公益財団法人 禅文化研究所

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調査研究

オウム真理教問題研究会 第7回研究会

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これまでの討議内容の纏め

これまで6回、半年余りにわたって重ねてきた研究討議を総括するために開催され、以下の事項が確認された。
 
この研究会の発足点は、オウム真理教や麻原たちの欺瞞性を暴き糾弾するところにあったのではなく、オウム教団に誘惑されて入信した人々をどうするかというところにあった。6回の研究討議の中でオウム真理教を悪の一言で弾劾する意見は出てこなかった。それは、「オウム事件」の背景には同時代に生きる社会人としての、そして宗教人としての「われわれ」の責任があり、「オウム問題」は「われわれの問題」だという共通認識があったからである。
 
上記の共通認識に基づいて、「われわれ」はいま「何」をなさねばならず「何」が出来るかを検討して、大別して二つの問題を明らかにした。一つには、「オウムの一般信者」に対して緊急対応の体制を如何に構築するか、二つには、「われわれ」の現状を「われわれ」自身に明らかにして、基本的と思える三つの観点から、いま「何」をなさねばならず「何」をなしうるかを洗い出したことである。
 
この「何」の基本をなす姿勢は、弔いと供養が中心となっている宗門の現状を打破して、原点に立ち帰り、生者・ 生の現実の方に向き直るという、そういう方向転換の覚悟をもった姿勢である。
 
原点ないし基本に立ち帰るという事は、「不安の中で誠実に禅僧としての日常生活を尽くして行く」ところに生まれてくる禅僧としての自信に立脚すること、換言すれば、各々がそれぞれの縁によって如何なる住職として寺院に住しているにせよ、各々が「上求菩提下化衆生」の生涯の参禅者として、日々の看経・ 坐禅・ 作務だけは忘れない張りのある生活に立脚するということである。人に何を説き社会に何をなすとも、「われわれ」の一切はここに始まり、ここに終わると言わざるをえない。
 
「オウム事件」の背後に「われわれ」の責任があるとすれば、それは、「われわれ」自身の原点に対する「われわれ」の責任に他ならない。