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ひげ1 -眉鬚堕落-

禅語に「眉鬚堕落(びしゅだらく)」というものがある。
眉やひげが脱け落ちてしまう、と言う意味であるが、言語を弄してみだりに仏法を説くと、その罪で眉やひげが脱け落ちてしまう、とのことである。
弟子のためにあえて言葉で仏法を説く場合は「不惜眉毛(ふしゃくびもう)」という。

初めてこの言葉に接した時、ふと思ったのは、眉はともかく、そんなに多くの禅僧がひげ(鬚はあごひげ)を伸ばしていたのだろうか、という疑問である。
普段からひげを剃っている人にとっては、ひげが抜けたとしても何の不都合もないだろう。
出家者に薄毛(いわゆるハゲ)の悩みがないように。

出家者は本来、髪はもちろん、ひげもきれいに剃るのが戒律の定めである。
東南アジアでは眉も剃るという。
ところが、中国では宋代のころから髮やひげ、更には爪も伸びたままにしておく禅僧も多くなったようなのである。日本に伝わる中国禅僧の肖像画のいくつかにも、髮やひげが描かれている。
当時、禅僧と髮やひげとの間には、あまり違和は感じられていなかったようである。

そんな風習を道元は、仏祖の戒めに背くものとして厳しく非難している。
たしかに、爪を伸ばすのは、労働とは無縁な士大夫階級を象徴する風習であった。

by admin  at 13:19
コメント
  1. ブログ禅御中
    info@zenbunka.or.jp
    2011年1月21日
    前略。
    ◎「眉鬚堕落」。
     「眉鬚堕落」、「不惜眉毛」について、中川渋庵氏の『禅語字彙』に、

    [眉鬚墮落]「盛に法を説くをいふ。猥りに法を説く者は、謗法戒を犯すに依り、その罪の為に眉鬚脱落すといふ」
    [不惜眉毛]「謗法戒に触れて、眉毛の脱けるも厭はず説法するの意」

    とあり、『禅学大辞典』にも、

    [不惜眉毛]「古来、余り仏法を説きすぎたり、まちがったことを説いたりして謗法戒を犯すと、罰として眉鬚がぬけ落ちる、といって戒められているが、そのような罰を蒙ることも顧みずに為人説法すること」

    とあって、ともに典拠を明らかにしていませんが、道忠師は一歩踏み込んで、

    ◎『虚堂録犁耕』。
    「忠曰、不可説之法而説、皆可爲謗法。謗法者眉鬚墮落。故宗師、常以垂説爲『不惜眉毛』也。
    忠曰、謗法者、眉鬚墮落。今於離言正法、纔有言説、皆是謗法。可眉毛墮落。然有言説、不惜眉毛也。
    又曰、『法華經』二上、譬喩品偈曰、
    若得爲人、聾盲瘖瘂、貧窮諸衰、以自莊嚴、水腫乾痟、疥癩癰疽、如是等病、以爲衣服乃至謗斯經故、獲罪如是止此
    蓋癩人眉墮。故謗法曰「不惜眉毛」、「眉毛在麽」等也。

    と丁寧に説かれていました。『虚堂録犁耕』付索引・二冊・61,165円。これをもう少し廉価に且つ使いやすい形に出来れば良いのですが・・・。
                          東北寺 藤田吉秋
                          toubokuji@nifty.com

    by 藤田 吉秋  2011年1月21日 15:58
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