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棚からぼた餅

 

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おはようございます。

古都奈良に春を告げるとされるお水取りも、そして寒さも彼岸まで…の、お彼岸も終わりました。
桜も咲き始めております。

これであたたかな春が…と思いきや、本日の空気はなかなかにひんやりしております。
御地はいかがでしょうか?


さてお彼岸といえば、3月はぼた餅をいただきますが(9月はおはぎですね)、ぼた餅と聞くと私が思い出す、気の引き締まる2つのお話があります。

1つは、ある成功者の方が、強運の持ち主だと言われた事に対して、

「棚からぼた餅などという事は無い。私はぼた餅が落ちてくるところへ走りました」。と仰った事。

華やかにご活躍の裏に、やはり人には言えぬような努力と忍耐があるのだなぁ…と、内からにじみ出るような彼女の美しい佇まいを、それ故かと思うのです。


そしてもう一つは、堀内宗心宗匠にお願いし、弊所より刊行しました『歩々清風』のまえがきです。花園大学時代に茶道部に入っていらっしゃった臨済僧堂の阿部宗徹老師にお願いを致しました。
*花園大学の表千家茶道部は、堀内宗匠がご指導なさっておられます。

そらんずる…とまでは参りませんが、大好きで胸に刻んでいる一文です。少し長くなりますが、ご紹介致します。

私にとりましての彼岸のぼた餅は、決して甘くはないのでした。

 

さて、皆さんは千利休さんによって完成されたお茶の世界が全てだと思っておられませんか。しかし本当は、自分の先生方がどのように生きて、どのように活 躍されたかという歴史もふまえながら伝統の継承を行なわなければならないのではないでしょうか。師として崇める方の、あるいは師であると胸に抱く方のお名前と歴史をしっかりいただかなければ、私たちは継承できないだろうと思うのです。お慕い申し上げる方の全てを盗みとるのだ、その方から全てを習うのだとい う思いが必要なのではないでしょうか。
文化の継承というのは、棚からぼたもちのようには受け継ぐことはできません。限りない努力をして、肌から感じ取っていきながら身につけていくものだと思われます。そういう努力が報われて、やがてだんだんと汗を流し歯を食いしばるような努力が失われていって、漸く自分が開放された時に自然に招かれていくのです。
私たちは“受け継ぐ”とか“文化を知る”とかいいながら、その中にいることすら気がつかず、それを行じてもいないことがたくさんあります。そして心の中にはいつも溢れるような情報と虚構の世界がたくさんあります。しかし、その一つ一つ余計なものをかなぐりすてていって、ついには何にもなくなったということもなくなる世界があるのです。それは自分で意識しなくてもわかるのですが、そういう体験に包まれていかない限り、本当の精神世界は自分の手にとれませ ん。
伝統の継承、文化の継承というのは、先人先達の生き様やそのあとを、そして熱意を丸ごと感じとって、実はこちらの方がひたすらに習い、ひたすらにひたすらに求め続けていって、はじめて伝わっていくものではないのでしょうか。

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by admin  at 09:00  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)