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白隠禅師法語全集 第9冊
遠羅天釜 上・中・下・續集
訳注・芳澤勝弘(花園大学国際禅学研究所教授)
46判上製・696頁
定価:本体3,300円(税別)
ISBN978-4-88182-140-4  C0015
発行日:2001/3/16
巻之上
肥前蓮池藩主の鍋島直恒に与えた法語。内観による養生法を具体的に説き、坐禅中だけでなく、日常生活における「動中の工夫」の重要性を示したもの。すなわち、さまざまな社会生活をしながら、出家者と少しも変わらぬ道果を得られるのだと、「欲界にあって禅を行ずる」法を述べ、在家禅を指南した一書である。その養生法については、禅師のもう一つの代表作である『夜船閑話』とあわせ読むことによって、より理解を深めることができるであろう。

巻之中
病気で臥せっている修行者に、病中の工夫について示したもの。その大部分が、白隠が若いときに、信州飯山の正受老人から教諭された内容である。正受老人の教化を知るための好資料でもある。

巻之下
法華経の心髄を説いたもの。法華経の至極の旨は、つまるところ「心」の一字に帰する。心外無法、三界唯心、万物と一体である自己の真性、自心の妙法、この法華の真面目を見届けよ、とすすめる。白隠の法華経観を端的に示した好篇である。

続集
念仏と公案との関係について述べたもの。両者のあいだに優劣はないとはするものの、来世に西方浄土に往生することを希望する姿勢をやめて、念仏をも工夫の手段として、見性すること、すなわち自己の心源にある浄土をこそ見届けなければならないとすすめる。
末尾に付された「客の難ずるに答う」は、白隠の弟子である斯経が補説したもの。極楽浄土は方便の幻化であって実体のないものである。白隠禅師が示すのは、そのような浄土ではない。いっさいに遍満している真理としての浄土である。

有でもなければ無でもない。言葉を超えた妙なる心性。具体的な内観法、動中の工夫を通し、人々に本来具わる自性を、はっきり見届けよとすすめる。

おらでがま 巻の上 (意訳)

鍋島摂津守への答書/内観と養生の秘訣/摩訶止觀/まずは養生/動中の工夫/声色堆裏に坐臥すべし/六塵を取らず捨てず/欲に在って禅を行ず/火裏の蓮/内観の具体的方法/男の中の男が抱くべき抱負/誤った無事禅/白幽仙人の内観法/わが内に丹を錬る/気を下に収める/養生は一国を守るようなもの/主心を定める/地獄に落ちた聖賢の話/多忙の中で工夫していく/正受老人の不断坐禅/耕しつつ戦う方法/静処の工夫でははたらきが出ない/在家禅/得力の深さは修行の方法による/正念工夫の具体的方法/得力を点検するための語/向上の公案/無事禅の悪弊/憂うべき禅界の現状/参禅は妄念と戦うこと/古の聖賢の苦修ぶり/古の武士の修行ぶり/おらでがま 巻の中 (意訳)/遠方のさる病僧への書/正受老人の示諭/病中ほどよい修行の場はない/腫れ物を患った老僧の工夫/病こそわが先生/ある真言僧の病中の工夫/中国の禅僧の例/正念とは何か/現代の職業坊主の風潮/正受老人、狼の中で坐禅/軟酥の法/おらでがま 巻の下 (意訳)/法華宗の老尼への手紙/心の外に法華経なく、法華経の外に心なし/妙法蓮華経は妙法に、妙法は心に帰する/妙ということ/蓮華とは/経とは/三種の法華経行者/真の法華経は無事経/法華の真面目を見届けよ/まず大疑団をおこす、「心とは何ものぞ」/我が世界で世界が我/無事禅のあやまり/いずれの宗旨にも優劣はない/浄土は遠くはない/わが心でわが心を見る/美田を相続した子供たちの話 他


遠羅天釜(本文・注)
卷之上 遠羅天釜序
「鍋島椄州殿下ノ近侍ニ答ウル書」
卷之中 「遠方ノ病僧ニ贈リシ書」
卷之下 「法華宗ノ老尼ニ贈リシ書」
(舊友の僧の批判に答える)
(遠羅天釜跋)
續集  「念仏ト公案ト優劣如何ノ問イニ答フル書」
「答客難」(斯經慧梁撰)
遠羅天釜跋
解説
資料『釜斯幾』烏有道人著
遠羅天釜 (原本影印)
卷之上
卷之中
卷之下
續集の跋

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