トップページ » 2011年12月13日

福森先生のお言葉 -伊賀・土樂窯にて-




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訪れるたびに楽しみな床の花


取材後、厚かましくもしばしばお邪魔させていただいている伊賀は丸柱の土樂窯
先日もお邪魔し、大いに食べ、呑み、笑い、学ばせていただきました。


福森雅武先生がお話になられる事は、たとえ易しいお言葉でも、全てが物事の核心をついていて、真理を語られているように思うわけなのです。

ですが、例えばの話、聴いている者が、そのお話の真意がわからずとも、先生の内に脈々と流れる伊賀の大地・自然からの学び、お若い頃からの多くの賢人達との交流による学び、ものづくりからの学び、そしてその天性の感覚を思えば、“熏習(くんじゅう・すぐれた人物に親しんでいると、己もおのずとそうなるとの意)”とはまさに、このような方の近くにいさせていただく事、その近くで、先生の内に流れるものの飛沫(ひまつ)を少しでも浴びる事をこそ、言うのであろうと思うわけです。


さて、今回私が最も心に残ったのは、「何かを質問するなら、8割がた自分の中で答えが出ている事、わかっている事についてを質問しなさい。ゼロのうちから人に質問をすべきでない」というお話。

確かに、もがいて苦しんで悩んで学んで、ようやく“気付き”が訪れたり、“掴みかけた事”を賢人に尋ねるのは、そのお答えが合致していようがいまいが、またそこから大きな学びや可能性が生まれるのでしょうし、少しのヒントで目の前が開けるような心地に至る事もあるでしょう。

ですが、自身の解釈ゼロの質問をしたところで、土台が無ければ、そこからは、学びや新しい道は開けにくいような気がします。人からすべての答えをもらおうと思ったところで、そのようにはいかないし、いくら懇切丁寧に答えてもらえたところで、腹の底には落ちてゆかないことでしょう。

自身を省みてどうであろうかと……。
今一度、真摯な態度で様々のもの、ことを、学んでゆきたいと思った夜でした。



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by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)