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還暦

 

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小生、めでたく、還暦を迎えました。60歳です。

還暦とは、干支(えと)を一周することです。

「生まれは、酉(とり)です」と簡単に言って来ましたが、干支は、十干と十二支との組み合わせですので、「酉」だけでは、本当は、不十分なのです。還暦を迎えて初めて気つきました。私が生きて来た60年の間には、5回の酉年があります。そこでさっそく私が生まれた昭和32年を調べてみました。干支は、丁酉(てい・ゆう/ひのと・とり)でした。別に昭和32年を調べなくても、今年を調べればよいことですが。

甲子から干支を数え始めれば34番目。なんとも中途半端な数です。

干支で最も有名なのは、やはり1番目の甲子(こう・し/きのえ・ね)でしょうか? 大正13年、甲子園球場が起工された年で、その年の干支に因んで命名されました。球場は1番なのに、タイガーズは、なかなか1番になってくれません。個人的には、とても残念です。

次は、丙午(へい・ご/ひのえ・うま)かな? 恋人に会いたい一心で放火事件を起こした八百屋お七が、丙午の生まれであったと言われて、世の女性が、いろいろといわれない中傷を受けてしまう干支です。

戊辰(ぼ・しん/つちのえ・たつ)も有名かな? 明治元年に起きた戊辰戦争で知られています。

さて、当研究所には、もう一人、丁酉に生まれた人がいます。わたしたちは、生まれ歳が同じということだけで、何だか親近感をおぼえてしまいますよね。これは、日本人だけの感情かな? でも、触れ合うきっかけにはなります。

十二支は、動物の名前ですので意味は分かりやすいですが、十干にも、それぞれ意味があります。因みに私が生まれた「丁(ひのと)」は、五行では火に属し、方位は南に当てられます。「火の用心に心掛けて、南の方向に気を配れば吉」と。そんな占いみたいなことも出来ます。

因みに来年は、戊戌(ぼ・じゅつ/つちのえ・いぬ)です。「戊(つちのえ)」は、五行では土に属し、方位は中央です。

十二支は、毎年新年、神社仏閣に、大きな文字で掲げられますが、十干は、なかなか教えてもらえません。私と同じように、自分の生まれ歳の十干を知らない人もおられるかも知れないと思い、ながながと書いてしまいました。一度、調べてみられるとおもしろいですよ。

しかし、「丁」は、どうにも気に入りません。昔の通信簿の「甲乙丙丁(こう・おつ・へい・てい)」の「丁」ですよ。調べなければよかった。誰が、こんな評価法を考えたのだ、けしからん。まあ、これは、あくまでも私の個人的感想ですから、どうぞ、丁歳生まれの方は、気になさらないようにして下さい。

最後に、丁酉生まれの方、無礼のかずかず、ご容赦下さい。還暦、お互い、もう一花さかせましょう。

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季刊『禅文化』244号発刊のお知らせ

 

k244.jpg4月25日に、季刊『禅文化』244号を発刊いたしました。今回の特集は「袈裟と法衣」です。

禅門において、袈裟はとても大切なものですね。しかしなぜ、袈裟が大事なのでしょうか?じっくり掘り下げて考えてみようと特集を組みました。識者のお力をお借りして、さまざまな角度から「袈裟と法衣」について整理を試みています。

宗教から離れた場面でも、日本仏教界に伝わる「伝法衣」から得られる情報は大変多いのだそう。袈裟についてはかの道元も言及していますが、自身の説示の変化に伴って、袈裟にまつわる主張も変化していく点は興味深いところです。 また、袈裟と名物裂との関わりの深さも見逃せません。「袈裟と法衣の歴史」と題してインド・中国・日本の袈裟、法衣について変遷をまとめた論攷も掲載しておりますので、この一冊で「袈裟と法衣」についての概要はご理解いただけるのではないかなと思います。これを期にお手に取っていただけましたら幸いに存じます。

新連載も3本。「和本の世界」では、和本のエキスパート・橋口侯之介先生に、装訂や江戸時代の出版事情を禅宗とも絡めながら楽しくご案内いただきます(4回連載予定)。

図版も豊富ですので、ぜひよろしくお願い申し上げます。

詳細はこちらをご覧ください。

 

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研究所の花 2017/4-2

4月半ばになり、少し、自坊の庭の花も咲き代わってきました。チューリップなんかも色々咲いてきていますね。

普通のチューリップは研究所にある花器には合わないのですが、この八重のチューリップなら、玄関の埀撥の掛け花入れにどうでしょう。ちょっと大きいですかね。

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もう一点、玄関の花台の上には、白山吹と濃紫のクリスマスローズ。

blog_AC_1020.jpg応接間の床の間代わりのところには、緑の葉が吹き出した沙羅(ナツツバキ)の枝と八重のクリスマスローズ。

blog_AC_1022.jpgそして、無文老師には、ハナミズキの枝を。

blog_AC_1021.jpg4月後半は、こんな感じでお出迎えしております。

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日本三大なんとか

 

blog_橋立.jpg現在読んでいる江戸中期の語録に、宮城県の松島を歌って、「扶桑第一の境」という言葉が出て来ました。「日本一の景色」という意味です。
松島と言えば、京都の天橋立、広島の安芸の宮島とならんで、「日本三景」の一つに数えられ、それはそれは美しいところです。

さていったい、いつ頃から、この三つの景色を「日本三景」と呼ぶようになったのでしょうか。

興味まかせに調べてみると、その歴史は古いもので、林春斎、あの林羅山の息子ですが、彼が寛永20年(1643)に著わした『日本国事跡考』という書物に、「松島、この島の外に小島そこばく有り、ほとんど盆池月波の景の如し。境致の佳なる、丹後の天橋立・安芸の厳島と三処の奇観をなす」とあるそうです。そして、元禄2年(1689)に天橋立を訪れた大学者・貝原益軒(かいばら えきけん)が、『己巳紀行』という書物の中に、天橋立を、「日本三景の一つとするのももっともなことである」と記していて、これが「日本三景」という言葉の文献上の初出とされています。と言うことは、益軒の以前から、「日本三景」という名称はあったことになり、由緒正しいものということになります。

「日本三景」と同じように、「日本三大なんとか」という言葉もよく聞きます。日本三大松原、日本三大陶器、日本三大花火……、数え上げたらキリがありませんが、これは、誰が決めたのかも分かりません。たとえば、日本三大松原は、一般的には、静岡の三保の松原、敦賀の気比の松原、唐津の虹の松原を言いますが、時と場合によっては、天橋立の松が、どれかに代わることもあります。

私が若くて各地を旅していたころ、あるところで出会ったオジサンが、「日本三大なんとかはなあ、有名なものを二つ入れて、あとの一つは、地元のものを入れるのだ」と教えてくれました。私は笑ってしまいましたが、なるほどと思いました。たとえば、「福島の三春滝桜、山梨の山高神代桜、そして、丹波の篠山城桜、これが日本三大桜じゃ」と大威張りで言っても、とがめられるスジアイはないのです。

それぞれの地元には、全国に自慢したい名物がたくさんあります。これをみんな、「日本三大なんとか」にしてしまうのです。なんと楽しいことでしょう。日本三大ネギ、日本三大ナスビ、日本三大アユ、日本三大マグロとか……、想像するだけでも楽しくなります。

まあ、こんなことを調べたり、妄想を起こしているから、私の語録訓注の仕事は進まないのですが、アッチコッチと揺れながら、楽しく読んでいきます。

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高野山の山王院(1)

 

01.jpg寺院にはその土地や伽藍を守護する神が祀られることが多い。これらは地主神・鎮守などと呼ばれるが、高野山金剛峰寺の地主神は壇上伽藍の西側の奥に祀られている。祭神は高野山の開創に関わったとされる丹生明神、高野明神そのほかの神々で、説明板には「御社」とある。その前にはかなり大きな拝殿があるが、「山王院」という名称だという。

02.jpg真言宗史・神祇史に詳しい方には周知のことだろうが、先日高野山を参拝した折、「山王院」という名称から、高野山の地主神自体も「山王」と呼ばれていたらしいことを再認識した。

比叡山延暦寺の鎮守であった日吉大社が、かつて山王権現と称されていたことはよく知られており、山王と言えば日吉の別名のように思われている。しかし、高野山の地主神も同様の名で呼ばれていたとすれば、山王とは山寺の鎮守を表す一般名詞に近いものだったということになるかも知れない。他にも山王と呼ばれる神は存在するのだろうか。少し調べてみた。(続く)

 

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いろは歌

 

blog_MG_1903.jpg先日、奈良にあります喜光寺で、「いろは歌」に意味があるというお話を伺いました。このお寺は薬師寺の別格本山になるのだそうです。

小学生の頃に通っていた習字教室の先生に、通い始めてすぐ教えてもらい「いろはにほへとー、ちりぬるをわかー」と大きな声で言いながら、手や服を真っ黒にして、平仮名を書いていたのを思い出しました。

しかし、それっきり、いろは歌とは縁がなく、思い出と共に心の片隅に追いやらて過ごしてまいりました。

いろは歌は、弘法大師、それより前、奈良時代の行基菩薩の作かもといわれているそうで、それすらも知りませんでした。本当に恥ずかしい限りです。

諸行無常 いろはにほへとちりぬるを(色は匂えど散りぬるを)
是生滅法 わかよたれそつねならむ(我が世誰ぞ常ならむ)
生滅滅已 うゐのおくやまけふこえて(有為の奥山今日越えて)
寂滅為楽 あさきゆめみしゑひもせすん(浅き夢見し酔いもせず)

この世の形あるものは散っていくもの
誰も永遠に生きることはできないし、永遠をつくることもできない
すべての執着を今日こそ越えましょう
執着から離れたとき、欲望が夢であったことにきづき
静かなこころが生まれ、真の喜びと楽しみが生まれるでしょう

喜光寺で頂いたパンフレットによると、『涅槃経』の言葉に当てはめて、このような意味だとご教示いただきましたが、覚えている節回しとは全く違います。

今から思えば、書く事に飽きないようにいろは歌にからめて教えてくだっさったのかもしれません。孫の様な年齢の一年生に意味を言っても通じませんものね。

誰もが簡単に口ずさめる歌にして伝える…。
作られた時代に想いをはせつつ、私自身この歌のように過ごしてきたであろうか、これからできるだろうかと、自分を見つめなおした日でありました。

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三日の桜

 

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世の中は 三日見ぬ間に 桜かな
世の中は 三日見ぬ間の 桜かな

ことわざにもなっている、有名な歌で、江戸時代の俳人、大島蓼太の歌と伝わっています。どちらが正しいのかは、もちろん分かりません。

普通の辞書は、どちらの歌も、世の中は、三日も見ないうちに散ってしまう桜の花のようなものだ。世の中の移り変わりが激しいことにたとえる歌と解説しています。

ところが、「三日見ぬ間に 桜かな」と「三日見ぬ間の 桜かな」とでは、まったく意味が違います。「三日見ぬ間に 桜かな」は、三日も見ないうちに桜は満開。「三日見ぬ間の 桜かな」は、三日も見ないうちに桜は凋落。

世の中の移り変わりが激しいことを言うのには変わりないのでしょうが、「に」と「の」とでは、希望的変化と、絶望的変化とに分かれると思うのです。なぜ、優秀な日本語学者が、二つの歌を安易に同意とするのか、わたしには分かりませんが、わたしはできれば、「三日見ぬ間に 桜かな」で、生きていこうと思います。トンビが三日後にタカに変身している……。まさかそんなこともないでしょうが、自分のやりかたしだいで、わたしたちは、無限の希望を実現させることができます。だから、ボクは、「三日見ぬ間に 桜かな」です。

ところで、中国の古い詩に「桜」があまり出ないのは何故でしょう。少なくとも、『三体詩』には、一詩も出ません。かろうじて「桜桃」という文字が見えますが、これは果実の名前で、花ではありません。わたしの古い中国の友人が、「花見のために京都を訪れる」と、わざわざ言うほどですので、中国には、桜見物はないのでしょうか。

春雪をもたげて花開く梅、初夏に香りをはなつ蓮、天下に咲き誇る蘭、晩秋にその節を見せる菊。桜の出番はないのでしょうネ。

中国の古い詩で、「桜」を歌った詩をご存じの方は是非教えて下さい。
ゆっくり、花の美しさと、その寂しさとを語り合いましょう。

わたしが住む小さな城下町も、今日は、「桜まつり」でした。
曇り空でしたが、天の神様も、雨は降らせませんでした。

みんな、みんな、三日見ぬ間に、桜は咲くぞ!
その咲いた自分を、誇らしげに、あるいは恥ずかしげに、
見てみようではありませんか!

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特別展「雪村-奇想の誕生」

 

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東京芸術大学大学美術館において特別展「雪村-奇想の誕生」が開催されています。 戦国時代の画僧、雪村周継(せっそんしゅうけい)の主要作品約100件と関連作品約30件で構成される大回顧展で、弊所所蔵の「蕪図」(下の写真参照)も出品されています。 雪村の生涯は未だ謎に包まれていますが、その作風は、伊藤若冲、歌川国芳など「奇想の画家」と呼ばれる絵師たちの先駆けと位置づけられ、今まさに注目すべき画家といえます。

会期は5月21日(日)までです。この機会にぜひご来場ください。

なお同展は、8月1日(火)より9月3日(日)までMIHO MUSEUM(滋賀県)でも開催されます。

 

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「蕪図」(雪村筆/禅文化研究所蔵) 禅文化研究所デジタルアーカイブズ「禅の至宝」より

 

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4月だというのに手帳がない

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新年度が始まりましたが、今年はここに至るまで手帳を買いそびれたままです。

気に入ったものを探しつつ、間に合わせのつもりで某百貨店のノベルティを使っていましたが、「もうこれでいいか」という気になってきました。

「これでいいか」というと語弊がありそうですが、使用に何の支障もない。いや、むしろたっぷりの余白は、書き散らかし型の自分にとってありがたいくらい。どのページもパタンと180度開きますし、硬めの表紙のお陰で台が無い場所でも書きやすく、また裏移りしない紙もノンストレスです!(さらには栞紐つき)

……いいこと尽くめではありませんか。間に合わせのつもりが、後からどんどん良いところが見えてきたというわけです。こんなに素晴らしい製品なのに、「所詮ノベルティ」という先入観にとらわれていたのですね。勿体ない話です。だいたい、何の根拠があって「所詮」なのかと。そんな自分も恥ずかしい。

同時にハタと思いました。「これって、持ち物に限ったことではないかもしれないなあ」。人生は選択と判断の連続とはいいますが、自分の勝手な思い込みで目の前にある素敵な物事を見逃さないようにしたいと、あらためて手帳を眺めています。

 

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唯我独尊

 

blog_誕生佛.jpg誕生釈迦仏立像(奈良時代・7世紀) 東京国立博物館 研究情報アーカイブズより

「唯我独尊(ゆいがどくそん)」。生まれたての釈尊が言われた言葉だそうです。よく知られている言葉ですが、おおもとは、『毘奈耶雑事』巻二十に、「足、七花を蹈(ふ)んで、行くこと七歩し已(お)わって、四方を遍観し、手指上下して、是(かく)の如きの語を作(な)す、『此れ即ち是れ我が最後の生身。天上天下、唯我独尊』」とあるそうです。
「天上天下、唯我独尊」。この言葉を、「この世界で、おれは一番えらいのだ」と解釈しておられる人もおられるかも知れませんが、それは、僕の独断で言えば、まったくの誤解です。この言葉は、釈尊の、現在で言うところの「孤独感」を表わした言葉だと思います。「おれはこの世に一人しかいない、おれのことを理解してくれる者は誰もいない、どうやって、おれが悟った真理をみんなに伝えていけばよいのだ」と言う、いわば絶望感なのだと思います。

「生老病死(しょうろうびょうし)」。釈尊が説かれた四つの苦しみ、四苦です。この「生苦」も、多くの人は、生まれて来る時の苦しみと解釈されておられると思いますが、これも、僕の独断で言えば、生まれて来るということ自体の苦しみなのです。生まれて来なければ、当然ですが、苦しみは発生しません。だから釈尊は、不邪淫戒を説かれました。釈尊の不邪淫戒は、性交の快楽を禁止されたのではありません。根本の「生苦」を作るなということです(もちろん、律学からは反論があるでしようが)。これが、インドで仏教が受け入れられなかった一つの要因だと思います。

僕たちは、一人で生まれて来て、一人で苦しみをかかえて生きざるを得ません。

ここで思い出してほしいのです。

自分というものは、一人しかいないのだということを。
自分の心を本当に理解出来る人は、誰もいないのだ、自分さえそうなのだということを。
だから、誰かのせいにして自分から逃げないように。

でも、みんな、そんなに強くないから、誰かの助けを求めるように。
誰かに声をかけるように。

小生も僧侶でありながら妻帯しています。しかし、妻の気持ちは、小生には分かりません。
それが、一人ということです。でも、そばにいてあげることは出来ます。一人と一人として向き合うしかありません。

人の心は分からない。だから、人の声を聞いて下さい。
自分の心は誰も分からない、だから、人に話して下さい。

結局、ブログ禅読者の皆さんの力に応援を求める、個人的な記事になってしまいました。

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謎の兵馬俑

通勤してきて研究所に着く直前、花園大学西門ヨコのフェンス内には、少し暖かくなってくると野草が咲いたり、梅雨頃には紫陽花が咲いたりするので、春になって暖かくなってきたので何か咲いていないかなと目を配るようになった春先のこと、ある日、そこに兵馬俑(へいばよう)が立っていたのです。

一瞬何が立っているんだろうと目を疑いましたが、紛い無く兵馬俑1体なのです。誰が置いたのかなぁと思っていましたが、つい先日、この兵馬俑が、研究所の通用口横に立っているではありませんか。

ちなみに、兵馬俑とは、古代中国で死者の墓に副葬される人形(武士俑)や馬(軍馬俑)で、秦始皇帝陵博物館の兵馬俑坑が有名ですね。中国で出土した武士俑や軍馬俑は等身大ですが、通用口に立っているのはもちろんミニチュアです。

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まさか歩きはしませんが、誰がここに動かしたのかなと思い、こういうことの好きそうな某スタッフに尋ねたところ、自分はやっていないし、不思議に思っていたというのです。

事実はすぐにわかりました。別の若いスタッフが、棚卸しや倉庫整理をし、廃棄品置き場にいったところ、兵馬俑がゴミと一緒に横たわっていたのを見つけたので、拾ってもどり、通用口ヨコに置いたのだと。フェンス横にあった兵馬俑を、おそらく大学の清掃担当の誰かがゴミにしようとしてしまったようなのですね。

中国で出土された兵馬俑はみんな東を向いて立っているそうですが、うちの兵馬俑は西を向いて立っています。というわけで、意味は違いますが、研究所を護ってくれているみたいになりました。ちょっとお地蔵さんみたいですが。

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研究所の花 2017/4

 

blog_MG_1877.jpgおはようございます。今週の研究所の花。
先般のブログで庭に生えているヒメリュウキンカをご紹介しましたが、玄関に生けてみました。

応接室には、クリスマスローズを中心に。

blog_MG_1878.jpgそして、無文老師のご遺影にも。

blog_MG_1879.jpg最近、改めて無文老師のご法話を読む機会があり、いいお話は、時節がすぎても朽ちないなぁと思う次第です。

さて、新年度も始まりました。気持ちも新たに、気を引き締めて参りましょう。

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