日本にはいろいろな種類の仏教があって、その教えや修行方法は、宗派によってみな異なっています。禅宗といえば、修行の中心はいうまでもなく瞑想つまり坐禅ということになるのですが、別の宗派では、たとえば護摩をたいて呪文を唱えたり、毎朝、野山を走り回ったり、念仏を唱えたり、あるいは、特別な修行などしてはならないという極端な他力を主張する宗派もあります。日本の仏教を外から見たら、まるで修行の博覧会、「一体ほんとうの仏道修行はどれなんだ」と困惑してしまいますね。しかしこれは、何千年にもわたる長い歴史の中で、いろいろな原因によって仏教が枝分かれし、変質してきた結果なのです。どれが本当の仏道修行か、と聞かれても、どれもが仏教という大きな宗教運動の一支流である以上は、「これは仏道修行ではありません」といって特定のものだけを捨ててしまうわけにはいきません。もしそんなことをしたら、結局はあらゆる宗派の修行を捨てなければならなくなるでしょう。とはいっても、もともとはお釈迦様という一個人から出発した宗教ですから、お釈迦様の時代からずっと続いてきた修行と、後の時代になって新しく導入された修行というものを区別することは可能です。こういう時に、仏教学という学問が役に立つわけです。
古い時代の資料を見ると、お坊さんたちは、大きく分けて二種類の修行をしていたことが分かります。ひとつは瞑想。もうひとつはお経の勉強です。つまり坐禅をして精神を集中させ、お経を学ぶことで智慧を磨いたわけです。今でもスリランカなどの上座仏教では、このかたちを守っています。黄色い衣を着たスリランカのお坊さんが、野山を走り回ったり護摩をたいたりすることはありません。そしてこの形は、日本の宗派でいうなら、まさに禅宗の修行そのものですね。こういうと、禅宗の皆さん方は嬉しそうな顔をなさるのですが、でもお釈迦様時代のお坊さんは、律にもとづいた僧団生活をおくりながら、そういった修行をしていたのですから、今の禅宗と全く同じというわけでもありません。とにかく、お釈迦様時代のお坊さんたちの修行スタイルは非常にシンプルで、かつ合理的だったのです。
よく、年末や元旦に、冷たい冷たい滝の水にうたれて修行している仏教者の様子がテレビに映りますが、ああいった修行も、本来の仏教にはありませんでした。自分の心を清らかにするのに、水を浴びたって何の効果もありはしませんからね。心を清浄にするためには、自分の力で心の中の悪い要素、つまり煩悩をひとつずつ消していくしか道はないのです。ですから仏教では、沐浴することになんの神秘的な力も認めてはいません。水を浴びるのは、ただ身体の汚れを落とすことだけが目的です。だから毎日水を浴びたりはしません。何日かに一度、身体が汚れた時にだけ水浴びするのです。
ところで、お釈迦様の時代、お坊さんは水浴びの他に、サウナにも入っていました。これはちょっと意外でしょ。水浴びは身体を清潔に保つのが目的ですが、サウナの目的は、修行で疲労した身体をリラックスさせて、健康な僧団生活を続けていくことにあります。その詳しい作り方、使い方は、みな律の中に書かれています。サウナといっても、今みたいに、木造りのしゃれた小部屋を想像してはいけません。かま風呂と言った方がいいでしょうね。土をこねて、室を造り、その中にカマドを設けます。そこで火をたくと、その熱気が室の中に籠もります。もちろんカマドからはもうもうと煙がでてきますから、煙を抜くための煙突あるいは煙抜きの窓がつけられていました。充分に室が熱くなったら、小さな入り口から身をかがめて中に入ります。中の熱気はかなり強くて皮膚が焼け付くので、顔には熱を防ぐための泥を塗り、身体には水を掛けておきます。そこでじっとしていると、たちまち体中から滝のように汗が流れ始めます。一杯汗をかいて、身体が軽くなったら室から出て、外で冷たい水を浴び、泥と汗を流します。気分はまさにサウナですね。このあと私なら冷たいビールでも飲んで、「生きててよかったー」などと叫ぶところですが、律を守るお坊さんのことですから、きっと水かジュースを飲んで「出家してよかったー」と叫ぶんでしょうね。
私は先年、ラオスへ行ったのですが、首都ビエンチャンのお寺で、サウナに入る機会がありました。律に書いてあるものより随分すすんでいて、ちゃんと立派な木造の部屋(といっても二、三人入れば一杯になる小さなものですが)があって、下の薬草釜から立ち上る芳しいハーブの蒸気が、もうもうと身体を包み、部屋に入って十秒もすると、たちまちドッと汗が噴き出してきます。二、三分入って外に出て、外気で身体を冷やしてまた入る、ということを何度か繰り返すうちに、なんだか身体の毒気がどんどん抜けていくような爽やかな気分になり、すっかり別人になったようでした。スタイルに違いはあっても、当時のお坊さんたちも、サウナに入れば、私と同じように、爽やかな気持ちになって、「さあ、また修行に励むか」といって、やる気をだしたのでしょう。
このように、サウナと仏教僧団は、古代インドの時代から深く結びついていました。そして仏教が周辺の国々へ広まるにつれて、サウナの設備も、それらの国へと伝わっていったのです。ただし、インドで造られたお椀を伏せたような形の仏塔が、日本へ来ると五重の塔に変化するように、本来かま風呂であった僧団のお風呂も、日本にまで伝わってくると、かなり違ったものになりました。どういうものになったのか、詳しく知りたい方は、妙心寺境内の明智風呂をご覧になればよく分かります。外で沸かした熱いお湯を、樋を通して、湯殿に流し込むというスタイルですね。サウナ兼湯浴み場といったところでしょうか。日本でお寺の中にお風呂が造られた一番古い例は東大寺です。このお風呂は今では使われていませんが、巨大な鉄の湯船でお湯を煮立て、そのお湯で部屋を暖めると同時に身体を洗うという、インドのサウナとはかなり違ったかたちになっています。そして、その浴室の入り口は、きれいな唐破風になっています。これこそが、日本中のお風呂屋さん、つまり銭湯の入り口が唐破風造りになった理由です。遠く二千五百年前のインドで生まれたサウナの習慣が、日本中のお風呂屋さんの建築様式に影響を与えているというお話でした。
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