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陶工に号をつける -山寺のある一日-

寒い寒い山寺

この山寺に、二人の青年が突然登って来たのは、もう十年も前のことである。一人の方は、村の若者であった。二、三年前に、お婆さんのお葬式を出したので憶えていた。もう一人の方は、初顔であった。村の青年が言うには、その若者は、青年の奥さんの弟で、出身は大阪。九州は伊万里で修行した陶工だという。姉の縁を頼って、この村に自分の窯を持つことになった。ついては、陶工としての号をつけてほしいと言う。

「しかし、号などというものは、お師匠さんからいただくものじゃないの」。わたしは、ひとまずそう言って逃げた。「号をつけてほしい」と聞き、実は少し緊張したのである。わたしには、子供もなく、弟子なども持ったことがないので、誰かに名前をつけるということをしたことがない。もちろん坊主なので戒名はつけるが、生きている者の場合とでは、やはり違う。死んだ人が、わたしの戒名を背負って、あの世とやらで生きていっているのかは知らないが、この青年陶工は、確実にわたしがつけた号を背負って、これからの陶工人生を生きていくのである。号〈ゴウ〉が、業〈ゴウ〉になったらどうするのだ。そう思うと、なかなか容易には引き受けられなかったのである。

「いや、僕の師匠は、そんな人じゃないんです。ほかの弟子も、みんな自分でつけてますから」と、青年陶工は言った。いわゆる自号である。「和尚さん、そんなたいそうなことじゃないって」と、その義理の兄は言ったが、わたしにとっては、たいそうなことなのである。「お師匠さんは、なんという号なの」と、わたしは尋ねた。「タイザンと言います」。「どんな字」。「代を書いて、下に山。そして山」と、青年陶工は、自分の手の平に書いて見せた。「岱山」である。泰山、太山とも書く、中国五岳の一つである。「いい号だね、意味は知ってる?」と、わたしが聞くと、二人とも首をかしげるので、少し説明した。そのうちに、わたしの頭にひらめいた。朝課で読む“歴住諷経”の中に、道龍岱嶺という和尚の名前が出て来る。わが山寺の十世である。「少し待っといて」と言って、わたしは、経机に置いている歴住帳を取って戻った。そして、この道龍岱嶺和尚の“岱嶺”を指差して、「これ、どう?」と、今度はこっちが気軽に言ってみた。すると、「これはいい」と、二人ともうなずいている。「では、岱嶺にしなさい」と、結果的には簡単に決まってしまった。そして、「お祝いだ」と言って、わたしは、酒を用意しに、そそくさと台所に向かった。

実のところ、ホッとしていたのだ。わたしは、岱嶺と名づけたが、実は、わたしは名づけてはいない。名づけたのは、わたしから六代さかのぼる、この道龍岱嶺という和尚の師匠である。そんな屁理屈を考えて、わたしは、自分の中で責任のがれをしていた。世の親たちもこうなのだろうかと、子なし坊主は、その苦労を思った。

こうして、その青年陶工は、“岱嶺”という号をもらって帰って行った。そして今は、“岱玲”と名乗っている。なぜ、岱嶺〈タイレイ〉が、岱玲〈タイレイ〉に変わったのかという話は、またのブログでお話ししましょう。

by admin  at 07:30
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