トップページ » 2011年4月22日

愛別離苦




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これまで血縁者、先輩、友人など非常に親しい人を何人か失ってきたが、その度に慟哭し、転げ回り、なんとか這いずり上がってきた。3月11日、親友の一人から夫人の訃報が届いた。私は夫人とも大層仲良しだったから、動顛してしまった。その知らせと前後して、東北で大きな地震があったらしいというニュースも飛び込んできた。東北の惨事の詳細はまだ明らかになっていなかった。私は近しい人の死に心奪われて、放心していた。仕事の合間を縫って死者を訪ねると、美しい穏やかな顔で横たわっていた。急性肺塞栓症という病を得ての急逝だったという。前日まで自転車を乗り回していたのだそうだ。48歳だった。

以前に、ロバート・レッドフォードが、40歳に届かずに亡くなった母親の人生を、「アンフェア」だと語っていたが、友人の死顔を見ながら、本当に「アンフェア」だと思った。彼女は道教の研究者として、壮大なプロジェクトを実現するために、日夜邁進していたのだ。研究者の常として、いつでもどこでも目を通せるように、論文や書物を持ち歩いていたが、世間話に打ち興じるときには、ケラケラと屈託なく良く笑った。その笑い顔が、繰り返し脳裏に浮かんできて、大きな大きな喪失感が両肩に覆い被さってきた。その度に胸のあたりがギュッと締め付けられる。未だに、それは変わらない。

二日後、火葬場で骨上げを待っているときに、付き添ってくださった和尚さんが、「火葬にこれだけのみなさんが集まられて、ちゃんとお別れができるのは、実にありがたいことです」と言われた。東日本大震災で亡くなられた方々のご家族の悲嘆が身に迫った。

夫人を失った友人は、今、深い深い喪に服している。私には彼に届けるどんな言葉も見つからない。仏教学者の彼は、彼自身の「愛別離苦」を今、身をもって生きている。

「わしなァ、家の中に居る時は母親のことで頭一杯で、外(ほか)に一切ありませんのや。それで下駄履いて外に出たら、心はすっかり外に向かい、たとえ留守中に泥棒が入って、母親がどんな目に遭おうが知らんこってすゼ」
母親孝行を尽くされていた森本省念老師の言葉である。
私がこの語に出会ったのは、母を失って心がふわふわと彷徨っていたときのことだ。深い衝撃と地の底から湧いてくるような安堵に包まれたことを思い出す。私の「愛別離苦」にそよそよと風が吹いた。老師がぴたりと私に寄り添ってくださっているような気がしたのだ。私は生前の老師に一度もお目にかかったことはないが、無上の「大慈大悲」だった。

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)