トップページ » 2011年4月28日

-臨床僧の会・サーラ-

季刊『禅文化』220号で掲載させていただいた、-臨床僧の会・サーラ-につきまして、ブログでもご紹介させていただきます。

「臨床僧の会・サーラ」

 臨床僧は、病院・福祉施設・在宅などで病と闘う人たち、死に直面する人たちの傍らに寄り添う僧侶です。
 現代医学は様々な病を克服し、人々に大きな喜びを与えてきました。地獄の苦しみと言われてきた末期癌の痛みも、疼痛医療の発達で緩和することが可能になりました。その恩恵は計り知れません。
 しかし一方で、「医者は病気を診て、患者を診ていない」と言われてきたような、治療偏重の弊害は依然として改善されていません。例えば、医学的に治療する手立てが尽きた末期癌患者は、死の恐怖と闘いながら、ベッドで無為な時間を送っています。何故なら、治療の手段を失った段階で、医学的には敗北したと判断されてしまうからです。〝生命〟を救うことだけを学んできた現代の医療は、患者の人生をも含んだ〝いのち〟を救う術を持ちあわせていないのです。
 そんな、医療が救うことのできない“いのち〟を救えるのは、「生死」を一体のものとしてとらえる仏教ではないでしょうか。
 二千数百年前、仏陀が「医王」とも呼ばれたのは、単に病を治す知恵を持っていたからではありません。病人の排泄物の世話をしたという逸話が残されているように、自らが辿りついた境地を基盤に病人に寄り添い、〝身体〟と〝こころ〟両面のケアを行ったからに違いありません。生と死の狭間で悩み苦しむ人々の声を聞き、共に考え、道を指し示したのです。現代の臨床僧もまた、患者とその家族に寄り添い、喜びと悲しみを共有することを目指します。

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by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)