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一絲文守筆「倶胝竪指図」

一絲文守筆「倶胝竪指図」

日付 2011/9/16
作者 一絲文守(いっしぶんしゅ/1608-1646)
詳細 聴松堂006

倶胝竪指図

団扇台帳 絹本
本紙 ヨコ32.5cm×タテ25cm
表装 ヨコ51cm×タテ101cm
大正15年に刊行された『一絲和尚遺墨集』によると、本図は当時東京渡辺勝三氏の蔵にかかり、「倶胝竪指図」と題されているが、後に横山文綱師の所蔵に帰し、師の寂後、禅文化研究所に寄贈された「聴松堂文庫」の尤品の一つである。
常に天龍一指頭の禅を挙揚した倶胝の故事は、『碧巌録』の第十九則や『無門関』の第三則等にとり上げられ、古来より禅林絵画の好画題とされており、季刊『禅文化』33号の表紙上にも春叢筆の「倶胝竪指図」が掲載される。
本図は俗に団團絵と称され、もともと屏風の貼交せ用に書かれたもののようであるが、屏風仕立ての遺品の外にこのように掛幅用に仕立てられた作品も多い。一絲の孤高にして数奇な生涯に就いては、はやくから識者の関心の集まるところとなり、それが徳富蘇峰、辻善之助を始め現代の唐木順三氏に至るまでの一連の論稿となって世に表われ、多くの一絲ファンを醸成して来ている。その優れた遺墨を蒐蔵したいと熱望する人もまた多い。まことに一絲の絵画はその高貴な出自のなせるわざか、権力におもねぬ凛然たる気概の故にか、孤高にして清澄の気に満ちみちている。(『禅文化』66号より抜粋)
一絲文守……臨済宗。京都久我家の出。字は一絲。寛永三年、京都槙尾の賢後律師について出家し、再び沢庵に参ず。のち愚堂東寔、雲居希膺について学び、愚堂の法を嗣いだ。(一説に永源寺の空子元普の法嗣とも)。後水尾上皇の帰依を受け、その篤い信任を得て、寛永十五年、賀茂に霊源院、同十八年、丹波に大梅山法常寺を開いたが、同二十年近江の永源寺に住した。正保三年三月十九日示寂。世寿三十九。法臘二十。延宝六年、定慧明光佛頂国師の号を賜った。

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