禅僧のことば

禅僧のことば

今、研究所の出版企画で、臨済宗黄檗宗の各派管長とお会いしている。これは「禅とは何か」や「いのちの在り様」などのテーマをもとに各老師に語ってもらい、それをビデオに収録してDVD化するための出演依頼である。
映像に残るということで最初は難色を示された老師も、趣旨を説明すれば最後にはご理解いただき、今のところ交渉は順調に進んでいる。
第二次世界大戦後、長い歴史の中で培ってきた価値観を見失ってしまった日本人に、「人として生きることの意味」を禅僧の立場から語ってもらおうというのが企画側の意図であるが、お話しを伺う中で、老師の側からも、これほど人のいのちが軽視される今の社会に向けて、何かメッセージを発信しなければならないという意識も感じられた。
これまでお会いした老師方は、それぞれに個性は違うが禅僧としての魅力がある方々ばかりである。実際の収録ではどういった言葉を発していただけるか、今から楽しみである。

by admin  at 07:30
コメント
  1. 禅僧のみなさまにとって、坐禅とは何でしょうか?

    数年前からご縁があり、禅のお話をきかせていただいたり、ご本を読ませていただいたりしております。
    また、昨年より、坐禅会にも参加させていただく機会に恵まれております。
    早朝の禅寺で、小鳥の声を聞きながら、セミの声を聞きながら、秋の虫の音を聞きながら、雨の音を聞きながら、そしてわたる風を感じながら、ただ坐わらせていただく幸せ。
    ご一緒させていただいている方々のなかには、もう、20年以上も毎日通われていらっしゃる方も。

    ご指導いただいていたご住職さまが亡くなられてからも、みなさま、淡々と毎日坐わらせていただいていたそうです。

    ところが最近、ご法務がお忙しいということで、休会となってしまっております。

    毎朝の心静かで心豊かな禅寺でのひとときがなくなってしまったのが、残念でなりません。
    それを思うたびに、禅僧のみなさまにとって、坐禅とは何なのでしょうという疑問が湧いてきます。

    自宅で坐わりながら、また、禅堂での暁天坐禅の機会が与えられますことを願っております。

    by yui  2007年10月18日 01:55
  2. yui様
    昨年から通われていた坐禅会が休会になってしまったとのこと。残念ですが、それぞれのお寺には色々なご事情もありますでしょう。
    暁天坐禅で始めた一日は、とても清々しく充実したものになっていたことだろうと思います。
    静かに坐ることはもちろん坐禅ですが、行住坐臥すべてが坐禅であるのは、「動中の工夫は静中にまさること数千万倍」という白隠禅師の言葉もございます。
    寝ても覚めても坐禅中の気持ちでおられたら素晴らしいことだと思いますので、どうか続けてご精進ください。
    なお、地域にもよりますが、坐禅会をしている寺院は他にもあろうかと思いますよ。

    by 禅文化研究所  2007年10月18日 16:50
コメントを書く




保存しますか?


(書式を変更するような一部のHTMLタグを使うことができます)


画像の中に見える文字を入力してください。