死のうた 生のうた

佐伯裕子〔歌人〕

禅文化研究所発行の季刊『禅文化』の連載記事。本連載は、禅文化研究所より単行本として刊行予定です。季刊『禅文化 』のご購読はこちらから どうぞ。


死書かずに終わった生命(いのち)のために

死の(がわ)より照明()らせばことにかがやきて
       ひたくれなゐの(せい)ならずやも
    斎藤 史
                  
 人は他人の死を知ることはできるけれど、自分の死を知覚することができない。だからこそ、何度も「死」の意味を探りあうのだろう。決して知り得ないものなのに、くり返し想像し、考えつづけてしまう。でも、それでは、生きて暮らしているこの世の「生」の意味はわかるのかといえば、これがわからない。結局、何ひとつ明らかにならないなかで、日々を生きる不思議に気づくばかりである。
 しかし、と一首はうたう。それでも、冥界から見返したとき、生きているこの場所はきっと、ひたくれないに輝いているにちがいない。いま生きている「ここ」こそが、光溢れる生命の場でありすべてなのだ、と。
 明治四十二年に生まれた斎藤史は、昭和十一年の二・二六事件に深く関わった歌人である。陸軍の軍人だった父、瀏が反乱幇助罪により官位を奪われ、幼なじみの栗原安秀中尉ら青年将校たちも処刑された。

  二月二六日、事あり。友等、父、その事に関る。
羊歯(しだ)の林に友ら倒れて幾世経ぬ視界を覆ふしだの葉の色
春を断る白い弾道に飛び乗って手など振つたがつひにかへらぬ
濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ

  五月廿日、章子生る。同廿九日、父反乱幇助の故を以て衛戍刑務所に拘置せられる。
暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた
(ぬか)真中(まなか)弾丸(たま)をうけたるおもかげの立居に憑きて夏のおどろや

『魚歌』所収

 書かないで終わった彼らの生命(いのち)たちのために、史は生涯にわたって歌を作りつづけている。つねに、「生の側」に住む、生き残った者の眼差しを湛えながら、彼らに呼びかけるのである。
 冒頭の歌は、昭和五十年の作品で、歌集『ひたくれなゐ』の秀歌として人口に膾炙した一首である。当時の史の生活環境の苦しさは、歌集の後記に端的に書かれている。
 「……老母の失明はいよいよ進み、昼夜もなく、時間もなく、約十年。このごろでは食事の記憶さえたちまち消えて、全く身心老耄、暗黒の中にいます。また、昭和四十八年に脳血栓に倒れた夫は、救急入院以後三年余、近頃は起床も起立も出来なくなりました。共に一級身障者です。……両者ともしだいに堕ちるばかり、荒廃の姿になってゆきます」。
 老母が八十六歳、娘である史は六十五歳だった。この、一級身障者の老人介護に明け暮れる苛酷な日々に、掲出歌は作られた。暮らしが荒廃し尽しても生きていれば、それは「生の側」の住人といえよう。だが、果たして「堕ちるばかり」の彼らを輝くくれないの生と呼べるのだろうか――。煩悶しながら、老母と夫の「荒廃の姿」を見つめる作者が浮かんでくる。
 それでも、それだからこそ……、と一首は訴える。どのように短い生命でも、どれほど悲惨な生存であろうと、それでも「死の側」から照らして見ると、彼らは、いかに煌々と、ひたくれないに息づく「生」であることか。
 死はわからない。生の意味も知らない。ただわかるのは、ここに生き行くものの輝かしさ、かたじけなさだけだ、とうたう。まるで、生命への信仰告白のような一首である。作者は何の宗教に帰依しているわけではないけれど、二・二六事件の悲劇を生き、戦争に生き残り、そして老人介護の苦渋を味わいながら、おのずから生きる意味を理解したにちがいない。

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