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インドネシアの手仕事 vol.1 -Bali-

職員によるバリ日記

130628-1.jpgどこの国へでかけて行っても気になるのが、その国の手しごと。
なにげなく使われている籠、水瓶、箒、陶磁器。あらゆるものが気になります。

上写真(grass house Bali)の籠は、蚊よけの為に燻す枯葉をためておく籠。上に乗っている箒は、なんとヤシの葉の葉脈の繊維で作られた箒。これが、適度な弾力を持ち、しなり具合抜群で、もしや竹ぼうきを上回るのではないか?!と思うほどに枯葉集めに最適なのです(もちろん買って帰りました、我が家ではインテリアとして反対向きに置いて飾られていますが…)。

130628-2.jpgもう一つ、この素焼きの器。お香を焚く為に使われていましたが、実はバリヒンドゥーの寺院へのお供え物をする為の台なのだとか。変に凝った物よりもシンプルで嫌味が無く、素敵なのです。

そんなこんな、バリでは普通の生活雑貨。地元の方々が訪れる市場でたくさん売られています。その中から良い物が無いか物色する為にでかけてみました。

130628-4.jpg魅惑的な手しごとによる品が、溢れんばかり。

130628-5.jpg3つ購入して1000円しませんでした。仕事が丁寧で、工夫がある物を選びました。
籠ばかりを売る店でも、少し仕事が雑な店と、丁寧で工夫のある店、それぞれに特徴があり面白いものです。上の3つは全て同じ店で購入です。

130628-6.jpg細やかな仕事。一体どのように編んでいるのか……。とても美しく感動してしまいます。
この籠は台がついて少し高さがあるので、フルーツや野菜などを置いておくのにちょうど便利です。日本の台所にもしっくり馴染んで、既に落ち着いています。

自国の文化や手しごとを敬う気持ちは、他国に行ってそれを観る目を養ってくれています。

 

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ウブド -Bali-

 

130626-1.jpg「本当に病んでいる人に、自然に身を置きなさいなんてとんでもない。エナジーを吸い取られるほどに、自然のパワーというのはすごいものなの」。 -秦泉寺さん曰く-

130626-2.jpg約25年で高い屋根よりもさらに高くなったgrass houseの木々

軽井沢ならいざしらず、バリの自然のエネルギッシュな事といえば、本当に秦泉寺さんがそう仰るのも頷けます。溢れんばかりの生命力。油断していたらこちらがやられそう。植物の育つ早さも日本とはわけが違うのです。

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山の中のパワーを感じる場所といえば、ヨガのリトリートなどもよく開催されているウブドが圧倒的(観光地めいていますが、それでもやはりすごいです)。

ホテルの部屋のテラスからすぐに広がる大自然。今年初のホタルの光も拝めましたが、日本の幻想的なそれとは全く違い、激しい点滅(さすが!)……。

深い緑のどこかから、川の水が豊かに流れる音、虫か鳥かはたまた獣なのかわからぬような様々な鳴き声。夜になり、深い闇が世界を覆っても、音が止むという事が無いのです。

130626-5.jpgこのホテル。一体山の中にどのように建っているのかわからないような一体感で、まさにインディー・ジョーンズの世界。深い山に残され、人類からも忘れ去られた遺跡の中にいるようなのでした。

最近では、こんな(下写真)ホテルが流行っていますね。ものすごいロケーションです。人々がウブドに惹かれるのもよくわかります。私も一度ゆっくりヨガのレッスンでも受けに再訪したいものです。ただし、自分がエネルギッシュでなくては、パワーをいただくどころか、負けてしまうのでご用心!です。

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中国僧の来日 -日中臨黄友好交流協会-

 

130626.jpg日中両国の禅僧らが修行を通して相互理解を深める、第10回日中禅僧交流(過去の交流についてはこちら)のため、6月23日、河南省少林寺、白馬寺などから4名の中国僧が来日した。

本交流は研究所が事務局を務める日中臨黄友好交流協会と日中韓国際仏教交流協議会(事務局・清水寺)が共催で行なうものである。

一行は2班に分れ、岐阜県虎渓僧堂と京都府円福僧堂で日本の雲水(修行僧)とともに修行体験を行ない京都に集合、比叡山延暦寺で一泊の修行体験をしたのち、京都で報告会を行ない、7月2日に帰国する。

翌24日、2名の中国僧を連れて虎渓僧堂へと向かった。到着後、山門で香を焚き山内へ。山内寺院、世話方の雲水と共に茶礼、打合せを行なったのち、諸堂を見学、最後に禅堂に安単した。終始穏やかだった中国僧の顔も、禅堂に入ったとたん、緊張した面持ちに変わった。
5日間の体験の成果を上げてくれることを願いつつ、寺を後にした。

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BLUE & WHITE 藍と白の美 -大阪日本民芸館-

 

130625.jpg大阪は千里の万博公園内にあります、大阪日本民芸館を訪れました。

現在、「BLUE & WHITE 藍と白の美―そばちょこ・藍染めを中心に」と題して、大阪府藤井寺市在住の佐藤禎三氏(1933-)が個人で蒐集し、寄贈された物の中から、約1000点もの蕎麦猪口がお目見えです。

よく見たことのある図案から、「え?!こんなものまで蕎麦猪口の柄になってしまうの?!」というようなものまで、それはまぁ多種多様で、見ていて飽きるという事がありません。

そしてやはり、夏に染付けやガラスというのは、目で感ずる涼にもなりますね。季節に見合った展観で、暑い一日でしたがしばしそれも忘れる事ができました。

私自身はあまり古い物に手を出した事が無いのですが、最近は少しずつ気になる物を手に入れたりしています。寄贈者、佐藤氏は、最初は難物(いわゆる、欠けていたり、ヒビがあるもの)を求め、御自身で金継ぎをされていたのだとか。

私が何ヶ月か前に求めた蕎麦猪口も、江戸中期のとても色の美しい染付け。こぶりで何とも言えない風情。我ながら良い物だと思っていますが、ヒビが入っているということで破格だったのです。時間が無いと言っては後回しにしていた金継ぎですが、そろそろ習う事になりそうですね。

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白を染める -grass house Baliにて-

 

130624-1.jpg染色・キルト作家の秦泉寺由子さんが主催する、grass house Baliでの滞在。

「竹のエナジーが全てここへ出てくるんや。
何でもそう、実際に手を浸して、自分でやってみんことには…。言葉で聴いただけでは何もわからへん」。

短い滞在で、まさか体験できるとは思ってもみなかった竹染め。青竹を煮だした染料で、白を染めるという貴重な体験をさせていただきました。

130624-2.jpg2メートルもある絹のオーガンジーを染料につけ、ひたすら優しく布を泳がせる時間。手がヒリヒリとし、ふやけてくる感覚。染料の色、かおり。
わずかな時間の体験とはいえ、できあがった布をいただくだけではわからない事を五感で感じ取ったひととき。今も私の脳裡に鮮明です。

日本に持ち帰った布は窓辺にかけられ、今、私の部屋には、清らかな竹の生命を宿した白い布を通り、柔らかな光と良い氣がもたらされています(実際、竹染めした布は、UVもほぼカットするのだとか)。

自然からいただく染料は、命の移し換え。命が宿った一枚の布と共にある日々の私の生活がまた、この布を育て、新しい歴史を刻んでゆきます。

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参禅可能な寺院

 

130621.jpg坐禅をしたい!というだけであれば、探せば近所に坐禅会をされているお寺がわりにあったりします(地域にもよりますが……、こちらで検索!)。

ですが、参禅(老師に公案を与えていただく、いわゆる禅問答するわけですね)できる寺院となりますと、なかなかにみつけるのが大変かと存じます。
そこで、できうる範囲でこちらで探してみました。気になるかたは、直接お問い合わせいただいてから、お出かけください。
また、こちらには掲載していない寺院で、参禅可能な寺院があれば是非ともお知らせ下さい。

師との良き御縁がありますように。

 

【北海道】

瑞龍寺

【秋田県】

大悲寺

【東京都】

海禅寺

龍雲院・白山道場

【神奈川県】

円覚寺

【愛知県】

徳源寺

【京都府】

光雲寺

大通院

常徳寺

【大阪府】

寒山寺

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水の離宮 ティルタガンガ -Bali-

 

130620-1.jpg3回目となりますBali日記。
バリ島の東部カランガッセムに残る水の離宮・ティルタガンガのご紹介です。

バリというと、海のイメージが強すぎますが、実はバリ島最高峰、アグン山から流れ出る川や、湧き水が豊富で、水といえども海ばかりではないのがこの豊かな神々の島の特徴です。

海も大好きなのですが、今回は海でのアクティビティは置いておいて、聖水にて清められたいとの思いが強く、そんな私の思いを察してか、バリヒンドゥー総本山、ブサキ寺院を参拝した後に、このティルタガンガへとお連れいただきました。

130620-2.jpgティルタガンガ。すなわち、「ガンジスの水」。
今も水がこんこんと豊かに湧き出る所には寺院が建ち、その源泉は、ガンジスの水と呼ばれるのもさもありなん、儀式のための聖水として使われるのだとか。

また、王家の週末の離宮として建てられたこの水の宮殿には、湧き水を貯めた大きな池(プール)が2つあり、昔は王家の人々しか使えなかったのが、今は地元の人にも解放され、我々外国人でも入る事が可能。

無料で入れる方のプールは、地元の子ども達で賑わい、身を清める…というよりは、まるでゴージャスな市民プールのよう……。
私はお金を納めて、人がいない方に貸しきり状態で泳がせていただきました(海外からの観光客は少なく、中でも沐浴する人はほぼいません)。最初冷たく感じる湧き水ですが、まろやかで肌に優しく、身体を浸しているとあたたかくなってくるほどなのでした。エネルギーある大地から湧き出した恵に身体をあずけ、至福のひとときでした。

130620-3.jpg帰国後、色々な方のブログを拝読すると、苔もはえているし、日本人が入るのはやめたほうがいい、水を飲めばお腹をくだす…と散々な書かれようでしたが、そう思えばそうもなるもので、少なくとも私はお腹も壊しませんでしたし、とても心地よい沐浴を楽しめました。
せっかくこちらまでゆかれるのであれば、是非とも信ずる心をお持ちの上で、お入りになられる事をオススメします(ただし、お腹を壊されても責任は取りません)。

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大坐禅会(仮称) -臨済禅師・白隠禅師大遠諱事業-

 

120619-1.jpg何度かご説明させていただいているかも知れませんが、禅文化研究所は、臨済宗黄檗宗連合各派合議所の事務局をつとめさせていただいております。
そんな、臨黄合議所主催で、平成28年の秋から始まる、臨済禅師・白隠禅師の大遠諱事業。その一環として開催する、大坐禅会(仮称)の実行委員会を、6月10日に開催しました。

大坐禅会。
およそ3000人~10000人の参加者を募り、法要、提唱、坐禅、を一般の方々に体験してもらうという大企画です。

120619-2.jpg委員会の出席者は18名。
各派本山の管長貎下や老大師にもお出ましいただき、会場の検討、参加者の募集方法など事務的な事から、一般の方々に何を伝えるのか、10000人で坐禅することで何を得ることができるのか、現代に禅というものがどう活かされて我々の生活にどう影響していくのかなど、その指針に至るまで、活発な討議がなされました。

参加者の方々に、応分の所得を抱いていただく為に、目的を明確にしてからこの事業をすすめて行く方針です。
今後、ブログ禅においても、遠諱に関してのご報告、御案内をさせていただきたいと考えております。

一般参加可能なプログラムも多々予定。参加型の遠諱を実現するべく、是非とも皆様のご関心をお寄せいただけたらと思う所存です。

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『いろはにほへと -ある日の法話より-2』横田南嶺老師法話集

 

130618.jpg弊所の理事としてもお世話になっております、円覚寺派管長・僧堂老師 横田南嶺老師の御著書(円覚寺派 黄梅院発行)、『いろはにほへと -ある日の法話より-』の、第2冊目が発刊となりました。

弊所でも、好評の第1冊目にひきつづき、ネットショップにて取り扱いさせていただいております。

 

「仏教の一番の核心は気づくことにあるのです。そして、気づけば理性の反応が自然と働いてきます。堪えるというよりも自分の感情に気づけば自然と自制することができるのです」。(本文より)


自分の感情を押し殺して、何かに堪えている。それでは辛いばかり。
あるがまま、自然である事、自分の素直に湧き起こる感情にふと気づく事。そこからはじめる事が肝心なようです。
いまだ日々修行に、坐禅に生きていらっしゃる南嶺老師から、どうすれば苦しみから解き放たれるのか、仏教が教える根本的な“本当に大切な事”が易しく語られています。

一冊目に続き、是非とも二冊目も座右の書に。
禅や仏教、その他の宗教に興味が無い、でも何かを求めているような方にも、是非プレゼントしてあげて欲しい一冊です。

こちらからどうぞ。

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"信"を問う

 

130617.jpg先日、友人宅で大学時代のゼミ担当教授・松田高志先生による学びの会、分かち合いの会がありました。

この日のテーマは、『私の宗教観~イエスの例え話を手掛かりとして』。
聖書の様々な箇所を知る機会を得ました。そのうちの一つ、マタイ25章「タラントンの譬え」。タラントンは、いわゆるタレント(才能)の語源ですね。

旅に出る主人に、それぞれ力に応じて、5タラントンを預った僕は、それを元手にもう5タラントンを儲け、2タラントンの者は、もう2タラントンを儲け、帰ってきた主人に「よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう」とほめられますが、1タラントンを預り、地中に埋め、大事に保管した僕は、「怠け者の悪い僕だ。この男からタラントンを取り上げ、10タラントン持っている者に与えよ。誰でも持っている人は更に与えられて豊かになるが、もっていない人は持っているものまでも取り上げられる」と叱られ、追放されるお話。

皆さんは、このお話をどうお考えになられますか?


松田先生は、「神から見れば、力に応じて“少しのもの”を預けられたのだから、力一杯やれば必ずやれるのではないか、それどころか、まだまだやれると気づくのではないか、逆に大き過ぎるよう(神から見て僅か)で尻込みするなら、その“僅か”も失ってしまう」と仰っています。

私は、“信”を問われているように思いました。神を信じ、自身を信じる事への欠如についてを諌めているような……。人間の弱さ、もろさをよく突いていますね。

そこで思い出したのは、今度は禅のおはなし。
5月27日の花園大学学長講座にて、八幡の圓福僧堂の政道徳門老師が講演をされましたが、その内容が、『臨済録』-示衆-より、「信」という事についてでした。


「病は不自信の処に在り。你若し自信不及(じしんふぎゅう)ならば、即便(すなわ)ち忙忙地(ぼうぼうじ)に一切の境に徇(したが)って転じ、他(か)の万境に回換(えかん)せられて、自由を得ず。你(なんじ)若し能く念念馳求(ちぐ)の心を歇得(けっとく)せば、便ち祖仏と別ならず。汝は祖仏を識らんと欲得(ほっ)するや。祇だ汝、面前聴法底(ちょうぼうてい)是れなり。学人信不及にして、便ち外に向かって馳求(ちぐ)す。設(たと)い求め得る者も、皆な是れ文字の勝相にして、終にその活祖意(かつそい)を得ず」。


仏教だ禅だと色々学んではその知識を人にひけらかしたり、さもわかったように説いたりするが、一体全体、自分自身がちゃんとそれを信じて飲み込んでいるのか。「良い薬がありますよ、この効用はこうでああで…」と話しているわりに、自分自身はその薬を服用もせず、病んでいたりしないか?!あれがいい、これがいいのでは?!と、結局定まる所を知らず、ウロウロしてはいないか?! という事をお話され、“信”について、聴衆に問われました。

仏教、キリスト教、つきつめれば世界の宗教は結局のところ、同じ事を言っているのでしょうか。

信じる者は、救われる?!

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バリヒンドゥー総本山 ブサキ寺院 -Bali-

 

130614-2.jpg何も予定を決めずに向かったバリ(詳しくはこちら)。

「あなた、お寺が好きよね。それなら、ちょっと強行軍になるけど、ブサキ寺院へお参りしましょう。興味無さそうな人ならわざわざ連れてゆかないけれど、ちょうど良かったわ。私も最後に御礼参りができる」。

お世話になるのだから、全てをお任せしよう……と思いつつも、実は秘かにどうしても訪れたいと願っていたブサキ寺院に、秦泉寺さんから真っ先にこのご提案。とても有難い事でした。

130614-1.jpg家の前にも日々お供えを。裕福な家では庭に小さな寺もある。

 

バリ島の“バリ”とは、サンスクリット語の“ワリ”(wali=神様への捧げ物)が語源だとされる事もあるからか、島全体が神への捧げ物、神々の島と呼ばれ、島民の約90%以上の人々が、土着の信仰とヒンドゥー教とが混淆して独自の形態を成した、“バリ・ヒンドゥー”を厚く信仰しています。

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そんなバリ・ヒンドゥーの総本山でもあり、バリの人々の誇り、精神的な拠り所とも言えるのが、バリ島最高峰・アグン山のふもとにある、ブサキ寺院なのです。パワーみなぎる熱帯の大地を見下ろし、悠々と聳える山と共にバリ島と民を守るかのよう。

130614-4.jpgそこはまさに天空の寺院。シャングリラともいうべき場所で、後ろに御神体のごとくそびえ立つアグン山目指して歩けば、もしかすると天国に繋がっているのではないか……と本気で想像してしまうような聖地。
巻スカートを穿き、正装しての思い出深いお参り。どの国に足を運んでも、宗教の聖地というものはその国と人々をより知る為の大きな手掛かりなのでした。

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現在、阪急うめだ本店にて、〈永遠の布展Ⅰ〉-時間をつむぐ10人の女性作家たち-開催中。秦泉寺さんの布、キルトをご覧になりたい方は是非お運び下さい。

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永源寺派管長 晋山式

 

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去る6月2日、滋賀県東近江市の臨済宗永源寺派大本山永源寺にて、槐安窟道前慈明老大師の晋山式が厳修された。
老大師は4月1日をもって永源寺第144世、永源寺派第13代管長に就任されていたが、2か月後のこの日に晋山の運びとなった。

老大師は禅文化研究所で開催されている勉強会にもずいぶん以前から参加されており、私たちは親しみを込めて「閑さん」とお呼びしていた。
勉強会やその後の食事の際の会話は参加メンバーにとって楽しいひとときであり、閑さんの周囲はつねに朗笑に包まれていた。閑さんの飾らない気さくな人柄の然らしむところである。
そのような場に身を置くことを許されていた私にとっても、感慨一入の晋山式であった。

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深呼吸できる場所

 

130612-1.jpg気分転換に訪れる場所。皆さんにはございますか?
自分の生活圏内にいくつかお気に入りの場所があると良いですね。
私のお気に入りの場所はこちら。新緑も日に日に濃くなり、今はこのような深い緑の世界。
秋にはこうなります。
こちらに寄った後は、名水で有名な梨木神社に寄ってお水をいただいてから帰ります。

京都にいらっしゃる際、早起きして京都御苑内をお散歩される事をおすすめします。
色々な発見がありますよ!

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明るい未来

 

130611.jpg「新聞」や「テレビ」の魅力は日に日に薄れてゆくように思われる。早朝に朝刊に目を通して、この出来事は初耳だなとか、これは読んでヨカッタよと思うような記事に出会うことが稀になってきた。たいていの「事件」は、半日近くも前にすでにネットを通して見知っているし、それに対する何がしかのコメントも、名も知られていないような人のツイッターでお目にかかるものがまことに新鮮だったり、目からウロコだったりする。

こんなふうだから、これまでかなりの日本国民に、多岐にわたって影響を及ぼしてきた、新聞・テレビといった既存のメディアの行く末はかなり暗そうだ。すでに十代で、テレビとネットの視聴比率がひっくり返っている。彼らが三十、四十になるのはあっと言う間だ。十代からほど遠い私にしても、最近好んで見るのは「ニコニコ動画」だったりする。見たいものがいつだって見られるというのが大きい。

先日、ニコ動で「小沢一郎」さんと「堀江貴文」さんの対談を視聴した。二人の対談についてはかつてニュース記事に小さく「かみ合わず」とあったのを、ああそうだろうなとあまり驚きもせず目にしたのだが、たまたまネットでこの対談にめぐりあった。無料で見たいときに見られる仕組みはいいなあくらいの軽い気持ちで見始めたが、司会の茂木健一郎さんを含めた対話空間に、リアルタイムで視聴者からのコメントが流れるという、まったく無編集の「番組」であった。のっけから、茂木さんが「私はこのお二人が好きなんです」と言ったのが印象的だった。「普通」の箍(たが)が最初からハズレていた。見終わってちょっと驚いたのは、「小沢さん」ってこんな人だったの? 「堀江さん」ってこういうキャラ? という不思議な気持ちがわいたことだった。「小沢」「堀江」は「悪党」といった風評が世間(少なくとも私の周り)を取り巻いているのだが、少なくとも編集側の恣意のあまり働かない空間で、この「お二人」は驚くほどスマートだった。堀江さんが「小沢さんの笑顔かわいいですよね。新聞やテレビもこんな笑顔をもっと写すべきですよ」と言ったのでふと気づいたが、メディアが好んで用いる画像は、「世間受け」をねらっているのじゃないかなあということだ。メディアが世論を形成すると言っても過言ではないと思うが、民衆を巻き込んで形成された世論にメディア自体が追随し迎合してしまうという図式が何となく成り立ってしまっているのも事実ではないか。

かつて朝日新聞に、「明るい悩み相談室」というのがあった。中島らもの答えがすばらしいので、我が家でも朝日の購読をやめない大きな理由になっていた。今は土曜日のBe版に、「悩みのるつぼ」というのがあって、これもまたとても愉快なので、あともう少し購読を続けようかなんて、岡田斗司夫さんなんかの回答を待ちこがれながら思ってしまう。考えてみたら彼らは世論や世間のシステムに迎合しているふうが微塵もない。彼らの軽々とシステムを超えた肯定的な言に耳を傾けると、世間って案外気持ちがいいなと思ってしまえるくらいだ。

「ネット世代の新世紀」の出現を予想する夏野剛さんは、「若者よ、引きこもってググれ!」と言う。わたくしたちを取り巻く世間の「出来事」を、わたくしたち一人ひとりが「正しくまっとうに知る」ことの可能性もネットにあるとすれば、既存のメディアの絶大な影響力をあっさりスルーしてしまえる若い人たちの台頭は、ちょっと明るい未来を予感させる証かもしれないなあとも思うのだ。

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住み処はその人そのもの

 

130610-1.jpg「so quiet...」

世界的なキルト作家、秦泉寺由子さん。
約30年に亘るバリ生活にこの6月末でピリオドを打たれて、また新たな世界を構築なさる気配。
そんな過渡期ともいえる今、ありがたくもお誘いいただき、バリ島のGrass Houseへとお邪魔してきました。

130610-2.jpgデンパサールはバリの経済中心地。
そんな喧騒の町中から彼女の家に帰り着き、深い呼吸をしながら秦泉寺さんが呟いた一言。
「so quiet...」。その時の後ろ姿が目に焼き付いて離れません。

これは何も、広大な敷地の、緑溢れる家に住んでいるからというだけではなく、秦泉寺さんの心の内にそういう場所があるからなのでしょう。

130610-3.jpg住み処は自分の内側の世界。例え小さな部屋に住もうと、自身が心底落ち着けるような、「so quiet」な空間を創り出す事は可能。
お金がある無い、場所がどうのという問題ではないのです。

130610-4.jpgとても短い旅でしたが、彼女の生き様から様々な事を学ばせていただきました。
おいおいこちらでもご紹介してゆけたら……と思います。

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大香合献納 -鎌倉彫 三橋鎌嶺- 季刊『禅文化』228号

日々の生活で出会った素晴らしい様々な“技”を、季刊『禅文化』にてご紹介しています。
本ブログでもご紹介させていただきます。
その他の記事はこちらから。
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季刊『禅文化』228号より
“大香合献納 -鎌倉彫 三橋鎌嶺-”  川辺紀子(禅文化研究所所員)

 

130607-1.jpg-大香合 三橋鎌嶺作- 写真・原田寛氏

鎌倉彫。ひんやりと手に吸い付くような漆の感覚。極限まで深く彫られた線が陰影を生み、その奥に潜む品格は、祈りの場で使われる物を仏師が作ったことが始まりとされる原点を、今なお失わない。

130607-2.jpg法要で使われる大香合 写真・原田寛氏

禅宗と共に大陸よりもたらされた堆朱、堆黒の類は、漆を何十回と塗り重ねた面に精緻な文様を彫り上げた美術工芸品で、大変貴重な物であったが、それらに大いに魅せられたであろう鎌倉時代の仏師の知恵と工夫により、まず木を彫ってから漆を塗り重ねるという、新たな木彫彩漆が生まれた。その古い型として残っているのが、重文にも指定されている建長寺の須弥壇、円覚寺の前机、南禅寺の大香合などである。

130607-3.jpg蓋裏には、吉田正道管長による由緒が刻まれる

“似たような新たな”物であるが、異国より入ってきた工芸品を真似て学び、独自の美術工芸品へと昇華させることは日本人の得意とするところであろう。貴族社会から武家社会へと大きく世が移り変わり、宋より多くの美術工芸品がもたらされ、時の権力者がこぞって禅宗に帰依した時代の空気をふくみつつ、日本人の柔らかな感性と風土の影響を多分に受け、日本独自のいわゆる“鎌倉彫”へと進化を遂げた。

130607-4.jpg大香合を制作する三橋鎌嶺氏

日本のいくつかの寺院には、鎌倉から室町期に納められた立派な鎌倉彫の大香合が現存する。しかし、建長寺には、堆朱・堆黒の類の大香合はあるが、なぜか鎌倉彫の大香合がない。そのことがずっと気になり、「鎌倉彫のルーツとも言える建長寺、鎌倉五山第一位の建長寺に鎌倉彫の大香合がないのは、何か釈然としない」との気持ちを持ち続けていたのが、鎌倉学園OBでもある鎌倉彫二陽堂の三橋鎌嶺氏であった。
結婚前に「やってみる?」と言われて始めた鎌倉彫が、手ほどきを受けるうちに面白くなり、その後、婿養子という形で妻の実家の家業を継ぐこととなる。デザインの考案、下絵描き、彫り、漆塗り、それぞれに職人がいてしかるべき仕事が、鎌倉彫の場合、一手にできねばならぬため、結婚後に義父について技術を修得するのはなまなかのことではなかったが、義父は「見て覚えろ」と言うだけで、口頭での指導は一切なかった。

三橋氏の場合、店舗は持たぬため、個人的なオーダーを受ける他に、所謂お稽古産業と呼ばれるカルチャーセンターなどで愛好家に鎌倉彫の手ほどきをすることと並行して、自身の作品を作り発表する個展を開催することを主としている。今ではご子息、鎌幽氏もその後を継ぎ、親子で作品を発表する機会も増えてきた。

130607-6.jpg三橋家特有の何層にもなる深い彫りと、その分手間の
かかる塗りにより生まれた品格ある食籠(鎌嶺作)

三橋氏自身、膝を痛めるまでは建長寺の坐禅会にも通い、掃き清められた寺の空間において自分をみつめることの尊さを身をもって経験されたが、「彼には私と違って、鎌倉仏師の血が流れているのです」というご子息はさらに、「仏師だったということが鎌倉彫の土台。先人を尋ねるような思いで禅を学びたい、空気を味わいたい。先人たちが生きた証があそこにあるのではないか、それを確かめに足を運んでいる」と、茶道の稽古を通じて吉田正道老師との御縁も繋がり、僧堂に出入りするようになって既に四年以上になる。

僧堂では、足を運ぶたびに再発見があり、また新たなスタートが切れるのだという。坐禅修行の厳しさでよく知られる建長僧堂である。吉田老師は鎌倉彫の話をしても「坐禅と一緒やなぁ」と、全て坐禅と重ねてお考えになられるという。「日々修行であって、何かを求めて仕事をするわけではない、ただひたすらに鎌倉彫だけをやっていればよい。鎌倉彫のために茶の湯の稽古をし、華道を稽古しても、茶人華人になるべからず、そこに没頭するのではないぞ」との仰せは、如何にも老師らしく、一つ所を黙々と修業し続けなければならない職人にとっては、ふと道からはずれそうな時に大きな支柱となるお言葉のように思える。また、「鎌倉彫を使って新しい商売をしたり、違う商売をしたりしようと思うな」とは、技術もままならぬうちに、うまく立ち回ってしまうようにならぬよう、職人としての土台をしっかりと築いて欲しいという老師の温かなお気持ちではないか。昨今、若い作家が修業も未熟なうちに色々なことをしようとするのがよく見受けられるが、そのことへの警鐘かもしれない。

130607-5.jpg白槇香合 三橋鎌幽作

雲水とも顔見知りのご子息だからこそのことであろう、開山蘭渓道隆禅師縁の柏槇の木を剪定された際に落とした枝をもらってきて、これで茶杓か香合を作るという。鎌倉仏師の血を引く彼が、僧堂の息吹を全身で受け止め、薪に使われるはずだった柏槇の木で、形あるもの、長く受け継がれるものを作り出す。

明治の廃仏毀釈の時代に職を失った仏師たちは、その多くが廃業せざるを得なかったが、鎌倉彫で茶道具や生活工芸品を制作し、この地に別荘を求めた上流階級の人々にもこの工芸品が浸透してゆき、技を守ってきたのが三橋家の先祖だった。そんな歴史を経て、再び禅宗と鎌倉彫が繋がった。その繋がりのなかで、建長寺に鎌倉彫の大香合がないことをずっと気にかけて来た鎌嶺氏の思いがとうとうこれ以上にないほどに高まり、2012年3月、鎌倉彫の大香合を完成、建長寺へ納めるまでに至る。

130607-7.jpg香合を制作中の三橋鎌幽氏

三橋家の明治時代の名工に、三橋了和という人がいる。自らも茶の湯を嗜み、表千家家元東京出張所にも足を運び、明治神宮の献茶式などでは道具を納めたりもしていた。そんな了和が、出家して大徳寺塔頭・玉林院にいた弟を頼りに京都へと趣き、その縁で、特に各地の工芸や国焼に理解の深かった表千家十二代家元・惺斎宗匠に可愛がられ、好み物を何点も作るようになった。その後、病を得て再び鎌倉の地に戻ることになるが、茶道の家元とこれだけ深い交流を重ねたのは、了和を除いて他にはなく、そのまま京都に残れば千家十職のもう一つの職方として数えられていたかもしれない。

そんな先祖の思いが受け継がれてか、鎌嶺氏は、縁ある玉林院の平成の大改修の折(2009年)には大香合を納めた。鎌幽氏は表千家不審庵家元に出入りを許され、了和の後継者としても認められ、その作品の写しも精力的に制作している。また、表千家長生庵前主・堀内宗心宗匠の自選展にも、とびきり若い職人として参加。今後を最も期待される職人の一人である。

130607-8.jpg香合の数々 鎌幽作


その時代時代の大きなうねりの中にあってなお、連綿と受け継がれて来た鎌倉彫の精神、職人の思いが、再び鎌倉禅と鎌倉彫、京都禅と鎌倉彫、茶の湯と鎌倉彫を繋げ、新たな展開をみせようとしている過渡期の今。大量生産品よりも、手作りのものの良さが見直されてきている世にあって、皮肉にも国内の材料が不足してきているという矛盾を抱える今。この今の積み重ねがどう未来へ繋がり新たな鎌倉彫の歴史を刻んでゆくのか。禅や禅の文化の歴史とも深く関わる鎌倉彫のこれからに注目してゆきたいと思う。

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岸野忠孝・承・寛 三人展

 

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私が敬愛する親子の3人展をご紹介させてください。

何度かこのブログでもふれていますが、岸野忠孝氏・岸野承氏・岸野寛氏の展覧会が東京で開催中です。

現代のものづくりに携わる人達の中においても、この親子はもう絶滅危惧種ではないか?!と思いながら、いつも周りをうろうろしている私です。
「あぁ、良いなぁ……」と、感動し、自分自身と響き合うものがあるので、拝見していて心地が良いのです。
14日(金)まで。是非ともお運びください。

詳細はこちら

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愚堂禅師の禅 講演会

 

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何度かご紹介させていただいておりますが、花園大学歴史博物館と禅文化研究所が共催で、2013年春期企画展「大圓寶鑑國師350年遠諱記念 大仙寺展」を開催中です(6/8まで)。

本日はそれにちなんだ講演会の日です。
おでかけの予定がまだ決まっていない方は、是非ともおこしください。

展示も今週土曜日までですので、本日展示をご覧いただき、講演をお聴きいただくのが、愚道禅師の息吹に触れるには一番かと思います。

◆6月5日(水)本日! 13:00~14:30
「愚道禅師の禅」 河野太通老大師(妙心寺派管長)
*無料

場所は花園大学内、教堂にて。
花園大学への行き方は、こちらからどうぞ。

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西教寺 -大津市坂本-

 

130604-1.jpg大津市坂本にあります天台真盛宗総本山、西教寺を訪れました。
宗祖大師殿の唐門からは遠く琵琶湖を望む絶景です。

明智光秀が帰依した寺院としても有名で、一族の墓が残ります。
聖徳太子の創建と伝わり、慈恵大師良源上人が復興、念仏の道場とし、その後かの恵心僧都も入寺され、しだいに栄えたとの由。

不断念仏(特定の日時を決めて、その間、昼夜間断なく念仏を唱える行)の道場として栄えた寺院であるからして、今なお、本堂では念仏を唱える行をなさっている僧侶に遭遇します。専一に行に励まれるお姿に触れさせていただけるだけで、こちらまで厳かな気持ちになりますね。有難いものです。

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西教寺は、多くの庭を有する寺院としても知られますが、ことに、上写真の、小堀遠州による客殿庭園が有名です。

近江坂本といえば、穴太衆(あのうしゅう)でも知られる所ですが、今度は穴太積の石垣を観てまわりたいと思っています。

京都から比叡山を通って車で30分。度々でかけたくなる素晴らしい地です。
ご旅行で遠くから来られる方には、滋賀院門跡日吉大社旧竹林院芙蓉園、西教寺など一日かけてゆっくりまわられる事をオススメします。京都とはまた違った発見がありますよ!

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武家屋敷跡野村家 -金沢-

 

130603-1.jpgさて、長々とお付き合いいただいた金沢の旅のご紹介もこれで最後です。
唯一一般公開されている武家屋敷跡、野村家を訪れてみました。

兼六園はもちろんのことなのですが、加賀・金沢というところを知るてがかりとしては、こちらのお宅の庭を拝見するのが一番色々な事が見えてくるのではないか……と思えました。

130603-2.jpg百万石の江戸時代から明治の廃藩置県、大正時代の紆余曲折、数奇な運命を経て守り続けられたこの庭が語りかけてくるそのものが、金沢の歴史と文化そのものなのでした。
比較するのも変な話ですが、京都のお庭との対比もしやすいように思いました。

この日は雨で、庭の苔も石もしっとりと……えもいわれぬ美しさで、二階の舟形の茶室から一階の庭を眺めていると、時間などはあって無いようなものなのでした。

-壺中日月長-

今年もはや、長雨の季ですね。しっとりと濡れた金沢の町もまた情緒あることでしょう。
京の都に降る雨に、野村家の庭を思い出しています。

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