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東北の被災地を再訪 2

日没の早い東北の地、初日の夜は盛大に檀家さんたちと酒を酌み交わして楽しみ、また、楽天対巨人の試合を観戦。東北の希望の星である楽天を応援しましたが、初戦は辛くも敗れてしまいました。仙台のホテルは双方を応援する人たちで満員だとか。
半月を観ながら温泉を楽しみ、ゆっくりさせてもらいました。

松島の日の出

翌朝、松島の朝日に気持ちよく目覚めさせてもらい、一路、気仙沼へ。

途中、南三陸町を経由。「南三陸さんさん商店街」で、ちょっと休憩。
前回来たときにはひっそりしていて、まわりには津波で壊れた廃屋ビルがあっただけで、何もなかったのですが、今はそのビルもきれいに取り壊されて駐車場が拡大し、また隣にはホームセンターができていたりして、少し様変わりしていました。
あの防災庁舎はまだ佇んでいましたが、近く取り壊しが決定したとか。今でも取り壊してほしいという声と、残してほしいという声とが入り交じっているようです。
宮城県では津波によって被災したところはほぼ瓦礫は取り除かれ、ところどころにある処理場で重機が分別作業をして、巨大な焼却施設で処理をしているようです。前に来たときには、あちらこちらにあった壊れたビルの多くも跡形もなく片付けられ、またペンキで番号が書かれ積み上げられていた廃車も全く見つけることができませんでした。

またJR気仙沼線は、あちこち分断され見る影もありませんでしたが、今はその一部を舗装して専用バス道路として利用するようになっているそうで、列車に代わる交通手段として、今後はこのままで行くとか。


そして、前回の時にも訪ねたのですが、気仙沼の地福寺様へ到着。

この地福寺のご住職・片山秀光師は、「めげない、にげない、くじけない」をモットーにして震災後にも活発に活動され、復興に向けてのリーダーとしての役割を担っておられます。
また、「海辺の森を作ろう会」という団体の副理事長も務められ、海を防波堤で仕切るのではなく、自然と共生していける環境をつくろうと植樹活動も行なわれています。

まず、境内で片山住職より被災したときのお話を伺いました。前回来たときにはなかったのですが、鐘楼のあとにはお地蔵様が建てられ、また大鐘は、流されていた門柱を再利用して釣り下げられていました。また近くには巨大な瓦礫の処理上があり、大型ダンプがひっきりなしに向かっています。

先の方に海が見えますが、もともとは檀家さんたちの家がびっしり建っていて、ここから海は見えなかったということです。

地福寺 流された鐘楼あとに

ところが、下の写真に書き込んでいるところまで津波は押し寄せ、本堂の中にも流れ込み、隣に建っていた庫裏も「そっくり」流されたとシャレを交えてお話しされましたが、笑って聞いているわけにはいきませんでした。

bz2013_10_27_0117.JPG

本堂にあげていただいて、檀家さんたちとお経をあげ、焼香をさせて頂きました。
本堂の上間と下間には、犠牲になった檀家さん150名のお位牌やお遺骨が、びっしりと祀られておりました。お位牌だけが祀られている方もあり、まだご遺体の見つかっていないのだとうかがいました。
お茶とお菓子でおもてなしいただきながら、気仙沼で撮られた震災当日の津波の動画を見せても頂きましたが、それは目を疑うほどのものでした。


また、海べりにあった墓地は流されてしまったので、最近、下記のような納骨堂を建てられ、墓地の代わりにお参りできるようにされておりました。

新しく構築された地福寺の納骨堂

片山住職と握手をして、復興成就をお祈りしお別れしました。

ところで、今回の旅行は、私の掛搭していた僧堂仲間(仙台のお寺の住職)に紹介してもらった、仙台の「たびクルー」という旅行社社長の佐藤さんにお世話になりました。たしか行程表には添乗員無しとなっていたのにもかかわらず、実際には佐藤さん自らいろいろと便宜を図ってくださって、至れり尽くせりのサービス。宴会場ではお酒の手配も。本物の「おもてなしの心」を感じた次第です。おすすめします。

さて、まだ東北の地を訪れていない方、是非、赴かれることをおすすめします。復興は始まってはいますが、まだまだであることが、現地を訪ねられたらよくわかると思います。

by admin  at 07:30
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