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白隠慧鶴  顧鑑咦

禅文化研究所 資料室蔵 (禅文化-010)

筆者:

白隠慧鶴(はくいんえかく) (1685-1768)

鵠林(こくりん)とも号す。静岡県駿東郡浮島ケ原の杉山氏の子。貞永2年(1865)12月25日に生まれる。15歳で村の鶴林山松蔭寺の単嶺祖伝について得度、のちに沼津大聖寺の息道に随侍し、20歳、美濃大垣瑞雲寺の馬翁に待す。各地を行脚の末、美濃飯山の正受庵、道鏡慧端のもとに至り参究、飯山城下を托鉢中に老婆のに竹箒で一打されたのが転機となり大悟した。その後も各地の宗師を歴訪行脚し、32歳にして郷里の松蔭寺に住した。三島龍澤寺等を開創。
禅師は、接化の手段として公案を重視し、「隻手音声」という独自の公案もあり、また著作や墨蹟等も非常に多く遺されている。
明和5年(1768)12月11日、松蔭寺にて示寂。世寿84。明和6年、神機独妙禅師と敕諡され明和17年には正宗禅師と追諡された。

内容:

顧鑑咦 こかんい
顧鑑咦=雲門が学人の機を試みた手段。顧鑑とも鑑咦ともいう。『禅林僧宝伝』巻二、雲門章に「毎(つね)に僧を顧見して即ち曰う鑒咦と。而して之れを録する者、顧鑒咦と曰う。徳山密禅師、顧字を刪(けず)り去って但だ鑒咦と曰うのみ。叢林に目(な)づけ以て抽顧頌と為す」。ここでは読者にむかって「よく見よ、それっ」と注意を喚起するほどの意。
白隠禅師法語全集 第七冊の『八重葎 巻之三 策進幼稚物語 他』
(禅文化研究所発行)より

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