Aug 27
2010
高野山にて
初めて高野山へお参りにでかけました。
宗派を問わず信仰されるお大師(弘法大師)さんの聖地。
世界遺産にも登録され、「最近はもう観光スポット的になっているんじゃないの?」などという思いもなきにしもあらず。
ですが、実際訪れて、自分のそんな思いが一掃されました。百聞は一見に如かずとはよく言ったものです。世界遺産に登録され、多くの人が訪れ、魅了されるのも当然で、素晴らしい事と感じました。
それは、奥の院の弘法大師の御廟を目にした時、「あぁ、弘法大師さんは生きてはるんやん」と自然と頭に湧いてきたからです。
何故そう思えたのか自分でもわかりませんが、威厳に満ち満ちた、邪悪なものを一切寄せつけないような神聖なパワーに圧倒されてしまいました。“気”をいただいて帰って参りました。
御廟をお参りする間中、「すごい…」という言葉しか出てこなかった私でした。
後で色々と調べてみると、Wikipediaでは、「真言宗では、宗祖空海を「大師」と崇敬し、その入定を死ではなく禅定に入っているものとする。高野山奥の院御廟で空海は今も生き続けていると信じ…」とありました。確かにこの身で感じてまいりました。
皆さんも高野山へお参りにおでかけになる際は、奥の院の御廟へのお参りをお忘れなく!
by admin at 07:30
ブログ禅御中
info@zenbunka.or.jp
2010年8月28日
前略。
◎「高野山にて」。
加藤咄堂師の『維摩経講話』上巻P、242に、「昔譚」として、一休さんと弘法大師との歌の遣り取りが出ています。
弘法は 虚空の定に 入りもせで
心狭くも 穴に入るかな・・・一休禅師
入りぬれば 虚空も定も ないものを
心狭くも 穴と見るかな・・・弘法大師
以上の出典、お分かりでしたら、教えて頂きたいのですが・・・。
東北寺 藤田吉秋
はじめまして。
私、花野井と申します。
とても興味深いブログでしたので、立ち寄って
みました。
高野山に行ってらしたのですね。
私は、まだ行っていないので、ぜひ、行きたいと
思っています。
かの有名な空海は、遍照金剛ともおっしゃる
ようですね。
大師は、今でも生きていらっしゃるといい、
お食事も、必ず、毎食出されるそうです。
いづれ、高野山に出かけましたら、必ず、
奥の院の御廟へのお参りを忘れないように
したいと思います。
それでは、また遊びにきます!
臨場感あふれる日記をありがとうございます。
いつか必ず行ってみたい!
そう思わされました。。。
>花野井さま
コメントいただきありがとうございます。
是非機会がございましたらお参りなさってみて下さい。
私は真夏の平日でしたので、御廟も人がほとんどいなかったのですが、母が申しますのに、気候の良いシーズンだと人の垣根ができて、静かに拝むどころではないそうです。
お食事を毎食出されるとの由、不思議ではないように感じます。
今後とも、どうぞ宜しくお願い致します。
>れんげさま
いつもご覧いただきありがとうございます。
本当に気持ちの良いところです。
御縁があれば是非行かれてみて下さいね。
今後とも、どうぞ宜しくお願い致します。
東北寺様のお名前を拝見したので、横から失礼いたします。。
5~6年前、広尾の東北寺に友人二人と、至道無難禅師のお墓参りに行きました。
その際、いろい伺いたがっていた友人にお寺が発行している冊子を下さり、親切にお寺の中まで案内していただきました。そのおかげで白隠禅師の書も拝見することができ、大変ありがたかったことを思い出しました。。
その節はありがとうございました。
ところで、弘法大師と一休は時代が違いますのに
歌の遣り取りとは、、と、興味深く拝見しました。
ブログ禅御中・れんげ様
2010年9月2日
◎「弘法大師と一休は時代が違いますのに歌の遣り取り」by れんげ
もとは、「弘法・伝教問答」だったかも知れません。これだとホントの喧嘩になってしまうので、一休さんに変えたのでしょうか。
http://www.h4.dion.ne.jp/~fuuhp/tyoropa/hangeki.html
●弘法大師VS伝教大師
歌でライバル対決をさせたい人が作った話だろう。
入定(思いをしずめ心を統一する。転じて聖人の死)する弘法大師(空海)に、伝教大師(最澄)がこう詠んでよこした。
空々と虚空の空に入りもせで心せばくも穴に入るかな
(虚空の空ではなく、心せまいことに、ただの墓穴に入るんですか)
すると弘法大師はこう詠み返した。
空々と虚空の空に入るものを穴と見るこそ心せばかれ
(虚空の空に入るんですよ。これが穴に見える人こそ心が狭いんじゃないの)
ホントの喧嘩はこちら。
http://hagakurecafe.gozaru.jp/42kuukai.html
東北寺 藤田吉秋