三余居窓話

 

もくじへ

西村 惠信〔前花園大学学長・禅文化研究所所長〕

生とも道わず死とも道わず

三余居窓話34(2002/4)


     一
 先日、立正佼成会の庭野平和財団から、「人はなぜ、何のために生まれてくるのか」(年刊『平和と宗教』第二十号)を贈ってもらった。新宗教であるだけに、時代に密着した問題意識が強く、私のように古くさい伝統教団にどっぷり漬かっている者には好い刺激になり、大いに教えられるところがあるので毎号を楽しみにしている。
 ところで我われは普通、「人がなぜ、何のために生まれてくるのか」などと問われると、そんなことはとっくの昔に仏陀や祖師たちが説かれているじゃないかと、あたかも自分にとってさえ自明のことのように思ってしまうのである。しかし、誰かから正面切ってそう問いかけられたとき、果たして揺らぎのない答えが出せるかというと、これはちょっと怪しいことになろう。 
 今度送ってもらった『平和と宗教』を開くと、仏教、神道、キリスト教、イスラム教というような立場の人びとが、それぞれ自分なりに立派な回答を寄せていて、なるほど同じ 問いでも信仰が異なるとこうも違った答えになるものかと、宗旨の違いが醸し出す人生観の多様性というものに、今更ながら感心させられたのである。
 要するに、こういう初歩的な問題に対してどのように答えられるかということが、自分の信仰の質を端的に見せてしまうバロメーターになるわけだから、問われてもたもたしているようでは、信仰も人生観もまだ未解決という情けない状況の自己告白になるわけである。
 読んでいて一つ面白かったのは、川崎信定氏の『チベット死者の書』をめぐる論文であった。「〈人は死への存在である〉とか、〈人間の生とは緩慢な死である〉とする近代西洋流の考えに真っ向から対立するのが『チベット死者の書』(バルドゥ・トェ・ドル)である」という冒頭の一文を読んで、にわかに眠気が覚める思いがしたのである。
 というのは、禅宗の方では、どうかすると鈴木正三や白隠和尚に毒されて、「死」を見つめて生きるということを禅僧の誇りとする向きがあるからである。私自身高校生の頃、正岡子規が『病牀六尺』の中に、「余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった」と述懐しているのを知って、なるほど禅が「死」を強調するのは、むしろ力強く「生」きるためであったのかと、ひそかに感心した憶えがある。
 チベット人が死者の耳もとで読む『死者の書』なるものは、死によって始まるこれからの「中有」(死んでから次の生を得るまでの四十九日間)をどのように送るかを指示したガイドブックであると言う。つまりチベット人にとって、死は次の生への準備のためのものだと言うのである。

     二
 ところで禅宗では生と死の問題がどう扱われているかというと、この生死問題こそが禅修行のアルファでありオメガで あるとされているのである。たとえば中国唐代の兜率従悦という禅者は、修行者がやってくると決まって、「撥草参玄は 只だ見性を図る。即今上人の性、甚処(いず)れにかある。自性を 識得すれば(まさ)に生死を脱す。眼光落ちる時、 作麼生(そもさん)か脱せん。生死を脱得すれば便ち去処を知る。 四大分離、甚処に向かってか去る」と問いかけたと言う。これが世に「兜率の三関」として恐れられる入門試験である。
 兜率和尚の詰め寄る三つの問いの第一は,禅修行の目的は只だ自己の本性を見定めることに尽きるのだが、お前さんの 本性はこの瞬間どこにあるか見せてみろ。第二問、自己の本性さえしっかり掴まえておけば、死の準備は既に完了だが、 お前さんはいよいよ臨終という時、どのように死んでいくか。また死んでからのお前さんの行く先はどこだ、と言うのが 第三問である。
 今でも日本中の坐禅道場では、「生死事大、無常迅速、時不待人、慎勿放逸」と書いた板を叩いて朝夕の時を告げるこ とになっている。生死の解決こそは最重要課題である上に、時間がどんどん過ぎて行くばかり。ひとときも気を緩めては ならないぞ、と言うわけである。それゆえ禅僧は昔からこの課題に取り組んで修行に励み、悟りを得て立派に人生を生き、 そして惜しみなく死んでいったのである。
 では禅僧たちはどういう答えに至ったか。その例を二つ三つ挙げてみよう。南北朝時代を生きた妙心寺の関山慧玄は、 生涯にただ一語、「慧玄が這裡に生死無し」を残して逝ったと言われる。徳川時代の沢庵和尚は死に臨んで「夢」の一 字を大書し、「百年三万六千日、弥勒観音(ほと)んど是非、 是も亦た夢、非も亦た夢、弥勒も夢、観音も亦た夢、仏云わく、応に是の如き観を作すべしと」と添えている。また同 じ時代に博多の仙所ナさんが、弟子たちに囲まれて「死にともない、死にともない」と言いながら死んでいった話はよく 知られている。
 そうなると、禅宗としていったいどれが正解なのかさっぱり分からないということになるであろう。しかもどの人も 悟りによって生死を超えたと言われている人の死にざまに違いないのだから、どうやら禅僧の死に方には定型パターン というものがないらしい。ということになると、禅宗には定型となる信仰箇条のようなものさえないとなるであろう。 要するに禅宗では、いかに生きいかに死ぬかは各人まかせ、これについては誰も教えてくれないのである。

     三
 このことを示す面白い話があるのでここで引き合いに出して、読者の皆さんを煙に巻くことにする。一つは『碧巌録』五十五則に挙げている話で、唐の時代に道吾円智という禅僧が弟子の漸源仲興を連れて喪家を弔問する。弟子の漸源が棺桶を叩いて、「生ですか、死ですか」と問うと、師の道吾は、「生とも言わん、死とも言わん」と答えたのである。「どうして言わないのですか」「言わん、言わん」。道場への帰り道、漸源が、「和尚さん、どうか今すぐ何とか言ってください。それでも言ってくれないのなら、和尚を打ちのめしますぞ」と詰め寄ると、道吾和尚はまたもや「打ちたければ打つがよい。言わんと言ったら、言わん」の一点張り。そこで漸源は道吾和尚を打ちのめしてしまったのである。その道吾和尚もやがて遷化(死んで)してしまった。そこで漸源は石霜慶諸という和尚の道場に移ってまた同じ質問をしたところ、石霜和尚からも「言わぬ、言わぬ」の答えが返ってきた。ところが漸源はこの同じ答えを聞いて、初めて悟りを開いてしまったという話である。
 普段から「生死一如」などということを、耳がタコになるほど聞かされていたのであろうか。漸源はこの時とばかり死んで棺桶に入っている人を指して、「生か死か」などという愚問を発したのであろう。しかしそんな議論が死という現実の前には何の意味もないのは決まっている。事実としては生か死かのいずれか一つ。いくら打たれても生と死を二つに分けて説くなどと言うことはできやしないのだ、というのが道吾和尚、石霜和尚共通の親切な答えであったわけである。どうやら禅僧というものは、どの人も徹底して事実主義であるというところに共通点があるらしい。
 もう一つの話は少しニュアンスが異なるが、やはり禅僧の生死観を知る面白い話である。これも唐の時代に大梅法常という有名な禅匠があって、夾山と定山という二人の修行者がこの人を訪ねてやってきた。その道すがら生死の問題をめぐって二人の激論となったのである。定山は「生死の苦しみの世界に、もし仏がおられなかったら、生死などというものもないではないか」と言い、夾山は「いや生死の中に仏がおられさえしたら、生死に迷うこともなかろう」と言って、両者が譲らないまま夕刻になって大梅山に到着した。
 さっそく大梅和尚にお目にかかった時、夾山がこの話をして、「私たち二人のどちらが真実でしょうか」と問うと、「一親一疎」(一人は当たり、一人は外れだ)との答え。そこで夾山が、「ではどちらが当たっていますか」と問うと、「まあ今夜はこれ位にして、明日にしなさい」と言われた。
 翌日、夾山がもう一度参上して同じ質問をすると、大梅和尚が、「親しき者は問わず、問う者は親しからず」(一人は当たり、一人は外れだ)と一喝された、とまあそういう話である。
 何ごとでもそうであるが、事実とぴったり一つになっている場合には、その事実を知ることはできないのである。ああだこうだと思慮分別するということは、すでに事実から遠く離れて、これを対象的に見ている証拠であろう。眼は眼を見ずと言われるように、自分が自分を見ることは出来ないのである。自分を知っていると言うことは、すでに自分から離れて見ているのだから、そんなのは意識によって造り上げられた架空の自己でしかないと言うことであろう。生とか死とかいうものでもこれと同じで、その真っ只中にいる者にはあれこれ言う隙はない筈だとするのが、まあいちおう禅宗らしい答えであろう。

     四
 いったい禅問答と言うものは、木で鼻を括ったような答えばかりで、聞いた方にとってはさっぱり取り付く島もないというのが通例になっている。こりゃいったい何のことかと、訳の分からぬところへ頭を突っ込んでしまう中に時間ばかり経って、ご臨終と言うことになってしまうのが九十九パーセントというのであるから、非情と言えば非情な世界ではある。それで師匠の採る最後の手段は、一棒や一喝で弟子の迷いをぶった切ってしまうほかはないということになるらしい。
 そういう荒っぽい手段の臨済宗に比べると、曹洞宗の道元さんという人は実に親切な方と言うべきであろう。生死の問題について、道元さんの次のような説法は大いに吾人の参考になるであろう。

ただ生死すなはち涅槃とこころえて、生死としていとふべきもなく、涅槃としてねがふべきもなし。このときはじめて、生死をはなるる分あり。生より死にうつるとこころうるは、これあやまりなり。生はひとときのくらゐにて、すでにさきありのちあり、かるがゆゑに仏法のなかには、生すなはち不生といふ。滅もひとときのくらゐにて、またさきありのちあり、これによりて滅すなはち不滅といふ。生といふときは、生よりほかにものなく、滅といふときは、滅のほかにものなし。かるがゆえに生きたらば、ただこれ生、滅きたらばこれ滅にむかひてつかふべしといふことなかれ、ねがふことなかれ。  (『正法眼蔵』生死)

 立正佼成会から、「人はなぜ、何のために生まれてきたか」と、こちらへも問いを突きつけられているような気がして、えらい屁理窟をこね回してしまった。そこで清涼剤を一服。

生死の中の 雪降りしきる     山頭火


 もくじへ