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霊源慧桃 応無所住 而生其心
禅文化研究所 資料室蔵 (聴松堂-161)
筆者:
霊源(れいげん)慧桃(えとう) (1721-1785) 享保6年11月10日生。丹後(京都府)の人。俗姓は小島氏。九歳、同国全性寺の光嶽に投じて出家。同国観音寺の黙堂、美濃(岐阜県)東光寺の大道文可、松蔭寺の白隠に参禅し、白隠の印可 (悟境が円熟したと認めたときに、その悟境を認可し証明すること)を受けたが、さらに葦津(いしん)慧隆(えりゅう)の鉗鎚(けんつい) (師家が修行者を鍛錬すること)を受けた。 のち、全性寺の席を嗣ぎ、明和三年(1766)、京都天龍寺僧堂にあって、『碧巌録』を挙揚(こよう)(仏法を宣揚し、人々を導く事)し、大衆八百。 安永7年(1778)、嵯峨広沢に要行院(現廃寺)を開創。 天明5年3月9日示寂。世寿六十五、法臘(ほうろう)(出家して具足戒を受けてから遷化するまで)五十七。 『要行開山霊源和尚遺録』『開山霊源和尚法語雑集』があり、ともに『白隠和尚全集』巻八に所収。『遺録』付録「開山和尚塔銘」「碑銘」、『近世禅林僧宝伝』巻上。
内容:
応無(おうむ)所住(しょじゅう) 応(まさ)に住する所なくして 而生(にしょう)其心(ごしん) しかも其の心を生すべし 出典:金剛経
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