トップページ » 2009年3月26日

-不識- えしん先生の禅語教室 その4

達磨図
霊源慧桃 達磨画賛
禅文化研究所蔵

『伝灯録』などによると、菩提達磨はインドから中国へやってきたとき、金陵の都で梁の武帝に会見したことが伝えられています。武帝という皇帝は日本の聖徳太子のように、外来の仏教を熱心に受け入れようとした人で、時の人々から「仏心天子」と仰がれていたのです。当然、彼はインドからやってきた達磨という「碧巌の胡僧」(青い眼をした外国の僧)に深い関心を抱かれたのでしょう。

聞けば達磨という不思議な人物は、他の訳経僧たちと違って、漢訳した仏教経典の一つも持たず、手ぶらを振って中国にやってきて、「自分の仏教は文字に依らず、経典には書いていないことを伝えるのだ。そして人の心とは何であるかを問題にすることで人間の本性をつかみ取り、みんなを仏にさせるのだ」(不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏)と言いふらしている。そういう男にぜひ会ってみたいものだと思われたのでしょう。

武帝が、「私は即位いらい寺を建てたり、写経を勧めたり、坊さんを供養したりしてきたが、どういう功徳があるだろうか」と尋ねると、達磨は「無功徳」(何のメリットもありますまい)と言うのです。「仏教の教えるもっとも聖なるものは何か」と問われると、「廓然無聖」(カラッとしたもので、聖なんていうものなどではありません)との答え。

そこで武帝があきれ返って、「いったいお前さんは誰じゃ」と言われると、達磨は「不識」(知りません)と答えたのです。まるで人を喰ったような答えばかりで、武帝は何のことだかさっぱりつかみ所がなかったのですが、伝記の記者はそういう仕方で、達磨の禅宗が初めから他の仏教と一線を画していた、と言いたかったようです。

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by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (2)  | Trackbacks (0)