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隠山惟逅ー筆 一行書「白馬入蘆花」

隠山惟逅ー筆 一行書「白馬入蘆花」

日付 2011/9/16
作者 隠山惟琰(いんざんいえん/1754-1818)
詳細 聴松堂011

白馬入蘆花(白馬、蘆花に入る)

半切 絹本
本紙ヨコ27cm×タテ130cm
表装ヨコ41.5cm×タテ193cm
出展は、『碧巌録』第十三則。
隠山惟逅ー……臨済宗。峨山慈棹の法嗣。字は隠山。越前(福井県)大野郡伊野原村の人。白山神祠の祝人の家に生まれ、九歳のとき美濃(岐阜県)興徳寺の禅規の労により、老山辨愚について出家する。従うこと八年、岐阜瑞昌寺の万国について三年間修道し、一九歳、出遊して、以後月船禅慧に参ずる。二六歳のとき関西の高僧たちに参じて宗旨を問決。のち、美濃の梅泉寺に住したが、白隠に参じた峨山慈棹が白隠の宗旨を宣揚しているのを聞き江戸にのぼる。峨山のもとでさらに刻苦精励し、三九歳でついに蘊奥をきわめた。峨山が美濃の清泰寺・梅龍寺、駿河(静岡県)の連光寺に移るに従い常に侍し、のち梅泉寺に帰って修行者を指導す。四七歳春、梅龍寺に住したが、同年秋、同寺を明峰道質に譲り、みずから草庵を結んで自適した。八年の後、播磨(兵庫県)鹿谷山中に入って三年、文化三年(一八〇六)春、美濃瑞龍寺に宗風を宣布した。文化五年九月、紫衣を贈られ、翌年秋、京都に上り、関山国師四五〇年を営み、皇居に参じて恩を謝した。文化一一年四月二九日示寂。世寿六四、法臘五六。正灯円照禅師と追諡された。

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