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白隠慧鶴  鍾馗画賛

禅文化研究所 資料室蔵 (聴松堂-132)

筆者:

白隠慧鶴(はくいんえかく) (1685-1768)

鵠林(こくりん)とも号す。静岡県駿東郡浮島ケ原の杉山氏の子。貞永2年(1865)12月25日に生まれる。15歳で村の鶴林山松蔭寺の単嶺祖伝について得度、のちに沼津大聖寺の息道に随侍し、20歳、美濃大垣瑞雲寺の馬翁に待す。各地を行脚の末、美濃飯山の正受庵、道鏡慧端のもとに至り参究、飯山城下を托鉢中に老婆のに竹箒で一打されたのが転機となり大悟した。その後も各地の宗師を歴訪行脚し、32歳にして郷里の松蔭寺に住した。三島龍澤寺等を開創。
禅師は、接化の手段として公案を重視し、「隻手音声」という独自の公案もあり、また著作や墨蹟等も非常に多く遺されている。
明和5年(1768)12月11日、松蔭寺にて示寂。世寿84。明和6年、神機独妙禅師と敕諡され明和17年には正宗禅師と追諡された。

内容:

鍾馗画賛

玄宗皇帝が病に付し高熱に浮かされていた際、自分に取り憑く多くの悪鬼を退治する鍾馗の夢を見ます。鍾馗は科挙の試験に落ち、故郷へは帰れまいと自ら命を断ちましたが、手厚く葬られた為、その恩に報いるべく、国家を災いから救う誓いを立てたというのです。夢から覚めた玄宗皇帝は既に快復し、この鍾馗を神として祀る事にしました。
このような伝承から、鍾馗は邪悪なものから人々を守ると信じられ、京都では魔除けとして、瓦師が作った鍾馗像を屋根の上に置いている家が多いのです。

賛:

或ひは玉殿廊架のしたみはしの本までも
津るぎをひそめて忍び忍びに

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