2007年9月23日。高度を上げニェンラ(年拉)峠を越えたら、ずっと伴走してくれた瀾滄江がどんどん細くなり、ついに姿を消した。谷塘鎮を過ぎ、海抜4572メートルの浪拉山峠を越えてまもなくポムダ(邦達)高原湿地に入った。碧空と白雲のかなたに連綿と連なる雪山。目前に草原が広がって、一気に視界が開けた。
海抜世界一の空港
人家も疎らな益青村を通りかかった。突然、道路の左側に異様に幅の広いまっすぐな道が現われた。飛行機の滑走路だとドチュさんがいう。これがあの噂のチャムドポムダ(昌都邦達)空港か! 1995年に建設されたこの空港は海抜4334メートルで世界一、滑走路も5500メートルで世界最長、おまけにチャムド首府まで136キロもある、国内では都市から最も遠く離れた民用空港でもある。今は週に四便しか飛ばず、エアバス319機種が運航されている。チャムドは成都ともラサとも1300キロ離れ、どちらに行くにも数日はかかる。確かにここに空港があれば便利には違いないが、こんなに海抜が高いと、飛行難度や気候条件もさることながら、乗る人もかなり大変だろう。なによりも機内から一歩出ると、まず高山病にやられそうだ。にもかかわらず、航空券の入手はままならないというのもまた不可解なことだ。
正午、ポムダ鎮に着いた。腹は空かないが先方の町との距離を考えて、やはりここで食事を済ませるほうが落ち着く。国道214と国道318、即ち四川・チベットの北ルートと南ルートが合流するこの地は、2年前に周壮さん・馬元龍さんと旅したコースとの合流点でもある。当時の「川味飯店」は見つからなかったが、あの口達者なマダムと、唇が肥えて玉のように光るポムダ魚が思い出された。
ポムダ鎮は以前に比べて幾分活気づいている。「四海香飯店」に入って食事をしていると、チベット族の若者が寄ってきた。蟲草を買わないかと、そっとビニール袋を差し出し、「冬蟲夏草」を見せてくれた。蟲草は海抜が3000メートル級の高山の草原地帯にしかできないもので、チベット地域では特にここポムダ草原とナクチュ(那曲)草原のものが珍重される。百本ほどあるのを三人で全部買い取った。北京より何倍も安いはずだが、買うとどうも罪悪感を負わされる。蟲草が大金に化けるから、むやみな掘り出しの誘惑に駆られる。その悪循環で蟲草の消滅はそう遠くはないだろう。反省しきり、だ。
ポムダからラサまでは2年前のコースと重なる。道々の景観が往時の情景とオーバーラップして懐かしかった。ガマ・ラ(業拉山)の峠でキャンチャ(五体投地)の模範を示してくれたチベットの女性、遊龍巨蟒が山に絡みつかんばかりの72のヘアピンカーブの広大な気勢、轟々とうねり滾る濁流に架かる怒江大橋、自動小銃を手に目を光らせて守衛する番兵、「写真は絶対ダメ!
カメラも隠せ!」と青くなったアチンさんの顔、パシュで出会った笑顔の美しい夫婦と甘えん坊の幼い女の子――五体投地をしながらラサに向かっていたあのファミリー。秋の朝もやが湖面に立ち込め、逆光の中に湖心の小島が嵌め込まれてエメラルドのように眩しいラウォ湖……。二年も経つとさすがに変化もいろいろあった。道路事情が改善し、アスファルトの道が随分増えたようだ。道中の町が賑わいを見せ、宿泊施設やスーパー、食堂などがよく目についた。七十二のヘアピンカーブの隘路もすでに経験していたし、巧みなドチュさんの運転もあって、とくに緊張はしなかった。パシュ(八宿)もきれいになり、「交通賓館」は面目を一新していた。
今回こそは米堆氷河にと満を持し、近い町に泊まるほうがいいと考えて、ラウォ(然烏)まで足を伸ばすことにした。ラウォ鎮には新しい旅館が幾つかできていたが、この時間帯ではどこも満員なので、バックパッカーを対象とした簡易旅館に泊まるしかなかった。氷河を見るために、翌朝六時半に出発するので、今のうちにラウォ湖を見ておこうとそそくさと飛び出した。夕暮れのラウォ湖は強風がひゅうひゅうと音を立てながらほの暗い湖面を吹きわたり、気温が下がって寒かった。二年前のあの美しい詩的なラウォ湖が急に恐ろしく豹変した感じだった。
夜、「ネット・カフェ」に入り、同窓ウェブサイトでわれわれ3人組の行程を見守る同窓生たちに、道中の見聞をリニューアルした。2年前にはなかった「ネット・カフェ」だが、ここ数年、通信事業各社が先を争って最後の浄土に進出した結果、固定電話、移動電話、無線コール、IT・インターネットなどさまざまなビジネスが展開することになった。現代技術の目覚しい発展は、世界と「第三極」のチベットとの距離を縮めた。
米堆氷河
コースが同じだからといって、前回となにもかも同じというわけではない。前には体験できなかった米堆氷河に行けることは望外の喜びであった。
24日早朝6時半、外はまだ暗い。脳裏に焼きついていた湖心のエメラルドのように眩しい小島は見られない。かわりに車のヘッドライトの光の束の中を、野兎が逃げ惑った。薄暗い中を小一時間ほど走ったら、「米堆村」と書かれたアーチが現われた。米堆氷河の入口である。車が峡谷唯一の道に沿って4、5キロ走ったところで、道が消え村が現われた。
空は徐々に明るんできた。炊煙が緩やかに立ち昇り、あたりのしーんと眠っていた村が蘇った。のどかな草地、清々しい渓流、素朴なチベット風木造の民居、微風になびくタルチョの鮮やかな群れ、まさに桃源郷である。
いつの間にかチベット族の年寄りが寄ってきて、ガイドに雇ってもらえないかと、不慣れな漢語で切り出した。旅行者は氷河への小道によく迷うし、往復には五、六時間もかかると言うので、50元払ってガイドをお願いした。65歳。この村で生まれ育ち、7、8歳からヤクや羊の番をしたという。経験は豊かで信頼できるが、漢語だけは意味を推量しながら判断するのに骨折った。
雲か霧がかかって米堆氷河はどこにも姿が見えない。氷河の麓まで2、3キロあるとガイドがいうが、そんなチベットのものさしでは済まなさそうだ。さらさらと流れる渓流を渡り、林を抜けるうちに空はすっかり明けた。
海抜3870メートル。足もとを確かめながらデコボコの岩場を歩いているうちに、雲間から突然雪山が現われた。海抜6358メートルあるという主峰は、さながら頭を青空に向け、翼をひろげていまにも9万里の空を飛び上がろうとする「鯤鵬」のようで、背に陽光を受けて華麗に輝いている。波がうねるような雪を頂く稜線が見事そのもの、その美しさに思わず嘆声が出た。一昨年、米堆氷河とはすれ違いだっただけに、今回の旅で念願が叶って嬉しさに身震いした。美景を見るのに代価を払うのは当然、疲れがどこかへ飛んでしまい、氷河への足取りも軽かった。
中国では数ある氷河に名前がない。名前がある場合は、大体氷河の手前にある村名を借用する。来古氷河しかり、米堆氷河もそうだ。米堆氷河はポメ(波密)県玉普郷の米美と米堆両村に位置し、県城のチャム(扎木)鎮より90キロ離れている。チベット東南のニェンチェンタンラー(念青唐古拉)山脈とボォスゥラー山脈(伯舒拉嶺)との結合部に当たり、中国においては最大の季節風海洋性氷河の分布域という。
しかし、ほかでもない詩のような、絵のようなこの静かな米堆氷河は、1988年7月15日の深夜に、突然天地がひっくりかえるようなエネルギーを爆発させた。連日の高温が氷河内部の温度を上昇させて氷河の断裂をもたらし、巨大な氷塊が滑落の勢いを加速して末端の湖に突っ込んだために湖の水位が急に上がり、洪水を誘発してしまった。氷河土石流が村や畑を押し流し、「川蔵公路」の国道318が40キロも大破して半年も不通だったという。
石がごろごろして道らしい道はない。石塊に覆われ、下に覗く氷の割れ目はまるで殺意を潜めているかのように獲物を待ち構え、真っ黒な口を開けている。その穴にうっかり落ちたら、それこそ不帰の客となる。要注意箇所に来ると、いつもガイドの老人は足を止めてきちんと示してくれる。彼の先導する道をそれると、厳しい眼つきで睨まれる。海南さんが帰途先導の道を外れて勝手に歩いたため、物凄く怒られた。
氷河の美は雪峰と一体である。雪峰があってこそ、氷河の壮麗さが引き立てられる。絶景を愛でながら歩くので、氷河の麓に辿り着いたときにはもう正午近くになっていた。雲一つなく晴れ渡ったチベット特有の空の青はなんとも言えない。山頂から滝のように流れてくる氷河を踏み締めた時には、感動で胸が一杯になった。同時に人間が如何に小さく、取るに足らないか、しみじみと分かった。満足感に酔い興奮も手伝って、疲れは全然感じない。ふと若い男女の声がしたと思うと、男の子一人と女の子三人が現われ、驚いた顔で僕らをしげしげと見つめている。よくもここまでやってきた、と言わんばかり。まさかこんなところでこのオッさん連中に会おうとは思いも及ばなかったのだろう。なまりから南方の出身と見当がついたが、男の子は杭州、女の子は深せんからだと無邪気に教えてくれた。
ラッキーなことに、そろそろ引き上げようとする頃から雲が濃くなり、米堆氷河がとうとう隠れてしまった。後ろ髪を引かれる思いで米堆氷河を後にし、パロン・ツァンポに伴われてポメ(波密)に向かった。
米堆氷河は大きな感動を与えてくれた。その上、快晴に恵まれてポメに着くまでの間はこれまた風景、しを満喫した。平坦なアスファルト道を車は気持ちよく走り、河川、森林、田園、雪山が織り成すパノラマは次々に趣を変えて目を楽しませてくれる。なかでも雪山が特に圧巻だった。
十六時近く、「チベットのスイス」というポメに到着。二年前に昼食をとった「雪域美景大酒楼」が見え、ほら吹きの「小広東」が懐かしく思い出された。さびしい旅路に興を添えた彼は今どこで何をしているのだろう。海南さんがチベット料理のバターくささが馴染めないというので、彼の相伴をして刀削麺(沸騰中の鍋に包丁で削り落として作る麺)を取ることにした。
タンメ 名もなき雪山

17時近くに悪名高いタンメ(通麦)天険の山崩れ区域に近づいたら、山から流れ込んだ水が前方の道を横切っている。僕らのランドクルーザーは揺れながら問題なく渡りきったが、反対側から自転車で渡ろうとした外国人の男女はそうは行かなかった。流水の深さは20センチほどだが、山からの落差が加わって水の勢いが急で、下手をすれば、流される。男は足元をしっかり踏ん張って野外用の行李を載せた自転車を注意深く押し進め、女性は心配そうに見守っている。無事渡ると、今度は戻って女性を介抱する。どうした弾みか、ふらついたところを、二方向から中国の男性がすばやく飛びだして助け船を出し、事なきを得た。
無事済んでほっとしたところで、目の前に迫力凄まじい雪山が現われて驚いた。チベットで最も美しく、最も震撼させてくれるものは、いうまでもなく雪山である。中国でも清らかな泉と鳥の囀りに耳を傾け、木々や草が茂って爽やかな気分で登頂できる泰山・黄山・峨眉山・盧山・衡山など古くから詠われた名山は、確かにそれぞれ個性があって感激するが、チベットの地に足を踏み入れて以来、銀色に輝く雪山の気勢雄大な姿を目の当たりにした感動には、とうてい及ばない。眼前に開ける名もなき雪山の凛々しさにすっかり圧倒された。
これは後日談だが、帰京後、南昌在住の親友・杜克強さんに旅の写真を送ったら、とても気に入った次の詩作を贈ってくれた。

チベットの山と雲 あれは山ではない、 まさに船そのものだ。 あれは雲ではない、 天にも届く白帆だ。
重任を荷うこの帆船、 地球を載せて宇宙を駆け巡る。
山、巨人をして頭高々と、 四海に比するものなく聳え立たせ、
雲、巨人をして風姿爽やかに、 ここ聖地を光り輝かす。
かじとる者は黙々と、 不滅の信念を胸に秘め、
天命を畏怖れず、 崇めるは自然のみ。 艱難に満ちた一路の匍匐は、 全力で大船を曳くためにある。
(次回へ続く)
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