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梁山泊の四季(202号所収)

秋−いきぬく
永田照喜治さん 「トマト」

橋本 憲一
 

京 百万遍 梁山泊 主人


 「野菜の味をどうおもいますか」
 唐突に、受話器の向こうで話は始まった。
 『うまい魚が食いたい』を出版した直後の電話だった。いきなり本質的な問いかけは、重かった。
 確かに「うまい」をテーマに書いた。次は野菜だと考えていたが、書き上げて直後だったので、「うまい」からは少しの間だけ無縁でいたかった。しかも、電話の主は見ず知らずの人だ。
 哀しいことに、自分の本心とは裏腹に、商売柄というのは怖い。つきあってしまうのだ。よくよく聞くと、この人は農法の実践と研究をしていることがわかった。
 いまの農業はいかに流通に迎合した野菜を作るか、即ち段ボール箱に詰めやすいとか、見た目がどれほど良いかを重要視している。しかし、そんなことより「うまい」「健康によい」を目指す農業でないと、生産者も消費者も報われない。いつまでも流通主導の農業を続けていると、この国からうまいものがなくなってしまう。そのため、農業に「味覚」という物差しを加えたいので協力してほしいという話だった。
 魚について書いたのと同じ状況が、野菜の世界にも当てはまることがよくわかった。

 電話は永田照喜治さん。トマトで永田農法の有用性を証明された人だ。
 永田トマトの生育メカニズムは見事だ。トマト畑作りは原産地の環境を作るという、至極真っ当でいながら、コロンブスの卵的発想で始まった。トマトの原産地は南米、アンデスの小石の高原だ。水分と栄養分が極端に不足した土地柄だ。彼の地で誕生してしまったトマトは僅かな水分を地中に求めざるを得ない。根は小石の間を深く張っていかなければならない。でも足りない。毛細根は土壌が砂質にかわってからも、全身を震わせて潜っていく。
 この努力は水分だけでなく、地中深くの滋味をも吸ってくる。これがトマトのうまみになる。
 そこまでしてもまだ水分は足りない。トマトは茎、葉、実の至る所に羽毛を生やすことを思い立った。金色に輝く羽毛だ。これで、なんと空中の水分を摂るのだ。でも残念ながら、これでも十分な水分は手にできない。生き残りをかけた戦いはアンデスの乾いた高原で続く。
 トマトはとうとう茎、葉裏から蒸発する水分を押さえることを考えた。リストラの最終項が始まる。出費の節約だ。粘性の強い液体を自ら作り出し、それで蒸発しやすい部分を覆ったのだ。すべては次の世代を生み出すため、実一点に集中するのだ。
 植物を馬鹿にはできない。動物と植物のゲノムは七十パーセント同じだと言われている。残り三十パーセントが違うだけだ。そうなると、菜食主義にもどこか危うさが漂うな。
 まァま、植物のどこかに目があり、耳が…、そして必ず脳がある。なぜそう思えるのか? それは粘性の液体だ。
 不足しているのは、水分だけではない。栄養分もだ。いわばトマトは喉が渇いて、腹ぺこの状態なのだ。
 この界隈に住む昆虫たちもまた同じ運命を背負っている。精魂のすべてを込めた真っ赤なトマトを見つけると飛びかかる。手も足も出ないトマトにはなすすべもない? いや、トマトは手放しで諦めはしない。生き延びてきた知恵が働く。粘性の強い液はトリモチの役目をする。ただ昆虫を茎や葉裏に貼り付けて、動きを封じるだけで終わらない。黄金に輝く羽毛が動く。動けない昆虫を無駄死にさせない。水分が吸える羽毛は昆虫の栄養も取り込むことができる。死と背中合わせに生き残る努力は、トマトを食虫植物にした。昆虫に食われて未成熟のまま腐っては、生まれてきた甲斐がない。いや、トマトの事情が許さない。
 というのも、滋味に加えこの生命力も得難いうまみになる。「うまい」はトマトが生き残る重要な条件なのだ。うまいから動物が食いに来る。そう、行動範囲の広い動物に食われるため、即ち死ぬために、必死に生き抜く努力を重ねてきたのだ。
 こういうことだ。食われたトマトの種は消化しない。種は糞に混ざり、高原にばらまかれる。糞という栄養源を添えてだ。そして、トマトがとても行けそうにないところまで運んでくれる。糞も行動範囲も小さい昆虫はそのため拒否されたわけだ。どうしてトマトがこのことを悟ったかは謎だ。ただ確かなことは、アンデスの高原をトマトで埋め尽くすという夢を見ているのだ。

 このメカニズムを看破した永田さんは、トマト栽培が無農薬でできることに気づくのだ。トマトも凄いが永田さんも凄い。
 どうしても、トマトの栽培現場が見たくなった。トマトの香りや味も知りたい。永田さんとの旅が始まった。新潟、佐渡島、北海道、高知佐川町、土佐清水町など回ることになった。
 大きな仕組みでトマト栽培を始めた福島県の新地町には、ガラスの城と呼ばれる温室が作られた。オランダから輸入した一辺が数百メートルもある巨大なものだ。秋口から、冬にかけてトマトが食える仕組みの温室。
 中に入ると、閉鎖的な窮屈さはない。ミツバチが授粉のため飛び交っている。トマトの香りで漲っている。粘性の液を指先でこする。懐かしいあのトマトだ。脳のまわりにこびり付いた疲れという垢がハラハラ落ちていく。太古の時代に荒野をさまよい、やっと巡り会えたオアシスならぬ、トマト。これで命が助かるという安堵の記憶が蘇ってくる。うまいものには、このような記憶を呼び起こす力がある。
 温室には天窓があり、温室内の気温を察知して自動で開閉する。開くと、良い風が流れる。風は天窓から吹き込み、側面の網戸から出て行く。だから、ミツバチは逃げない。
 苗の根っこに細いビニールパイプが二本差してある。栄養と水だ。ギリギリの量だけを注いでいる。栄養は鶏糞を発酵させ、メタンガスを取り除いたのを液化したものだ。
「有機農法は最善の方法だと思われていますが、実はよくないのですよ。必ず発生するメタンガスは毛細根を痛めてしまうのです。滋味がくみ取れないのです。だからこのガスを燃やしましてね。湯を沸かすのです。この湯を温室に流して、熱源にするのですよ」
 循環する農業は環境を汚さない。
「いや、農業自体、環境破壊なのですよ。それぞれ気分よく自生していたところへ、人間の都合が割ってはいったわけですから。だからこそ、自然に対する行儀が必要なのです」

 食べられるものには命がある。その命を頂いて、自らの命をつないでいる。
「でも、自分の命をどう差し出すかが、スマートでないといけません。自然は食い逃げを許しませんよ」
 永田さんに教えていただいたトマトの捨て身を手本に、自分の命を差し出す覚悟を考えることにする。それにしても短気に受話器を置かずによかった。

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