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技を訪う-慈照寺の花(一)こみ藁-

日々の生活で出会った素晴らしい様々な“技”を、季刊『禅文化』にてご紹介しています。 本ブログでもご紹介させていただきます。
その他の記事はこちらから。

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季刊『禅文化』230号より “技を訪う -慈照寺の花(一)こみ藁-”
川辺紀子(禅文化研究所所員)

 

“慈照寺花方”。この聞き慣れないことばと出会ったのはいつの日だったか。ある雑誌に紹介された生け花の写真や記事を食い入るようにして見たのが懐かしい。強烈に脳裡に刻まれたものの、雑事に追われ、他の流派で花の稽古をしていたこともあり、詳しく調べることもなく過ごしていた。

後にとあるブログで、書き手が習う花の稽古の内容や、生けた花の写真にいたく心ひかれるようになる。どちらの流派で学ばれているのか問い合わせると、くしくも慈照寺(銀閣寺)で行なわれている稽古に参加しているとのこと。
意識を向けていれば何らかの縁に導かれるものか、慈照寺研修道場にて行なわれている花の稽古に実際に参加させていただき、その“慈照寺の花”について、本誌で3回に亘りご紹介させていただく運びとなった。

平成16年(2004)、慈照寺に華務係が設けられ、花に関わるいっさいのことを司る〝花方〟となられたのが、珠寳先生である。たったお一人で始まった華務の仕事も、月日が流れれば体制も変わり、現在では研修道場での指導に加え、国内での献花、さらには海外にまで、花によって日本文化と禅の普及をするべく、韋駄天のごとく飛び回っておられる。

140117a.jpg6月、和歌山の立岩農園さんでの田植えに参加


そんな珠寳先生にまず初めに教えていただくのは、花を生けることではない。花を留める道具となる、“こみ藁”作りである。慈照寺の花の稽古では、まずはそこから始まるのである。
藁は、和歌山で無農薬米を育てていらっしゃる立岩視康さんが丹精込めて作られたもの。立岩さんが初めてこみ藁を見た際に、「このように美しい使われ方をするのか……」と感動し、それ以来奉納されるようになったのだとか。今では時間が許す限り、珠寳先生をはじめ、研修道場の職員や有志が立岩さんの田んぼを訪れ、田植えや草取り、稲刈りまでを実体験されているというのだから、藁を扱う心地もまた違ってくるのは必定で、その徹底ぶりには心底感嘆してしまう。
何でもお金を出せばすぐに簡単に手に入り、便利が当然となった昨今。時間と手間をかけ、世間の流れとは逆行するかのようなこの行為こそが、伝統回帰にとどまらず、さらには伝統発展への足掛かりとなり、慌ただしい現代で自身の心を見失いがちな人々を、おおげさではなく、救うきっかけとなる気がした。
出来上がったこみ藁の、凜と引き締まった美しさの奥に、何人もの手や思いが込められていたことを知り、なまなかでは、このように人の気持ちをひきつける美しい花留めができはしないことを知る。実際に作らせていただいたことにより、頭で思い描くようには鋏も上手く使えず、手先もなかなか言うことを聞かず、さらにその思いは深まった。

140117b.jpg花器によって、長さも太さも違うこみ藁。変幻自在

そもそも花留めには、剣山や七宝、オアシスなど、形も材質も様々に工夫されたものが多数あるが、この最も古典的な花留めである〝こみ藁〟は、室町時代末期より使われてきている。いまだ当時と変わらぬ姿で残っているのは、優れた花留めであるからに違いない。使い終われば小束に戻して清め、干して乾かせば再利用が可能。傷んだ部分は取り替え可能。たとえ使えなくなったとしても自然に返る。
しっかりとした〝こみ藁〟を作ることができるようになれば、太い枝ものは尖端を削ることにより、藁にぐっと力強く支えられ、水際からすっくとそこに立ち、天に向かう。繊細な草花も、添え木がなくともしっかりと受け止めてくれるという。それぞれの木や花が、それぞれあるべき位置でしっかりと立つことができれば、おのずと花器の上にあらわれる花も生きることが、「花を生ける時も、花瓶の上はほとんど見ていません」という珠寳先生の言からもよくわかる。見えていない部分こそが大切……。
なんにおいてもそうだが、外側(見える部分)のみをいくら取り繕っても、土台や芯のないところに本当の美しさはない。〝こみ藁〟がしっかり作れるようになってこそ、花も生きてくるのだろう。なんともごまかしのきかない世界である。
また、こみ藁が道具として秀でており、花を立てやすいということは、花の気持ちと一つになれることがあるのであれば、それに添いやすいのではないか。定まりやすさはそのまま、花の心に添うことに通ずる。
まだ花を生けてもいないのに想像であれこれと言っているが、〝慈照寺の花〟というものが、現在の自分自身と向き合わざるを得ない花であり、生けた花そのものが自分であることは、この初めの一歩、こみ藁作りからもよくよくわかるのである。
なかなかうまく藁を縛れない、鋏も満足に扱えない自身のできなさを受け入れ、真っさらな気持ちで新たなことを学ぶ。なんとも清々しく嬉しい心持ちで、暑さも、今までの経験も、自身の年齢すらも忘れるひとときであった。

 



〈こみ藁づくり〉
*本来は、秋に収穫された米の藁が奉納され、年が明けた1~2月に研修道場にてこみ藁づくりが行なわれるが、今回は特別に教えていただいた

140117-1.jpg①こみ藁作りのために用意された藁。
懐かしくあたたかい香りが部屋に満ちている

140117-2.jpg②まずは藁のはかまを掃除する。藁の感触と音が心地よい。
最後に残った穂先は箒に。余す所無く使われる

140117-3.jpg③掃除後の藁。無農薬の藁は、素手で作業していても手荒れすることがない。
農薬が使われた藁の場合、肌の敏感な人は荒れてしまうのだとか

140117-4.jpg④珠寳先生より小束の作り方を教わる。使う糸は、畳紐。
とっくり結びをし、固く括れば、ほどけることがない。
きつく縛るため、慣れぬ者は指に水ぶくれが

140117-5.jpg⑤小束をいくつも作り、冷たい水にさらして灰汁抜きをした後、
花器の口径にあわせていくつかを束ね、さらに高さもあわせて利用する

140117-6.jpg⑥小束の状態で灰汁抜きをする。本来は、1月~2月の寒の頃に水にさらす。
水は灰汁で茶色くにごるため、それが透明になるまで何度も水を換える。
地道で大変な作業である


【銀閣 慈照寺 研修道場】
慈照寺が、平成23年(2011)年4月に開場。
足利義政公のもとに発展し、日本文化の礎となった東山 文化。以来継承され続けて来た茶・花・香を中心に、伝統文化・芸術を護り、伝え、学ぶ場。その活動は国内に留まらず、永い年月をかけて培われてきた素晴ら しい禅文化の底力でもって、ことばのみでは伝わりにくい〝禅〟をも海外に向けて発信・普及するに到っている。

 


*次回の季刊『禅文化』231号「技を訪う -慈照寺の花(二)湧き水と花畑-」は、2014年1月25日に発売予定です。

 

by admin  at 09:00
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