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一絲文守 倶胝竪指図

禅文化研究所 資料室蔵 (聴松堂-006)

筆者:

一絲(いっし)文守(ぶんしゅ)(1608-1646)

公家、岩倉具暁の第三子。十四歳にして相国寺の雪岑(せっしん)に参じた。後に南宗寺に赴き、沢庵宗彭に参ず。寛永三年(1626)京都槇尾の賢後律師について出家し、再び沢庵の元へ戻る。その後、愚堂(ぐどう)東寔(とうしょく)の法を嗣いだ。皇弟近衛信尋と親交が深く、信尋の勧めにより後水尾上皇に謁して、深くその帰依を受けることとなり、寛永十五年(1638)賀茂に霊源院、同十八年丹波に法常寺を開いた。また、同二十年からは近江の永源寺住持となり、寺を中興したが、三十九歳で遷化。

内容:

倶胝竪指図

倶胝和尚:唐代の人。常に倶胝観音咒を誦したので、倶胝(ぐてい)と称す。 浙江省にあって、実際尼の質問に答えられず、庵を捨て諸方を遊歴した。大梅法常の法嗣天龍に参じ、つぶさに前事を述べたところ、天竜はただ一指を立てた。倶胝は忽然大悟し、以後何を問われても一指を立てて答えた。これにより、「倶胝の一指」といい、「一指頭の禅」という。
『新版 禅学大辞典』大修館書店より

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