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第7回駿河白隠塾フォーラムのお知らせ

 

白隠禅師物語-1.jpg平成30年3月31日(土)に、静岡県沼津市にて、駿河白隠塾主催の第7回白隠塾フォーラム「白隠禅師物語」が開催されます。

第1部は「白隠と仙厓」と題して、白隠塾塾長の芳澤勝弘氏による講演、続いて第2部は「白隠禅師物語」と題して、三島市龍澤僧堂師家の後藤榮山老師による講演があります。

定員300名で、駿河白隠塾会員は無料、一般参加は2000円です。また、参加には駿河白隠塾事務局(TEL 055-925-0512/メール)までお申し込みが必要です。

私も例によって物販に行くかも知れません。とくにお近くの皆さん、どうぞご来場下さい。

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DVD「禅僧が語る」犬山市瑞泉寺にて撮影

 

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先日、愛知県犬山市にある瑞泉寺専門道場にお邪魔しました。この僧堂の師家である、玄々庵小倉宗俊老師は、今年の5月から妙心寺派管長として晋山されます。そこでこの機会に、弊所のDVD「禅僧が語る」シリーズにご登場頂くこととなり、撮影に伺ったのでした。
※小倉老師と交代される現妙心寺派管長嶺興嶽老師のDVDはこちら

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瑞泉寺は犬山市の中心部にあり、付近には犬山城、モンキーパークや成田山名古屋別院もあり、瑞泉寺のある山の麓、目の前には名鉄も走っております。境内からは犬山城が一望できます。あいにく、屋根の工事を行なっているようで、今ひとつの風景ではありますが……。

 

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書院をお借りして、老師との対談を撮影しました。内容についてはDVDのできあがりをお待ち頂ければと思います。老師は京都の東福寺の近くの生花店でお生まれになり、縁あって瑞泉寺の塔頭の龍泉院にて得度。その後、三島の龍澤寺で3年間の修行の後、瑞泉僧堂に転錫され今に至られています。そのつれづれの思い出話などもお話頂きました。
私もお世話になった龍澤僧堂の老師方のお話も拝聴でき、個人的にも楽しい収録でした。

インタビュワーは、以前のDVDでもお願いしていた春川修子さん。ひさしぶりの禅僧にインタビューすることになって、少々緊張気味だとのことでしたが、さすがにそつなく対応していただきました。

blog_MG_7846.jpg私毎ですが、この僧堂に掛搭している雲水の一人に、私の知人のご子息がおられまして、今回、お邪魔したときに、お茶を出してくれました。あちらは憶えているかわかりませんでしたが、彼がまだ小さいとき、そのお寺に泊まりがけで伺うと、彼は弟と二人して、「和尚さん、一緒にお風呂に入ろうよ」といつも必ずお風呂に誘ってくるので一緒に入ったものでした。とても懐かしい思い出です。

本DVDの発売時には、改めてお知らせします。

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鈴木法音老師 大祥忌

 

blog_2018-02-16-09.26.06.jpg去る2月16日(金)、滋賀県の安土城跡にある摠見寺にて、佛通寺前管長であり摠見寺先住職の鈴木法音老師の大祥忌(三回忌)が営まれましたので、私も部内寺院であり、導師侍衣としての役も仰せつかりましたので参列して参りました。

blog_2018-02-16-09.35.jpg寒い冬の一日ではありましたが、太陽がぽかぽかと照りつけ、建物の中にいるより外にいる方が暖かいような日。法音老師も人に厳しい人ではありましたが、筋の通った方で時にはぽかぽかと今日のような暖かい日差しを感じるような方でもありました。

blog2018-02-16-10.36.jpg縁の深い和尚様や部内の寺院、そして縁のある在家の方々が集い、楞厳呪をお勤めし真前にお焼香を致しました。

あっという間の三回忌です。光陰惜しむべし、時人を待たず。老師の御尊容を拝して、心して生きねばと改めて思い返した一日でした。

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蘇山展借用作品の返却

 

blog_2018-02-15-13.28.jpg昨年12月11日から2月3日まで、花園大学歴史博物館で開催していた企画展「蘇山玄喬 ―禅画と墨蹟
徳源寺・円福寺・見性寺所蔵品」
も終了し、多くの方にご来場頂きありがとうございました。

先般、この展覧会のためにお借りしていた作品を返却するために、名古屋の徳源寺にお邪魔しました。

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借用の際にチェックした調書にもとづき、それ以外に破損などがないかをチェックし、元通りの形でお返しすることが目的です。

お邪魔したのは花園大学歴史博物館館長の福島恒徳先生と研究員2名、そして私。日本通運の美術輸送の方2名です。

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調査から、借用、そして展覧会での展示、返却。その間に図録の作成もあり、何度も目にした作品群。これでしばらくお目に掛ることもなくなりますが、深く記憶に残るものばかりです。さて、息をつくまもなく、4月からは「円福寺展」(仮称)を開催します。お楽しみに。

 

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第13回臨黄教化研究会

 

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2月13日・14日、臨済宗黄檗宗の僧侶を対象にした第13回臨黄教化研究会が花園大学教堂で行なわれました。主催は臨黄合議所です。
今回のテーマは「以語伝心」(造語です)、相手の心に伝わる法話作りを学ぶことが目的です。

1日目は2人の講師のお話を拝聴しました。
村上信夫氏(元NHKエグゼクティブアナウンサー)には、「伝える」と「伝わる」の違いについて、言葉のプロらしく、わかりやすくお話しいただきました。「間」の取り方の重要性、そして聴くことの大切さも再認識させられる内容でした。
中西東峰師(妙心寺派小山寺住職)には、法話の作り方について、長年の布教活動で培われた経験に基づきお話しいただきました。

 

blog_BKL3665.jpg講演1「伝えると伝わる」と題した元NHKアナウンサー・村上信夫氏

 

講演後、参加者は6つの班に分かれて、それぞれの班で一人1話の法話を披露してゆきました。法話後、主監による講評と他の班員による互評を受けるという内容でしたが、採点法式ではなかったため、アドバイス的な指摘が多いように見受けられました。

2日目の午後からは、各班から推薦された代表6名が全員の前で法話を行ないました。各人が自分の持ち味を出し、伝わる法話をしていただいたと思います。
2日間ではありましたが、この経験が各寺院での布教活動に少しでもプラスになることを願っています。

 

blog_BKL3688.jpg参加者の発表法話

 

 

blog_BKL3701.jpg最後に講評をされた妙心寺派高等布教師・中西東峰師。

 



村上信夫さんがブログで講演のことを触れられています。

 

※二日目の参加者代表による法話発表は、後日、YouTubeにて公開予定です。

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この時代、咲いてみようじゃないの

「この時代、咲いてみようじゃないの」
これは、NHKの大河ドラマ「八重の桜」が使っていたキャッチコピーです。

ところで、最近、私の寺に、高校2年生たちがやって来ます。生まれた時から知っている可愛い子供たちです。
「国語が難しい」と言うのですが、パソコンの操作は上手で、私の好きな、綾瀬はるかさんの画像はすぐに見つけてくれて、その際に見つけたのが、「この時代、咲いてみようじゃないの」でした。
この高校2年生たちには、この言葉の意味が分かりません。

そこでまず、「『この時代』の意味は分かるのか」と尋ねました。その子たちは、私のパソコンを使って、明治維新ということを知りました。「じゃ、明治維新という時代は、どんな時代だったのだ」と尋ねました。また、私のパソコンを使って、どうやら分かったみたいです。

ここから「国語」です。
「『咲いてみようじゃないの』の『咲』は、『笑』と同じ意味だから、『咲いてみようじゃないの』は、『こんな苦しい時代でも、笑って生きてやるそ』とも読めるんだぞ」。
「花が咲いたらどうなる」。
「散る」。
「そうだ。『咲いてみようじゃないの』は、『綺麗に散ってみせようじゃないの』という心も含んでいるんだ」。
と、わけのわからない授業?が進みます。

「そんなこと、先生は言わないよ」。

当たり前です。馬鹿な坊主が、可愛らしい子供たちに、たわごとを言っているだけですから。

この子供たちは、これから受験です。
「じゃ、焼肉でも食べに行くか」。「行こう、行こう」。
まあ、私の寺に来るのは、これが目的なのでしょう。

でも、この子供たちは、来年の春まで、私の寺に来ません。
「受験だからな、おっちゃん」。

がんばれ、がんばれ。
また、一緒に焼肉を食べに行ける日を、私は待つだけです。

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寒い朝

 

blog_MG_7696.jpgこの間の寒波は、福井市付近に30年以上ぶりの大雪を降らせ、私の知っているお寺では2mを超える積雪があったとか。テレビのニュースでもものすごい状態が放送されていましたが、現実はもっとすごいと言っていました。屋根に積もった雪が心配ですね。しかしそれを下ろすのに事故になったりしないことを、お手伝いには行けないながらも、心から祈っています。

滋賀県にある自坊付近も積もるときには50cmほど積もったりしますが、この度の寒波は、ただ寒いだけでした。朝起きると、庫裏の中でもかなり寒く、外は氷点下5度くらいではなかったでしょうか。

今朝も日の出前に、期待はしてない物の、何か研究所に持って行けるような花がないかと見て回りましたが、水仙も前回の雪で寝かされてしまい、ほかには冬枯れの景色のみ。というわけで、鋏をカメラに持ち替えて、凍える手を摩りつつシャッターを切ってきました。

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blog_MG_7694.jpg最近、このような霜の植物にもっと近寄って、マクロ撮影すると、いろいろな結晶の形が見えてインスタ映えすると流行っているそうですね。スマートフォンにつけるマクロレンズが100均で売っているのだそうです。

ところで、研究所の花はしばらく生けられそうにありませんね。

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西郷どんの逸話 その3

さて、今日も西郷隆盛の逸話から。

◇炭火も使いよう
西郷が、ある人の壮行会に出席した。冬の寒い時で、座敷の火鉢には炭火が盛んにおこしてある。酒宴もたけなわになったころ、西郷は戯れに芸者に向かって言った。
「おまえさんにいいものをあげ申そう」
芸者は喜んで両手を出したところ、西郷は傍の火鉢から火をはさんで出した。芸者は仕方がないので着物の両袖でこの炭火を受け取った。一座はドッと興をわかした。
しかし、この芸者にしてみたら心中穏やかではない。仕返しをしてやろうとて、同じことを西郷にしたのである。ところが西郷は、
「はい、ありがとう」
と言って、おもむろにを取り出すと、一服、煙草を吹いつけたのである。

 

◇刺客に「ご苦労さんでごわす」
佐久間貞一、人見寧、梅沢孫太郎の三士が西郷を暗殺せんと企てていた。一計をはかって、勝海舟に紹介状を頼みに来た。そこで海舟は、
「佐久間、人見、梅沢の三士は幕臣なり。今般、足下を刺し殺さんとして遠く錦地に行く。幸いに接見の栄を三士に与えられよ」
という意味の紹介状を書いて与えた。三人は紹介状を持って西郷の家を訪ねた。時あたかも炎暑の候であったが、玄関にもろ肌を脱いだひとりの肥大漢がごろりと横になっていたので、すぐに紹介状を渡して、
「なにとぞ、先生にお取り次ぎを願いたい」
と言えば、裸の男は、
「はあ、吉之助は俺どんじゃ」
と言って、三人を奥の間に通したが、紹介状を一読して、
「お前たちは俺どんを刺しに来られたこつじゃが、遠路どうもご苦労さんでごわす」
と言ったので、三人は色を失って早々に逃げ帰り、海舟に告げて言った。
「どうも西郷という人は大人物で歯が立ちませんでした」

※いずれも『禅門逸話選 中』(禅文化研究所刊)より

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漏水にご注意

 

blog-2018-02-03-08.47.21.jpg寒波のために断水。
最近よく目にするニュースですが、空き家の水道管が破裂漏水して水圧が下がり、各家庭に水道水を供給出来ないのだそうです。

これは、僕も経験があります。
僕がある寺を兼務していた時代のことです。
兼務ですので、法要の時ぐらいにしか寺に行きません。行っても境内の周囲を注意して見回ることなどはしません。ところが、ある日、庫裡に行くと、何やらスゴイ音が聞こえます。外の水道管が破裂して、水が洪水のごとく吹き出していました。さっそく、ホームセンターへ行って道具や機材を買って来て修理しました。これでやれやれと思って、数日後に再び行くと、また同じ音がしました。これは大変と、ついに水道修理の業者さんを呼びました。
業者さんが言うには、漏水の被害は、神社も多いそうです。共通するのは、毎日、そこに行かないということです。
結局、僕は市の水道局に30万円を支払いました。その業者さんが、減額処理の手続きをしてくれなかったみたいです。

心当たりのある人は、さっそく元栓を止めに行って下さい。来月、高額な水道料金が請求されるかも知れませんよ。それと、素人工事は禁物です。僕のように被害を拡大させます。

禅や仏教には、何の関係もないブログ記事ですが、「雪裏の梅花、春、遠からじ」、みなさん、がんばりましょう。

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西郷どんの逸話 その2

さて、大河ドラマの「西郷どん」にちなんで西郷隆盛(号は南洲・1827~1877)の逸話を前回より続けます。

◇無三和尚に参禅する
青年西郷隆盛は、友人吉井友実とともに、福昌寺の無三和尚について禅を学んでいた。無三は二人が大器であるのを見抜いて、痛棒熱喝、つねに悪辣の手段で接していた。ある時、西郷は吉井と相談して言った。
「老師の室内に入ると、いつもやにわに痛棒を食らって、逃げようにも逃げ場もごわさん。そこで、今日は庭先で参禅し、老師が如意棒を手にとられたら一目散に逃げ出そうじゃごわせんか」
そう示し合わせて、二人は行って庭先に立って参禅をお願いしたところ、無三は立ちどころにその魂胆を見抜き、
「この生意気者めが!」
と大喝一声、雷のような大音声を発した。二人は平身低頭、わびを入れたのであった。
後に西郷は吉井と会って懐旧談をするたびに、必ずこの話をしたという。
*吉井友実=1828~1891。薩摩藩出身の志士・政治家。
『心にとどく禅のはなし』(禅文化研究所刊)より

 

◇西郷の坐禅石
西郷は十七歳から二十八歳までの前後十年間、毎日、無三和尚に参じ、一日も怠ることがなかったという。大山巌は回顧談の中で、
「鹿児島における予の家は西郷の家に近接していたので、予は六、七歳のころから西郷に従い、読書や習字を習った。そのころ西郷は禅学を学んでいた。予が朝早くその家にいたると、西郷はすでに草牟田の誓光寺の住職無三上人のもとに赴き、講習を終わって帰宅しているのをつねとした」
といっている。西郷らが坐禅を組んだ坐禅石は現在も残っているという。
『禅門逸話選 中』(禅文化研究所刊)より

 

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タバコはマナーを守りましょう

 

一日に40本のタバコを吸うヘビースモーカーの小生は、耳の痛い語録にブチ当たってしまいました。煙草(タバコ)は、慶長年間(1596~1615)に、日本に移入されたと言われていますが、江戸中期の坊さんが、こんな誡めを残しておられたのです。

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煙艸(たばこ)は、仏制に無しと雖(いえど)も、……不如法なること知んぬべし。蓋(けだ)し仏世に此の草無し。……或いは説法の座、或いは懺法、施餓鬼、曁(およ)び法事に就(つ)いて誦経する処、三宝の尊前、都来(すべ)て之れを禁ず。大いに礼儀を失して壇場を汚すこと、之れに過ぎたるは罔(な)し。

『大蔵宝鑑録』「見江山大蔵禅院清規」(明石市・大蔵院蔵)より

タバコのマナーは、古くから言われていたのですね。

ヘビースモーカーの小生も、自分の仕事部屋と、喫煙所以外では、絶対に吸いません。何だか、JTの宣伝みたいなブログになりましたが、喫煙者の皆さん、よろしくお願いします。

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