楽寺所蔵の墨蹟を調査させて頂きました。永楽寺様は誠拙禅師の生誕の地であるのですが、現在工事中で都合が悪く、妙徳寺様にて調査をした次第。

最後に付けたし。
宇和島といえば「じゃこ天」。滞在中の夕食や朝食でもいただきましたが、せっかくだからと思い、老舗を検索。「野中かまぼこ店」がヒットし、お土産に求めてきました。はらんぼという小魚だけを使った、手押してんぷらである「じゃこ天」。帰宅してさっそくほんのり焼いて食べましたが絶品でした。

blog_2018-05-24-08.36.jpg

宇和島は知る人ぞ知る仏教信仰の篤い土地柄です。じゃこ天以外にも美味しい物もあります。四国でも一番西の端で、関西などからは少し遠いですが、いつかお訪ねになってみてはいかがでしょうか。

by admin  at 09:00
コメント

コメントはありません

コメントを書く




保存しますか?


(書式を変更するような一部のHTMLタグを使うことができます)


画像の中に見える文字を入力してください。