『もうろくの春』という詩集を一昨年の冬にいただいた。ご本人の鶴見俊輔さんが書かれた詩集だ。小さな本だが、丁寧な装丁が昔風で、表紙を開くと、かすかにきしむ音がした。懐かしい気分が吹き込んだ。
鶴見さんは、梁山泊が開業した一九七三年の当初からのお客さんだ。今では最古参で最高齢に近いお一人だと思う。
梁山泊のオリジナル料理で「鴨の野焼き」というのがある。倉本聰さんが第四回「路傍の石文学賞」を受賞されたときだ。東京から電話がかかってきた。
「あのサ。夕べ灰谷さんに会ったら、淡路でうまい鴨を食ったって、しきりに自慢されちゃってサ。ことあるごとにだよ。そのことばかり言うンだ。悔しいンだよ。憲ちゃん、その料理って知ってる? 知らないのならいいよ。とにかく灰谷さんが食った事のない鴨料理を食わせてよ。女房と二人で明日行くからサ」
「路傍の石文学賞」第一回の受賞者は灰谷さんだった。そのプレゼンターで淡路島からやってきたわけだ。自分で育てた鴨をつぶして食った自慢まじりの話だったと想像がつく。倉本さんはまんまと乗せられたようだ。とはいえ、鴨料理の定番は鴨ロース。倉本さんにこれを出せば火に油を注ぐようなことになる。う〜ん、悩む。
次の日、気合い満々の倉本さん夫妻が、カウンターに座られた。受賞したという「めでたさ」もなく、いつになく厳しい雰囲気だ。名誉より、食い気の人だと察した。
こちらは、どのように鴨を料理してよいものか、まだなんのイメージも湧いてこない。でも、倉本さんの気迫を知って、気持ちが自由になった。兎に角、楽しんで作ればいいと覚悟ができたからだ。
鴨のモモ肉をまな板の上に取り出した。肉と皮をはがしている。既に段取りが決まっているように、調理している。当て塩をして、鴨を揉んでいる。それをボールに入れ、酒を振りかけている。すべてが誰かに操られるように、自動的に行なわれていく。ひらいた鴨に串を打っている。炭火の上で焼き始めた。皮からしたたる脂を肉にこすりつける。
鴨肉の表面は自らの脂で唐揚げ状態になり、おかげで中の肉汁は外に出られない。内部の肉は塩と酒混じりの肉汁で自身を蒸している。こうばしい焼いた香が店内に広がる。鴨肉のこの香りは、特に猫に鰹節的、無条件幸福だ!
誰かが乗りうつったような、不思議な料理をした。
倉本さんご夫妻は一口食べるなり、興奮状態だった。それで、店の品書きに載せることにした。
初めに試食していただいたのが、鶴見さんだった。
鶴見さんは、一九二二年に政治家鶴見祐輔の長男として誕生。祖父は政治家の後藤新平。高等学校尋常科から中学校までに退学二度。日本での最終学歴は小学校卒。十六歳でアメリカのミドルセックス・スクールに入学する手はずを姉、和子さんが整えた。翌年、十七歳でハーバード大学哲学科に入学。一九四二年、十九歳で卒業。卒論「ウイリアム・ジェイムズのプラグマティズム」が戦時下のアメリカ当局の目にとまり、理不尽にも日本人収容所に収監。同年、戦時交換船で帰国。以後アメリカ合衆国には行かない。
さて、来店されると必ずと言っていいほど、「鴨の野焼き」を注文される。これを食べるとご機嫌で、目を輝かせて、楽しい話をしてくださる。
「中小企業のオーナーの甲斐性といえば、一昔前は妾を持つことだったでしょう。ソンな時代に女性に養われた男がいたのですよ」
その男は、一時はパリの社交界を一斉風靡した「バロン薩摩」と呼ばれた薩摩治郎八。彼はパリで「東洋のロックフェラー」と呼ばれ、放蕩の様は半端ではなかったようだ。その額、六百億円とも言われている。ところが、敗戦で日本円が紙くずになり、文無しで日本にもどった。浅草につくと、踊り子と出会うが、途端に惚れ合う。彼女は踊り子をやめ、二人して彼女の郷里、徳島に移る。彼女の洋裁仕事で、生計を立てることにした。獅子文六さんが彼に取材を申し出られ、徳島の行きつけの旅館で会うことになった。獅子さんが、旅館の玄関に立つと、いい香りがする。実はバロン薩摩が振っていた。彼は使うはずのない暮らしでも、オーデコロンを手放さずにいた。
鶴見さんは、「あの時代にオーデコロンですよ。すてきだな」
さて、鶴見さんにもどる。京都大学の人文科学研究所に入所される経緯だ。これを仕掛けたのは、桑原武夫さん。当時、人文科学研究所の助教授だ。
マッカーサーは京都大学総長を相手に教育制度の変更を一方的に押しつけてきた。そこで、桑原さんは通訳に鶴見さんを推薦した。マッカーサーの通訳はあのライシャワー。総長の話す日本語は難しい。ライシャワーさんには通訳できない言葉が出る。
「鶴見さん、あなたならいまの日本語の英訳はご存じでしょう? 教えていただけませんか」
「はい。存じ上げております。ただ私は京都大学総長に雇われております。誠に残念ではございますが、お教えするわけにはいかないのです」
このやりとりは、会議中何度もあった。そのたびに総長は溜飲を下ろす。桑原さんは、
「総長、鶴見君を京都大学で雇うわけにはいかないでしょうか? ただ、日本での学歴は小学校卒業ですが」
総長は二つ返事。一九四八年、京都大学嘱託講師という立場を鶴見さんに作った。翌年に、京都大学人文科学研究所助教授に就任。日本は優れた哲学者を抱えることができた。
名誉より食い気に走る倉本さん。バロン薩摩とその夫人。恥を忍んで鶴見さんに尋ねることができたライシャワーさん。学歴が無くても、優れた人を登用した総長。見込んだ男をとことん信じた桑原さん。中小企業のおっつぁんはさておき、それぞれにそれぞれの甲斐性がある。
鶴見さんはいろいろな人の甲斐性を山ほど梁山泊のカウンターで教えてくださる。そして、鶴見さんご自身の甲斐性がすきだ。
「僕は大学を十年以上務めないのです。日本の制度は十年以上大学に勤めると、某かの勲章をくれるのです。僕は要らない。しかし、断れば、欲しがっている人に悪いでしょう。そういう問題を起こすのもいやで、そっと辞めるのです」
ありがたいことに、いまも梁山泊を辞めずにお越し下さる。素敵なもうろくだ。
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