トップページ » 2007年9月19日

“真実不虚”の布施

丹波篠山

「和尚、お経ばかり読んでおらんと、年寄りを遊ばせるのも、和尚の仕事やで」と、檀家総代から言われたのは、自坊へ入寺して、1年ほど過ぎた時だった。住職になってから間もなく、“年寄りを遊ばせる”という意味がよく分からず、ポカンとしているわたしへ、その総代は言った。「年寄りを集めて説教でもせんかい」と。

“説教” まだ40歳そこそこの若僧が、60・70・80の、じいさん、ばあさんに、何の“説教”ができるか。波瀾万丈の年月を乗り越えて来られた、人生の大先輩である。わたしは、正直にそう言って、「説教はできませんが、『般若心経』の文字の講釈ぐらいなら、どうにかできます」と告げた。すると総代は、「それでいい、何でもいい」と、言い放った。わたしには、“どうでもいい”というような雰囲気に聞こえた。
それから、「お布施はどうする」「お布施はいりません」「そりゃ、いかん」「いえ、結構です」「そりゃ、いかん」と、押し問答が続いた。「それじゃ、お茶と菓子代で、ひとり、百円持って来て下さい」と、わたしが言うと、「オッ、分かった。それでダ、その話は、お寺でせんといかんか」と、総代は尋ねた。かりにも坊主が、『般若心経』の講釈をするのだ、お寺以外の、どこでするのか。わたしには理解できなかった。またもやポカンとしているわたしへ、総代は言った。「あの坂は、年寄りには難儀や。下の公民館でやってくれ」。なるほど自坊は、かなりの高地にある。わたしはスンナリ、「いいですよ、公民館でやりましょう」と承諾した。

そういうことで、毎月1度、第1月曜日の夜8時から2時間の予定で、わたしの講釈は始まった。なぜ、夜の8時なのか。自坊のある小さな農村は、ご多分にもれず、3チャン農業で、60・70・80の、じいさん、ばあさんは、現役の仕事人だからだ。

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by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)