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『禅文化』219号 技を訪う -ズーセス・ヴェゲトゥス-

日々の生活で出会った素晴らしい様々な“技”を、季刊『禅文化』にてご紹介しています。
本ブログでもご紹介させていただきます。
その他の記事はこちらから。
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季刊『禅文化』219号より
“技を訪う―ズーセス・ヴェゲトゥス”  川辺紀子(禅文化研究所所員)

 海外から日本に入ってきて、時と共に“日本風”に独自の変化を遂げるものは少なくない。ドイツ菓子バウムクーヘンもその一つだ。以前、ドイツで食べた物とは似ても似付かぬ日本のそれには、正直、少し落胆していた。
 クリスマスの頃だったろうか。不思議なバウムクーヘンに出会った。実に美味しい。聞いたことのない店名、“ズーセスヴェゲトゥス”をネットで検索してみると、ホームページが見つかった。ズーセスはドイツ語で甘いものを意味し、ヴェゲトゥスはラテン語で野菜のこと。バウムクーヘンのみならず、季節の野菜を使ったキッシュなども販売されているようで、私がいただいたショコラスパイスバウムクーヘンは、冬季限定の味のようだった。

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ドイツ菓子のマイスターブリーフ

 店の主は森美香さん。ホームページの記述から、彼女がドイツで修業をし、ドイツ菓子マイスターの資格を持っておられることもわかった。たまに更新されるブログを覗くと、師事する茶道の先生の言葉も書かれている。「あなたの心を今ぐるぐるに縛っている鎖は、いつか必ず、しかも一瞬にしてはずれる時が来ますよ。それまで待ちましょうよ」。私は、瞬く間に惹かれてゆき、彼女のブログの更新を楽しみにするようになった。いつかお会いしたいなと思っていたが、ある日、友人のために菓子を持参しようと思い立ち、お店に伺う機会が訪れた。
 彼女の第一印象をどう表現したらよいのか。一人で立派にお店を経営されているわけだが、若い学生さんのように溌剌としてみずみずしい。こちらを真っすぐに見つめて話される瞳から、好奇心の強い人であろうことが伺えた。この日は少しお話をして店を後にしたが、その後もどうしても彼女のことが気になる。やはり、取材にゆこうと思い立ち、手紙を出したら、快諾してくださった。

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店主の森美香さん、ドイツから個人輸入した機械で生地を何層にも重ねて焼いてゆく

 森さんは、大学は獣医学部を志望していたものの思い叶わず、再び浪人するか否かを迷った。そんな時、近所のおばさんに、「一つの道に固執しても仕方がない。進学はして、たくさんの本を読むと良い。そうするうちに人生観も変わるよ」と言われて薬学部に進学した。  大学を卒業し、薬剤師の資格は取得したものの、広告会社で二年ほど働いた。その後、調剤薬局に転職。そこが漢方薬を扱っていたことから、東洋医学を徹底的に学ぶことになり、西洋医学の考え方とは全く違う世界があることを知った。勉強するうちに、“医食同源”の思想に強く惹かれるようになり、今度は東洋医学で治療を行なう病院で働くことになった。そんな中、趣味で作って仕事仲間にふるまっていたお菓子が評判を呼び、病院内で曜日を決めて販売することになった。「外で買うお菓子は何が入っているかわからないからこわくて食べられないけれど、あなたのお菓子は安心して食べられるし美味しい」という患者さんのひと言でお菓子の世界への転職を決意。「こういう人たちのために、お菓子を焼いてゆこう」、人生の針路変更は一瞬だった。「好きなドイツ菓子を学びたい」と、ドイツ行きを決意したのは三十二歳の時だった。  言葉もままならない、知り合いもいない、あまりに非現実的なドイツでの修業生活は、常に自分自身との対話を繰り返す日々で、日本にいる現在よりも、自分を俯瞰し、離れたところから見ることができたという。
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こうやってあの形ができあがるのかぁ……切り目になる部分をつける作業

 ドイツ人と同じようなことができる、もしくは少しばかり上手にできる菓子職人で良いと思いながら働いていたが、ふとしたことがきっかけで、今まであまり意識したことのなかった日本人という特色を、もっと前面に出した菓子を作っていかないとドイツにいる意味がないと思うようになった。自分の根っこは「和」であり、ドイツで見たもの食べたものが枝葉となる、そんな和と洋の両方を知って初めて作り出せるようなものとは……。  マイスター資格を取得した後、フリーランスの菓子職人として、あるレストランで独自のデザートを作らせてもらえる機会を得た。試行錯誤を重ね、漸くこれから作ってゆくものの形ができあがったと確信したとき、店をもつことを考えるようになった。
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木のぬくもりが温かく、庭からの光が明るい店内

 彼女の住んでいたベルリンは、土地柄「食べること」に重きを置かない。美味しいものも少ないし、それを楽しむ人も少ない。そして当然ながら回りのもの全てがドイツ語。この地で商売を始めるとなると中途半端なドイツ語では太刀打ちできない。そのドイツ語に注ぐエネルギーが製作を妨げるのではないか というわずらわしさを思ったりもした。仮にこの土地で開業できたとしても、投資した資金を回収するのにかかる年月を思うと、生まれ育った京都で開業するのが自然な形に思えた。  同じ作業を何度繰り返しても飽きることなく楽しかったドイツでのバウムクーヘン作り。そのバウムクーヘンと他に何種類かの焼き菓子、そして医食同源や五行(五味―酸・苦・甘・辛・鹹〔塩〕と調理法―生・焼・蒸・煮・揚)の考え方を取り入れた野菜惣菜を扱う店、ズーセスヴェゲトゥスが誕生したのは、帰国して二年と二カ月目(二〇〇七年)のことであった。
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空気を抜く作業。生地の感触は赤ちゃんの肌のよう!と、森さん

 現在は、バウムクーヘンが評判を呼び、それが主となっているが、野菜惣菜も今までとは違った形で展開したいという。  店に置かれる商品の素材はできる限り安全なものを吟味している。彼女の来し方と温かい思いが、全て調和してできあがったバウムクーヘンだから、一口いただいた時にあのような感動があったのだということが今にして漸くはっきりとわかる。たった一つの菓子においても、本当に人を感動させるような物には、想像もできないような背景が潜んでいるのだ。

 四苦八苦のドイツ生活や、次々と彼女に訪れる新しい居場所との“縁”のお話など、思っていた以上にパワフルな人で驚嘆するばかりだった。彼女が、「五年後、五十二歳で朽木(滋賀県)に代替医療の総合施設を創ることになるだろうなと思うんです」と呟いた時には、心底驚いた。なぜかしきりに伝えたいと思っていた『地球交響曲 ガイアシンフォニー第七番』の上映会のことが頭をかすめたからだ。このドキュメンタリー映画は、神道に見る日本人と自然との繋がりや、自然治癒力をテーマとしていて、代替医療の世界的権威で、『癒す心、治る力―自発的治癒とはなにか 』(角川書店)のベストセラーで有名な、アリゾナ大学医学部のアンドルー・ワイル博士が出演しているのだ。何と時宜を得たことであろう。私は彼女に、映画上映の詳細を伝え、後日その会場で彼女と再会した。

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生まれたてのバウムクーヘン

 やはり、彼女にはバウムクーヘンの店の次に考えていることがあった。しきりにそんな気がしていた私は妙に興奮していた。五年後というのは単なる直感でもあり、店に関わる借入金の返済が終わった一年後でもあるという。朽木という場所については、以前通りかかった時に、「ここは桃源郷か」と思ったからなのだとか。そういえば、現在彼女の店がある場所も、決して観光客がふらりと訪れるような場所ではなく、どちらかといえば京都市の中心部からはずれているのだが、前の通りからは比叡山を間近に望むことができ、自然と深呼吸したくなるような不思議に空気の澄んだ良い所である。そういう地に、彼女は縁があるのだろう。
 資金があるわけでもなく、まだ何の目処も立っていない代替医療の施設。ちょうど、西洋医学一辺倒の医療のみでは、何かが違うのではないかと思い始めている人が増えている。こんな世の流れも後押ししてくれるのではないか。これは彼女の単なる夢では終わらないような気がするなと思った。

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 ドイツにいた時には、自然と自身を見つめられていたが、現在は経営者という立場や様々な軋轢から難しくなっている。そんな自身を見つめるために、彼女は忙しい時間の合間をぬって、茶道とヨーガの稽古に通う。自分や回りのものが安定することなく、常に変化してゆくことを感じながら、“今”を大切に生きることが、未来へと繋がってゆくことを、彼女は日々の“気づき”の中で体得している。
 彼女の作るバウムクーヘンに出会えたことが、様々に繋がってゆけばどんなにいいだろうと思う。彼女の夢を回りに話すと、「是非とも彼女に会ってみたい」という人や、朽木近くに面白い生活をしている人々がいるとの情報も入ってきた。取材をし、文章を書き、記事が出て終わり、ではない。これが始まりなのだと思った。

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ズーセスヴェゲトゥス
〒603-8412
京都市北区紫竹下竹殿町16
電話/FAX075-634-5908
営業時間11時~19時
定休日水・木曜日

by admin  at 07:30
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