トップページ » 2011年11月10日

『禅文化』221号 技を訪う -土樂窯・福森雅武-




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日々の生活で出会った素晴らしい様々な“技”を、季刊『禅文化』にてご紹介しています。
本ブログでもご紹介させていただきます。
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季刊『禅文化』221号より
“技を訪う―土樂窯・福森雅武”  川辺紀子(禅文化研究所所員)



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山と田畑に囲まれた、伊賀・丸柱の土樂窯

 白洲正子さんの著書『日本のたくみ』(新潮文庫)で、伊賀の土樂窯七代目・福森雅武氏を知ってからもう十年以上になるだろうか。そこここに神が宿るような、日本の原風景の広がる先祖伝来の地に住まい、日常楽しむ器をつくり、自らそれに近隣で採れた花を生け、山海の珍味を料理し、盛りつける。日々の営みを垣間見るに、その姿はまるで自然そのもの、自然と一体で、「この人はいったいどういう人なのだろう」と私は強い関心を抱いたのであった。
 さっそく著書『土樂花樂』(文化出版局)を求めた。自作の器や、好きで収集された骨董に、我々が“雑草”と呼ぶ草花が生けられ、凛とした佇まいを見せている。しかも、流派の花とは違い、大らかで縛りがない。まだ茶道の稽古を始めたばかりで型を習っていた私は衝撃を受けた。この人の花を真似ることなど到底できない、ということだけは悲しいほどわかっていたが、「何か得たい」と、ことあるごとに頁をめくり心の花の師匠としてきた。また、実家では土樂窯の土鍋や器を少しばかりではあるが愛用し、祖母は亡くなるまで、兄と私が贈った雅武氏の湯呑みを愛用していた。繊細ながらもたっぷりしたその湯呑みを両手で大事そうに持ち、茶をすする祖母の姿を今も思い出す。いつも私の心を豊かにしてくれた、おおげさでも何でもなく、私にとってはさながら“聖地”のような伊賀の土樂窯であった。

 そんな土樂窯の八代目を継ぐ福森家の四女道歩さんと、私の京都の友人・呉服メーカー“貴久樹”の糸川千尋さんが十年来の知己であり、いつの間にか私もお仲間に入れていただくようになった。二人のすすめにより急浮上した福森雅武氏の取材は、その日が来るまではどうしても信じられず、夢心地ながら、聖地訪問に私はいささかナーバスになるほどだった。
 だが、そんな緊張もどこへやら、当日は雅武氏が自らいろり端で土鍋料理をふるまってくださり、道歩さん、糸川さんと、大いに食べ、呑み、笑う、まさに福森流の歓待を受けながらの取材となったのである。
 「お話を聞いても、いつも魔法をかけられたようになってしまって、わからないままに終わってしまう。先生が如何にして先生になられたのかを知りたい」とは糸川さんの言で、どのようにしてこの福森雅武という人物ができあがったのかを知ろうとするのだが、わからない。「この頃になってようやく、今までわからなかったことがちらっとわかってくる。何かと言ったら、死ぬ準備だということやね」などと仰り、掴めたと思っても手中にはない影を、必死に追い求めるように、生い立ちから現在までの様々を伺った。

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by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)