Mar 08
2011
葬儀に思う
先般、自坊の檀家さんではないが、近隣に住まわれる新興住宅地のお家から、喜寿で亡くなられたお婆さんの葬儀を依頼され枕経に出向いて、故人に末期の水をあげようとして驚いた。
なんと、枕辺にあるシキミが造花だったのだ。
いくら葉をちぎろうとしてもちぎれないので、ようやく気が付いたほどよくできていた。いくらなんでも、こんなことはすべきではないと、葬儀社に苦言を呈したのはもちろんである。
それどころか、通夜や葬儀はホールで行なったが、どうやら、祭壇のほとんどの花もすべて造花のようだ。儀式が始まってから気が付いたので、時既に遅しである。
きっと葬儀社に支払う費用がリーズナブルなんだろうが、遺族の人たちはどこまで納得してやっているのだろうか。たぶん、そこまで考えないうちに、葬儀社との打ち合わせで決められてしまっていて、ただ安く上がったなと思うだけでおしまいなのではないか。
じつは喪主である傘寿になるというご主人が、ちょっと頑固な方。枕経の時点での打ち合わせでも「簡単に済ませたい」の一点張り。中陰も五七日であけたいといわれた。理由を説明して七七日までしてあげてほしいとお願いし、ご理解をいただけることにはなったが。
それで私は秘かに考えたわけである。よ~し、この喪主を納得させられるような葬儀と中陰法要を行なおうと……。僧侶魂に火がついたというべきか。