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逸話(3)越後の良寛さん―その1

いよいよ良寛さんです。この人には何の解説もいりません。
まずは、良寛さんの嗜好を紹介する2話です。

【酒は割勘(わりかん)】
良寛和尚は酒を愛された。しかし、度を越して酔いつぶれるということはなかった。だれかれと言わず、お金を出し合い、割勘で飲まれた。そして、
「あんたも一杯、わしも一杯」
と、誰かが得をしたり、損をしたりすることがないように、量も平等にしておられた。

【煙草なら後から来る】
良寛和尚は無頓着な性格で、物に執着するということがなかった。和尚は煙草(たばこ)が大の好物であったが、その煙草入れも、いくら人からもらっても、すぐに失ってしまった。ある人が心配して、六尺もある紐で煙草入れを帯に結んでやった。
そんなある日、一人の老婆が、和尚に煙草を進めると、和尚は、
「煙草なら後から来る」
と言った。
和尚の言葉を解しかねた老婆が、その後ろを見ると、和尚は、煙草入れを地面に引きずりながら歩いていた。

では、子供と遊ぶ無邪気な和尚の逸話を2話。

【かくれんぼうで一夜を明かす】
日も暮れやすい秋の頃、良寛和尚は、例のごとく子供達とかくれんぼうをした。
和尚は、刈り入れが終わって高く積まれた藁ぐまの中に隠れたが、夕暮れになり、子供達は、和尚を一人残して帰ってしまった。
翌朝早く、近隣の農夫が、藁を抜こうとそこへ行くと、奥から和尚が出て来た。驚いた農夫は、
「おや、良寛さま」
と叫んだ。すると和尚、
「黙れ、子供に見つかるではないか」と。

【天上大風の凧(たこ)】
良寛和尚が、ある宿場を托鉢(たくはつ)された時のことである。
一枚の紙を持った子供が、和尚のそばに来て、
「良寛さま、お願いだから、これに字を書いておくれ」
と頼んだ。そこで、和尚が、
「何に使うのだ」
と尋ねると、その子供は、
「凧(たこ)を作って遊ぶんだよ。だから、いい風が吹くように、“天上大風”と書いておくれ」
と言う。和尚は、すぐに“天上大風”の四字を大書して与えた。

この“天上大風”の四字は、良寛さんの代表的な書として、今に残っています。

『良寛和尚逸話選』より

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逸話(2)九州博多の仙厓さん―その2

今回は良寛さんをご紹介しようと思ったのですが、やっぱり仙厓さんは、逸話の別格者。
今回もよりすぐりの2話をどうぞ。

【魚骨問答】
ある日、寺の世話をしている某が、聖福寺の本堂下を掘っていると、生々しい鯛の骨が現われた。某は、さっそくこの骨を持って仙厓和尚の前に行き、
「和尚さん、和尚さん。本堂の下からこんな骨が出ました。この寺に、こんな魚の骨があるようでは、困ったもんですな」
すると仙厓和尚、
「そうか、そうか。どうも今の小僧どもは弱くなったわい。わしの若い時分には骨も残さなかったもんじゃがのう」と。

聞くところによれば、あの厳しい僧堂でも、布施をされたものは、魚であろうが、お肉であろうが、ありがたく頂戴しなければいけないそうです。実は雲水さん、嬉しいのかな? でも布施する人も、摂心中などは駄目で、時と場合を選ばなければいけないようです。それではもう1話。

160826.jpg【忘れぬために礼いわぬ】
仙厓和尚は、人に礼を言わない人であった。そしてその言い草が面白い。
「礼を言うと、折角受けた恩が、それきり消えるような心地がするから、いつまでも、恩を有り難く思っておるために、礼を言わないのだ」と。

仙厓さんは、人から布施を受けても、また何か世話をしてもらっても、ただ黙って低頭するだけで、別にお礼を言われなかったそうです。お礼を言われないことについて、こんな逸話があります。

ある雨の日、仙厓さんが聖福寺に近い町中で、下駄の鼻緒(はなお)が切れて困っておられると、近所の豆腐屋の女房が見付けて気の毒に思い、早速、仙厓さんのところへ行って鼻緒を立て替えてあげた。しかし仙厓さんは、ちっとも礼を言われず、ただ黙って低頭して帰られた。その後、女房が仙厓さんに会っても、やっぱり礼を言われないからムッとした。けしからぬ坊主だと思った。女房、某に向かい、
「仙厓さんは、えらいお方だと皆が言うけれども、ちっともえらくはない。雨の日に仙厓さんが下駄の鼻緒を切って困っておられるから、私が鼻緒を立て替えてしんぜたのに、一言も礼を言われない。あんな礼儀知らずの坊主ったらありはしない」
と、プリプリと怒っている。某はお寺に行ったついでに仙厓さんにこの事を語ると、
「礼を言やあ、それですむのかい。わしはもう一生忘れんつもりじゃったに」と。

仙厓さんの深い心も分かる気はしますが、やっぱり、「ありがとう」と言おうよ。その言葉ひとつで救われたり、希望が持てたりしますから。
次回は、良寛さんの登場です。お楽しみに。

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逸話(1)九州博多の仙厓さん―その1

禅宗のお坊さんは、時として、まったく奇妙な行動をなさいます。
これからしばらく、そんなお話を紹介しますが、笑うもよし、ウウーーンと考え込まれるもよし、どうぞ、ご一読下さい。
まずは、九州博多の聖福寺におられたセンガイ(仙厓)さんの話です。

【父死子死孫死】
黒田藩の重役某が和尚に面会して、
「めでたい語を書いて下され」
と依頼すると、和尚、
「よしよし」
と言ってすぐさま筆を執り、
父死子死孫死
の六文字を書いて与えた。某は眉をひそめて、
「めでたいことをお願いしたのに、死を並べて書いて下さっては、かえって不祥のように思われます」
すると和尚が言った、
「そうでない、孫死して子に先立たず、子死して父に先立たず、家に若死にがないほどめでたい事が世にあるか」と。
某もその意がわかり、おおいに喜んで頂戴して帰ったという。

この逸話は、正月の出来事であったという説もあり、やっぱり少しやりすぎかな? それではもう1話。

160825.jpg【踏み台となった仙厓和尚】
仙厓和尚のもとには多くの雲水が入門していた。聖福寺の近くには花街があったために、中には行ないの悪い雲水もいて、夜間ひそかに屏を乗り越えては花街通いをする者もいた。その屏が高いので、僧たちは、その下に踏み台を置いて登り下りしていたのである。
しかし、こんなうわさが師匠の仙厓和尚に伝わらないはずがなかった。みずからの不徳を恥じた仙厓和尚は、ある夜、彼らの帰る時分を見はからって、屏のところへ行くと、その踏み台を取りのけて、そこに坐禅して帰りを待った。
そんなこととは知らない雲水たちは、夜明け近く、こっそりと帰って来て、外から屏をよじ登って、さて内側に下りようとすると、どうしたことか、あるべきはずの踏み台がない。はて、どうしたことかと怪しみながら足でさぐってみると、ともかく踏み台の代用らしきものがあったので、それに足をかけてようやく下に下りた。
さて、下に下りて星明かりにすかして見ると、あろうことか、踏み台代わりにしたのは、何と師匠の仙厓和尚の頭である。さすがの悪僧どもも色を失い、その場に平伏した。

余りにも有名な逸話ですが、お弟子さんを思うお師匠さんの気持ちが伝わって来て、いつ読んでも好きな話です。

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摩訶不思議な仏縁

 

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上の写真は、自坊の本堂中央に掲げられている木製の扁額です。ちょっと読みにくいでしょうが、右から「瑠璃殿」と書かれています。自坊のご本尊は薬師瑠璃光如来(秘仏)なので、この額が掲げられているのでしょう。私も、そして父もこの額がいつ掛けられたのかは知りません。
書かれたのは、大本山妙心寺の初代管長を勤められた鰲巓道契禅師(1814~1891)です。ただ、自坊にはこの元になる書は遺っていませんでした。

今年5月に自坊の先々住の五十回忌をお勤めしましたが、それに合わせて閑栖がその師匠である先々住との想い出を一冊の本にして私家版『枯淡の家風』として上梓しました。その本の中にこの額の写真を載せておいたのです。そして、法要においでになった方々にはもちろんですが、ご縁のある人には、顔を見ると差し上げていました。

その50回忌の翌日のこと、私の修行時代の1年先輩の和尚が、悲しいかな早逝してしまわれ、翌月、その津送のために沼津のお寺に行った時の事。

そこに同席されていた京都で墨蹟などを扱うお店をされているご主人Yさんが私におっしゃるのには、「先日いただいた『枯淡の家風』の中に「瑠璃殿」という扁額が載っていたが、その元になったと思われる墨蹟を、近頃、業者のオークションで手に入れ、自分の所の広告に載せていたところ、とある方が店を訪ねられてこれを欲しいと仰ったので売ったのです」と。聞くと、その方のお寺も薬師如来がご本尊で、近く新命さんの晋山式を行なうので、それまでにとのご希望だったとのことで、古い痛んだ表具は外して額装にして納めたばかりだとのこと。

その話を聞き、大変興味を持ったので、いったいどこのお寺にお納めになったのか、よろしければ教えて欲しいと聞いたところ、私の隣の和尚を指さし、「この方なんですよ、それが……」と。

なんと私の隣に居たのは、私の修行時代の同夏(同期)。つまり最も近しい修行仲間のSさんなのでした。Yさんは私とSさんが同夏だということはご存じなかったので、これはホントに偶然だったのです。あまりに不思議なことなので、三人で声をあげて驚きました。

さらに、Sさんの祖父にあたる方も自坊で50回忌をした私の祖父と同じく、岐阜の虎渓僧堂出身。話を聞くと、うちの祖父とそっくりな枯淡な家風だったことにも驚き。ほぼ同じ時代に虎渓僧堂におられたようです。

祖父の50回忌があってその為に作った本、そして、このタイミングで3人が出会った不思議。なんとも摩訶不思議な仏縁としかいえないことでした。

Sさんのお寺に納められたのは下の写真です。どうです、まったく同じ物でしょう?

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鎌倉大坐禅会のお知らせ

 


160809.jpg平成28年10月29日(土)、30日(日)に遠諱企画の締めくくりとなる大坐禅会を鎌倉で開催いたします。

これまでにも有楽町よみうりホールや六本木ヒルズなどの会場を使用して講演会やイベントを行ない告知して参りましたが、鎌倉禅の源流である大本山建長寺円覚寺にて坐禅会を行なうことが決定いたしました。

提唱と坐禅がセットになっており、食作法に則っていただく昼食や写経などのオプションもあります。
募集人数は全コース合計1440人です。間もなく定員となるコースもありますので、お早めにお申し込み下さい。

凛とした禅寺の雰囲気の中、初心者を含め、一般の方々が本格的に禅体験できる貴重な機会となっていますので、みなさまのご参加を心よりお待ちしています。

詳細並びにお申込みはこちらからどうぞ。


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サンガセミナー -香りを知る- ご報告


160809-1.jpg7月20日に、村田真彌子先生を講師に開催させていただきました、サンガセミナー -香りを知る- のご報告です。

女性の方に多くおこしいただく講座となるのかな……と思っていたのですが、予想に反して当日は和尚様がたの参加が多いセミナーとなりました。

少人数でしたので、先生を囲んで椅子席におかけいただき、皆さんのご意見を交えつつ、とっても和やかな学びの場となりました。


古来より祈りの場など、清浄に保つべき場所には必ず必要とされた香り。
実用的には、病から身を守る事にも使われてきました。

お釈迦様からイエス・キリスト、クレオパトラ、マリーアントワネットなど歴史上の人物と密接な香りの歴史や、改めて一休禅師の「香十徳」などについてもお話をうかがい、実際に、レモン・ブラックペパー・サンダルウッドの香りを体験し、それぞれの感想を伝えあい、香りと記憶の密接な事から、香りがどのように脳に働きかけるのかを教えていただき、それが医療に取り入れられている現実を知りました。

実際、アルツハイマーや認知症治療にも効果があるようで、そのようなデータを拝見しつつ、受講された皆さまは、ご自身の健康にも生かしていきたいと思われたのではないでしょうか。



お寺の庭にはびこってきたミントの使い方や、ペットのダニや虫刺され予防についてなどの具体的なご質問も出ておりました。
リラクゼーションにとどまらないその様々な効果から、何故昔から珍重されてきたのか、祈りや宗教とも密接なのか紐解く事ができたかと存じます。
個人的にもまたお話拝聴したいほどに楽しく興味深く、2時間があっという間でした。

*現在、10月以降のサンガセミナー、参加者募集中です。10月18日の創作精進料理講座は、定員に達しましたので、キャンセル待ちを受付け中です。 宜しくお願い申し上げます。


*16日(火)までお盆休みを頂戴します。ブログもお休みさせていただきますが、ご了承くださいませ。

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夏の方広寺(浜松市)へ

 

20160802-1.jpg先般、臨済宗方広寺派の本山である浜松の方広寺へ、禅文化研究所デジタルアーカイブス事業の悉皆調査に出向いてきました。

方広寺様へは今回で2回目の調査となります。1回目は2月上旬に1泊2日で、今回は2泊3日。さらに今回は、花園大学歴史博物館のスタッフのほかに、弊所の事業に興味をもっていただいた他所の学芸員の方や大学院生も含め、総勢10名での調査となりました。

京都方面からは東名高速豊田ジャンクションから、新しく開通した新東名を通っていくことによって、だいぶ時間短縮となり、便利になりましたよ。方広寺の方に聞くと、やはりその効果で名古屋方面からの参詣者が増えたとの事でした。

方広寺は明治14年に山林大火に遭い、大部分の伽藍を焼失してしまわれました。しかしながら、開山円明大師の御墓所と七尊菩薩堂、開山本像、そして半僧坊真殿が焼け残ったとのこと。その後の復興にあの山岡鉄舟居士が盡力されたようで、鉄舟居士の墨蹟なども何点もあります。上の写真にある本堂正面の扁額の文字も鉄舟居士によるものです。

※ちなみに、今回も調査に同行してくれている花園大学歴史博物館の学芸員・志水一行氏には、本年度の第5回サンガセミナー「掛け軸の扱い方講座」の講師を勤めていただきます。日頃の掛け軸の扱い方に間違いがなかったかチェックするのにいい機会では?

そしてまた、方広寺といえば山内に五百羅漢石像が安置されています。夏の蝉時雨のなか、佇む羅漢さん達をご紹介します。

20160802-3.jpg20160802-5.jpg20160802-2.jpg方広寺では、坐禅や写経の体験などを日帰りや一泊でさせていただけるプランも用意されています。8月21日には夏期講座も開かれるようです。羅漢さんたちに会いにお出かけになって、少し体験もしてみるというのは如何でしょう。

 

【禅文化研究所から夏期休業のおしらせ】
誠に勝手ながら、下記の期間を夏期休業とさせていただきます。
ご不便をお掛け致しますが、ご了承くださいますようお願い申し上げます。

【休業期間】2016年8月11日(木) ~ 2016年8月16日(火)

※書籍のご注文は、8月9日(火)の午前中までにいただきましたら、9日中に発送させていただきます。それ以降のご注文につきましては、17日(水)以降、順に発送させていただきます。

 

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サンガセミナー 傾聴の基本を学ぶ ご報告



160808-1.jpg先月、禅文化研究所の本年度サンガセミナー第2回で「傾聴講座―カウンセリング技法に学ぶ傾聴の本質と実際」と題して、花園大学学長の丹治先生に講義いただきました。主催者側ではありながら、興味を持って拝聴させていただきました。

以前、住職研修会にても「傾聴の基本」の講習を受けたのですが、その際に、非常に印象に残ったのは「ひたすら聴く」ということで、自らは話はしないということでした。しかし、僧侶として生きてきていると、どうも聴いているだけということに違和感を感じていたのでした。

しかし、今回の講座を聴いて、心理学の世界でいう「クライエント中心療法」という技法により、積極的傾聴ということがあることを知りました。

ここでは講座の内容を詳しく説明する事はしませんが、相手と同じ立場に立つことによって共感をしていくのが傾聴であり、学校や家庭などにおける教育という場合とは全く異なります。

講座を聴いている間に、では、宗門人である私たち僧侶は教育者の立場でいるべきなのか、傾聴者の立場でいるべきなのか、よくわからなくなってきたのです。お釈迦様や祖師の教えを元に、檀信徒の方々の前に立ってまがりなりにも説法しなければならない自分の立場もあります。そして、あるときは、一人訪ねてきたお悩みのある檀家さんに対して、傾聴者という立場をとらなければならない事もあります。

あるいは、自らも傾聴者に対してのクライアントになることもあることに気付きました。誰かに話を聞いて欲しいのですね。

160808-2.jpg説いて、説かれて、聴いて、聴かれて……。最終的には「自他不二」を実感した講座でありましたが、具体的な事例も教えて頂き、今まで以上に、傾聴者たるべきときは「相手の感情を思い図って共感をする」という大切な事を再認識するいい機会となりました。

受講者の方々からの感想もよく、もう少し実践的な事をしてみたいというご希望もありました。時間的なこともあり、今回はあまり実践をしてもらうことができませんでしたが、次回はそういったことも考慮して開講できればと思っています。

 
*サンガセミナー 今後開催の講座についてはこちらからどうぞ

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サンガセミナー -禅の庭講座-

 

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研究所で開催させていただいておりますサンガセミナーでは、一昨年より、京都造形芸術大学の町田香先生をお招きして、禅の庭に関する講座を開催して参りました。

1回目は、「禅の庭入門講座―室町・鎌倉編」、2回目には「禅の庭入門講座 -近世近代編-」と、時代を追って庭というものがどう変遷し、禅の庭が出現したのか…というところか、近世近代の庭までを一通り座学で学び、さらに現地に赴き庭園を拝観させていただきました。

3回目となる本講座では、公家と縁の深い禅寺に注目し、「禅の庭講座 ―江戸時代初期の宮廷文化と禅の庭」と題しまして、光雲寺さんと霊鑑寺さんに参拝させていただきます。

南禅寺派光雲寺は、ご存知東福門院様の菩提寺であります。東福門院様は、徳川秀忠の娘で、後に後水尾天皇の中宮となられた御方。
御所での説法を度々行なわれた一絲文守禅師に帰依されたことからも、京都中の禅寺で、東福門院様の寄進による建造物、庭、石、その他宝物などが見られますので、皆さまもこの御名に覚えがおありではないでしょうか。

宮中との繋がり強く、禅寺とはまたひと味違った赴きのある光雲寺。
今回は、ご住職の田中寛洲(かんじゅう)老師が、御自ら宝物についてもご説明くださるまたとない機会です。

160805-2.jpgそして、南禅寺派霊鑑寺は、後水尾天皇の皇女、宗澄女王(多利宮さま)がご開山。
明治維新まで皇室や摂関家などから入寺されたため、「鹿ケ谷比丘尼御所」「谷の御所」とも呼ばれ、地形を生かした瀟洒な庭園の雰囲気が尼門跡寺院らしく、特別公開時にしか参拝できません。
私自身、こちらほど雅なもみじの木は無いのではないかと思っています(大木なれど、葉が小さくなんともかわいらしいのです)。

光雲寺さんでの老師による宝物案内、町田香先生による座学に続き、両寺院の庭園拝観というスケジュールです。ご参加お待ち申し上げております。

お申込み・詳しくはこちらをご覧ください。

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サルスベリの花


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八月に入り、いよいよ夏も本番である。山寺のムクゲは、数を減らしながらも、咲いては落ち、落ちてはまた別の花が咲き、小生に、人生の無常と、その無常の中で、どう生きていくのかということを考えさせている。

そのそばにはサルスベリの樹が植えられている。もう青葉が茂りに茂っている。ムクゲが終われば、この花樹が、紅(くれない)の花を開いてくれる。

サルスベリは、幹の皮がなめらかでツルツルしており、猿もすべるから、この名前がついたというが、猿も出没する山寺に暮らす小生でも、さすがに猿がすべったところを見たことはない。古人がじょうずに命名したのであろう。何とも可愛らしい名前である。

ところで、サルスベリの中国名は「紫薇(しび)」である。とても綺麗な名前だが、紫色の薔薇(バラ)と読んでしまいそうである。紫微(王宮)に多く植えられたから命名されたそうだが、その別名が日本でも有名な「百日紅(ひゃくじつこう)」である。

たびたび無粋だが漢文を一つ。ある「花譜」に「紫薇、一には百日紅と名づく。四五月、始めて花(はなさ)き、開謝接続(咲いたり散ったりして)、八九月に至る可(べ)し」とあるように、とても長い間、咲いててくれる。もちろん、同じ花が百日咲いているわけではない。その点は、ムクゲと同じである。

実は、日本禅録に用いられる「百日紅」は、直接、サルスベリを言うものではない。その別名に掛けて人生の無常を説くのである。ある禅匠の百箇日忌の法語に「百日紅過春作夢(百日、紅過ぎて、春、夢と作(な)る」とある。これは、中国のことわざに「人に千日の好無く、花に百日の紅無し(凋まない花はない)」(『水滸伝』第四十四回)と言われるところから来ている。

一日のムクゲも、百日のサルスベリも、散っていくのに違いはない。さて、どう散っていくか。六十の小生は、まだその答えがみつからないでいる。

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ハスの花―衆生、本来、仏なり



160803-1.jpg先般は、ムクゲの花についてラチもない話をしたが、仏教の花と言えば、やはり、ハスの花である。泥の中から出て、その汚れに染まらないハス。「新荷仏」という言葉さえある。

7月の中旬、臨済宗のある本山を訪ねたが、境内の池には、もうハスの花が満開であった。施食会(せじきえ)に参加した塔頭(たっちゅう)寺院の精霊棚(しょうりょうだな)にも、ハスの花が献じられていた。「ひとつき早いなあ」と思った。

小生の山寺のハスが咲くのは、8月に入ってから。それも、お盆に近づいてからである。小さな池ではあるが、毎年、花を咲かせてくれる。池には山からの水が引かれているから水温も冷たく、そのぶん、開花も遅い。しかし、小生の山寺の施食会は、8月19日だから、ちょうどいい具合にハスの花を精霊さんたちに供えることが出来る。

開いている花を一本、ツボミの花を一本、開いている葉を一本、巻いている葉を一本。そして、花を落とした、まだ青々しいハチスを一本。毎年、供えるのはこの5本と決めている。これで十分である。ゾクっぽいが、すべてタダである。小生は、8月に花を買ったためしがない、ありがたいことである。

160803-3.jpgところで、またもや無粋な話であるが、なぜ、ハスが仏花の代表的存在であるのか。もちろん、宋の詩人周茂叔が「愛蓮説」に「蓮は淤泥(おでい)より出(い)でて染まらず」と歌うように、泥の中から綺麗な花を咲かせるからだが、ハスのツボミの中には、既に実が結ばれており、一切衆生が本来的に仏性を具えている喩えに用いられるからだと思う。

池のハスよ、ゆっくり育ってくれ。衆生、本来、仏なり。

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季刊『禅文化』 もくじのカット


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季刊『禅文化』の扉のページには、いつも小さなカット(画)を添えています。
241号より、そのカットを、水墨画家の平川功(こう)先生にお願いしております。
夏号ということで、今号は蓮の画を…。 小さなカットですから、水墨画でバランス良く…となると色々工夫をしてくださったようで、このような静謐な雰囲気漂う扉ページとなり、喜んでおります。

160802-2.jpg平川先生には、昨年もサンガセミナーで水墨画講座をご担当いただきました。
今年度も、「秋を描こう」という副題で、水墨画講座をお願いしております。秋の花や秋の実りを描く事に挑戦です。

全く水墨画をされた事の無い方を対象にしておりますので(された事ある方、習っている方ももちろんどうぞ)、筆の運びから、墨の滲ませ方、濃淡のつけ方など、丁寧に指導していただけます。

墨の香りにつつまれ、集中しながら過ごすひとときは、大人になるとなかなか画を描く事のない者にとってはとても新鮮です(私も体験してみました)。
さらに、受講後は今まで「何故これが国宝なのだろう?重文なのだろう?いまいち難しい、わからない水墨画の世界…」と思っていた墨一色でありながら彩り豊かな世界が、少し近くなり、鑑賞する楽しみも増える事と存じます。

【詳細・お申込みはこちらからどうぞ】
11月10日(木)13時~15時
於:円町 法輪寺(達磨寺)
参加費:4千円

ちなみに同日の午前中(10時~12時)は、「掛け軸の扱い方講座」を開催します。わかっているようでわかっていない?!掛け軸の扱い。この機会に、きちんと学んでみませんか? あわせてご案内致します。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

*平川先生が、ご友人たちと本日より京都の美山にて、グループ展を開催されています(9/4まで)。
詳細はこちらからどうぞ。

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暑い暑い暑い―ガリガリ君がうまい

小生の仕事部屋のクーラーが故障した。暑くてたまらない。山寺でも、日中は暑い。こういう時は、昼間からビールでも飲みたいところだが、仕事に支障をきたす。ガリガリ君にしておこう。

ところで、ある語録を読んでいて、興味深い言葉に出くわした。

「賜氷節(しひょうせつ)」という言葉である。「賜氷」は、頒氷(はんぴょう)とも言い、盛暑の時、天子が臣下に氷を頒(わか)ち賜(たま)うこと。『周礼』天官・凌人に「夏、氷を頒ちて事を掌(つかさど)る〔暑気盛ん、王、氷を以(もっ)て頒ち賜う〕」とある。中国では決められた日はないようだが、日本では6月1日が当てられたようだ。『翰林五鳳集』巻六十二に載る詩(作者不明)の前文に「六月一日、世伝えて以て賜氷の節と為す。蓋(けだ)し天官を擬すれば、所謂(いわゆ)る中夏頒氷なり」とある。

新暦で生きる現代人には、6月1日が盛夏とはピンとこないが、2ケ月足せばよく実感できる。旧暦(陰暦)では、1・2・3月が春、4・5・6月が夏、7・8・9月が秋、10・11・12月が冬である。有名な禅語「六月、松風を買わば、人間、恐らくは価(あたい)無からん(6月の清風には値段も付けられない)」の「六月」と同じで、6月は真夏なのである。体感を陰暦に合わせることが、漢詩や語録を読む場合の必須である。

160725.jpg話が脱線したが、宗門では、6月1日の半夏節(はんげせつ)を氷節と呼び、衆僧に氷や冷たいものを饗応していた叢林もあったらしい。「熱時熱殺(暑い時には暑さに徹する)」などと言うが、暑い時は暑いのである。

読者の皆さんも、あるいは部下にアイスクリームをおごったり、あるいは上司におねだりしてみてはどうですか。なにしろ、古い古い伝統なのですから。

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