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『禅文化』222号 技を訪う -建築家 木島徹-




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日々の生活で出会った素晴らしい様々な“技”を、季刊『禅文化』にてご紹介しています。
本ブログでもご紹介させていただきます。
その他の記事はこちらから。
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季刊『禅文化』222号より
“技を訪う -建築家 木島徹-”  川辺紀子(禅文化研究所所員)

 八年ほど前のことだが、たまに洋服を買っていたショップが、異国情緒漂う神戸の旧居留地に路面店としてオープンすることになり、二階の一角に和の器、漆器、工芸品などを扱う店ができるという。服もさることながら器も好きだった私は、「これは一石二鳥……」と、楽しみにでかけた。その日のことは今でも鮮明に覚えている。

 ショップの雰囲気とはまた異なる洗練された空間は、とても新鮮だった。奇をてらったものではなく、しごく自然でどこか懐かしく居心地がいい。無駄を極限まで削ぎ落とした土と木の空間。茶室のようだけれど、もっと気軽で、どこにでもありそうなのに、どこにもない。ほのあかるさの中で見る器や工芸品の輝き。買い物をして、カウンターに腰かけ、目の前の床に飾られた掛け花入れと季節の花を愛でながら、お干菓子とお茶をいただく。現代的なショップと茶室に近い空間が気持ちよく共存するのを楽しみに、度々そこを訪れるようになった。
 気になるものをみつけたら、いつか手元に置くこともあるかもしれないと、作家さんや職人さんについて調べることはあったが、“建築”については、「誰がこの空間を設計したのか」といった詮索もせず、「さまざまなものを手がけた老建築家が、最後にゆきついた、簡素で枯高な作品なんだな、茶の湯を嗜んでおられる方かもしれない」などと、ひとり勝手に楽しい想像をしていた。

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 その後、京都に居を移した私は、茶の湯の場に相応しい着物をと、自ら納得できるものを求めて辿りついた呉服メーカー“貴久樹”のギャラリーを訪れた際に、なつかしいあの空間に再び出会ったのだ。嬉しい驚きだった。その後は、友人に連れられて行ったバー、気になる個展が開かれるギャラリーなど、京都のあちこちで何度も“あの空間”に遭遇することになった。聞けば、建築士さんはまだお若い方だという。“おじいさん”建築家の作品と決め込んでいた私のなかで、いつもの好奇心が頭をもたげた。一体どうしてそんな若さでこの空間を作るに至ったのだろう。お会いしてお話を聴く機会が巡ってきた。「自宅がショールームのようなものですからどうぞ」とお招きいただいて、御自身の設計でリフォームされたマンションに伺うことになった。
 「あんな空間を創造する人だから、美しいものに敏感で、ピリピリと神経質そうな人だろうか」と、あれこれ想像しながら訪れた先で迎えてくれたのは、とても気さくで、サーフィンを愛する如何にもスポーツマンタイプの爽やかなお兄さんだった。人の勝手な思い込みとは、何とも全くもって無意味で頼りないものだなと思った。




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 木島徹さん。大学での専攻は経済学だった。学生時代は、さまざまな地を旅してまわり、「遊んでいた」という。就職活動時期に入り、漠然と、「人間のくらしの根幹ともいえる衣食住に関わるどこかへ」と考え、大手ゼネコンに就職した。工事現場の事務、経理、営業とあらゆる仕事に携わったことが、現在独立して設計事務所を営む礎となっているが、ことに入社して一年目、工事現場の事務担当でありながら、現場の所長さんのはからいで現場監督さながらの仕事をさせてもらった経験は大きかったという。ちょっと見た目はコワイ感じの人でも、良い心根を持つ職人さんが多かったこと、そんな人たちと共にものづくりに携わったことの面白さが、今も現場で職人さんたちと話し合いながら物を作っていく楽しさに繋がっている。

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 二十七歳頃、営業時代に携わったマンション建設。素材や空間の使い方など、もっとうまいやり方があるはずだという疑問がわいていたちょうどその頃、会社が人員整理を打ち出したのを機に、建築士の資格を取ることを考え始めた。手に職をつけ、何らかの形で独立をする道に進もうと、三十歳を目前に、勉強に専念することになった。反対する人も多かったが、両親は特に何も言わなかったという。
 その後、建築士資格取得のため、受験勉強をしながら、銘木店の中村正文社長から“木”について教わった。ハローワーク主催の大工養成講座にも通い、建築の専門学校で開かれていた伝統建築の講座にも足を運んだ。建築士の資格を取っても、何年かは建築事務所で働かなくてはならないだろうと思っていた矢先に、冒頭の神戸のショップのコンペに参加しないかと誘いがかかり、図面もまだ満足に引けないながら、模型を作って出したら採用された。翌年には同じショップの銀座店の設計にも携わることとなった。三十二歳の時だった。
 古美術を扱う仕事をする母親の繋がりで、高校生の頃から家族ぐるみで親しくしている京都の古美術商・佃達雄氏から受けた影響は大きく、「ほんものやないとあかん」という佃さんの言葉が、いつも木島さんの深いところにあり続けた。建築に使う素材は、ホンモノに似せたモノではなく、自然界にある本物であることは、自分にとって当たり前のことだったし、メキシコの建築家、ルイス・バラガンが、母国の建材でシンプルながらも独自の世界観を表現したことにも影響を受け、自分も日本にいて物を作るのであれば、日本の材料を使うことがもっともシンプルなことだと考えるに至った。

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 「コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエなどのシンプルな建築が好きなんです。その好きが根底にあって、表面材には日本の土、木材などを、できるだけ使うようにしています。壁が白かったら、和風というイメージは持たないでしょう?」
 彼の作り出す空間を、“和モダン”という人もいれば、“禅的空間”という人もいる。私も、シンプルな茶室のような空間で、禅宗寺院にも取り入れると面白いかもしれないと感じていたが、そのベースに近代建築があるとは思いもよらなかった。
 本物の木材と土壁を使うと、施工費が高くついて現実的ではないと思いがちだが、引き渡しの時が一番良くて、あとは悪くなる一方の建築物は、早晩、修理が必要となる。三十年、五十年の単位で考えれば、本物を使った方が結局、安上がりになるだろう。木島氏が住むマンションの場合などは、こもりがちな湿気やにおいなども土壁が吸ってくれて、マンション特有の悩みからも解放されるらしい。
 思えば、木造でありながら、何百年もビクともしない寺院建築など、日本では珍しくない。住まう人が建物のいのちを生かし、自らもともに生きる。なんとも、日本人の感性にぴたりと合っているではないか。

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 私が学生時代を過ごした神戸女学院大学はヴォーリズ建築で有名だが、まるで瞑想する場であるかのような宗教的な空間を、日々のくらし、教育を施すに最も適した空間になし得た例の最高峰だと思うし、私自身、授業がなくとも校舎で過ごした時間が、どれほど自分の根本となる精神を育んでくれたか計り知れないと思っている。
 このような空間の日本バージョンが、まさに木島さんの建築ではないかと思う。彼の設計したギャラリーやバーで過ごしていると、学生時代に母校で感じたのと同じような感覚が蘇る。日常のうちに知らぬ間に、ほぉーっと深く呼吸し、自分を省みさせてくれる。そんな空間が与える心の充足感は、その広さを問わない。多感な時期を過ぎて大人になった今でも、ヴォーリズ建築は、私のなかで揺るぎない位置を占めているが、木島さんの創りだした空間に身を置くと、いつの間にか、昔をなつかしむという気持ちがふっと消えて、現在の不思議な心地よさが拡がる。

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 私たちの現代生活に支障をきたすことなく、国の風土に溶け込んだ建築、空間が増えれば、自然に人も街も国も変わってゆくのではないか。本物に囲まれて暮らせば、何かに急き立てられるように、虚ろな観念に振り回されて、日々を上滑りしている私たちも、少しホンモノに帰れるかもしれないのだ。

-木島徹建築設計事務所-

〒604-8106
京都市中京区丸木材木町671
エクレーヌ御池508
tel:075-212-5667
fax:075-212-5669

by admin  at 07:30
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