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聖域巡礼 私の目から見るチベット(205号所収)

東チベット〈シャングリラからラサ〉へ行く(五)

李 建華(り けんか)
 

禅文化研究所客員研究員・北京在住


 山々に囲まれてきらきら輝く湖。大自然の入神の技こそが、この絢爛多彩な姿を彫りあげることができるのだ。車は、細長いラウォ(然烏)湖沿いに揺れながら走り続ける。どれぐらい経っただろうか、湖の終わったところでザユル(察隅)への道に別れを告げ、さらに幅の狭い来古氷河への道に入った。小道は雨季に入れば路盤がいつも水に浸かって通ることができきないので徒歩でゆくしかないそうだが、いまは通れるかどうかアチンさんにもわからず、運に任せるより仕方がないのだ。目前にチベット族の村が現われた。カァンサー村だ。ワァングォー(望果祭)が過ぎたせいか、人影が見えない。チンコーはほとんど刈り入れが終わり、広庭の木組みの矢倉に晒されて、倉庫に取り込まれるのを待つばかり。村を抜けて川谷の坂道伝いにゆっくり進むうちに、道は一方通行しかできないぐらい狭く、険しくなった。

チベット族のカァンサー村
 

河にはまり進退窮まる
 道はとうとう川谷の底まで下がって河水に浸り、岩壁が視線を遮って曲がる先の深さはわからない。アチンさんは少しためらったが、「これまでに一度通ったことがあるから、試してみよう」と言いながら発進して、ハンドルを右へ左へ見事に捌いて強行した。岩壁を曲がったところで、路盤が現われてほっとした。
 しかし、今度は道そのものが急に消えた。道がなくなれば、どこも道なわけだ。川谷は広い平地となり、車の疾走に任せた。時々横切っている河水に遮られるが、アチンさんは躊躇することなく突進する。数本の河水を渡って調子に乗って撮影していたが、さらに車が突進したとたん、車輪が引っかかってぴたっと動けなくなった。アチンさんは慌ててアクセルを踏んだが、車は唸るばかりで、力むだけ沈み、いよいよピンチになった。「しまった! 水が入ったぞ!」と元龍さんが悲鳴を上げる。アチンさんはすぐズボンのすそを捲くり上げ、靴下を脱ぎすてて、「慌てるな」と言うなり車外の水に飛び込んだ。
 僕の脳裏に、昨年、李叡と西チベット・アリを旅した時に体験した神山カン・リンポチェ(カイラス)山麓の光景がありありと甦った。気候の変化の激しいチベット高原。朝出発した時には晴れ渡っていた空が見る間に黒雲に覆われて、急に土砂降りの大雨になったのだ。煙雨に霞む山々や野原、妖雲に隠れた須弥山、シバ神が宇宙を狂わせたかのように、無限の大地に人影はおろか羊やヤクの群れさえ忽然と姿を消したなか、独り疾走するわがジープが河に嵌まり、助手席や右側後部座席まで浸水したのだ。神山の麓のタルチェンへ救援を求めていきなり飛び込んだ河水の、骨を刺す寒さ。あの絶体絶命の窮地に追い込まれた日のことは今もはっきりと脳裏に焼き付いている。
 幸い、エンジンが止まらなかったので、アチンさんが全輪駆動に切り換え、ようやく車を河水から動かした。麓の平地に車を停め、水に浸ったものをすべて取り出し、地面に広げて日干しした。ほっとしたが、実に狼狽してしまった。

来古氷河
ヤーロン、来古のなかで最も壮美な氷河 ふと頭を上げたら、雄大な氷河がのしかかるばかりに立ち現われたのには驚いた。くねる龍さながらに奔放に流れる雄姿には、思わず声を上げてしまった。これを詠じるのは吾輩の手に余る。この姿を描けるのは李白か王昌齢しかいないだろう。来古氷河だ!来古氷河はメーシー、ヤーロン、ノォジョー、ドンガ、シュンジャー、ニューマーという六つの氷河の総称であり、目の前にあるのはそのうちのヤーロンで、来古のなかで最も壮美な氷河として知られている。ヤーロンは六六〇〇メートルのカンツェガブの主峰から流れ、周りの山の雪溶け水とともにラウォ湖の主たる水源として、パロン・ツァンポの発祥地になっている。
来古氷河の麓で出会ったチベットの子供たち 人影のない野原に、いつの間にか数人のチベット族の子供が現われた。不思議としか言いようがない。腕白坊主とはにかみ屋の女の子で小学校四、五年生くらいに見える。僕らを珍しそうに取り巻いて、何やら早口に言い合っている。鉛筆やノートを渡したら、大喜びだった。しかし、彼らは学校に行っていない。ここは遠隔地で、学校に行くにも、郷・鎮あるいは県まで出かけなければならない。都会では、彼らと同じ歳ごろの子はすでに「知識」の重荷に押しつぶされ、学業や就職の熾烈な競争にさらされて精魂尽き果てている。出世を期待する教育パパ、ママがお金を工面し、無理をして子供を追い立てて、その結果、生計が圧迫されて苦境に喘いでいるのだ。福か禍か。
 アチンさんは子供たちを連れて遠くの方まで行った。氷河雪山の麓で子供たちは無邪気にはしゃぎまわっている。日が西に傾き沈みかかるころ、乾いた行李を片付けて、子供たちに手を振り振り、来古氷河をあとにしラウォ鎮に向かった。
 ラウォ湖の夜は、静かだった。
 
ラウォの朝
 十九世紀のアメリカ人作家ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(Henry David Thoreau 1817-1862)はその名作『ウォールデン』(Walden)のなかで、「湖は自然の風光のなかでもっとも美しい詩的要素を持つ」と言っている。ラウォ湖はそんな詩的要素だけでなく、静寂の美しさのなかから実に清らかな天籟が聞こえるのだ。秋の朝もやが湖面に立ち込め、逆光のなかに湖心の小島が嵌め込まれたエメラルドのように眩しい。鏡のような湖面に青空白雲や松林翠嶺がたゆたい、驚くべき天地融合の風景を醸し出す。

ラウォ湖の朝、逆光のなかに湖心の小島が嵌め込まれたエメラルドのように眩しい 

 早朝、ラウォ湖畔を訪れたわれわれは、湖の美しさに惚れ惚れと眺め入る。ラウォ湖はチベットでは、マパユム・ツォ(瑪傍雍錯・マナサロワール)、ナム・ツォ(納木錯)ほどに評判は高くないが、そのみやびやかな美しさには魅了される。
 来古氷河には震撼としたが、ラウォ湖もまた忘れ難い。後ろ髪を引かれる思いでラウォ湖に別れを告げ、ポメ(波密)、タンメ(通麦)に向けて出発した。ほどなく、轟々と鳴るパロン・ツァンポに足を引き止められる。河幅はそれほど広くないが、迸(ほとばし)る激しい流れが目の前に現われた時には、あの静かなラウォ湖がこれほど暴れる河を生み出したのかと、その意外さに驚かされる。激流の彼岸の緑に混じって鮮やかに色づいた紅葉が雪山を持ち上げ、その美しさが目に沁みる。

白は至上の色
疾風迅雷の勢いで谷底を突きぬける雪山氷河 パロン・ツァンポに行く道沿いに目や心を楽しませてくれる遠近の風景がいつまでも続く。途中、路傍の堤防に登った。遠くには雪山が銀色に輝き、近くには断崖絶壁が聳え立つ。足下では水が激しく流れている。絶壁の上部には巨石が突き出し、懸棺でも吊るしているようだ。九時三十五分、名も知らぬ山の峠に辿りついた。目の前に現われた両山の間に、雄大な雪山が天に摩(せま)るばかりに屹立し、氷河がいまにも飛び出さんとした狂龍のように、疾風迅雷の勢いで谷底を突きぬける。黒の山肌が雪の白をことさらに際立たせ、陽光が時には雲を突きぬけて雪山の白い肌を撫でる。この景観を目の前にすると、チベットの人々がなぜ白色を崇拝するのか、わかる気がした。聖なる山はみな白の装いである。白は正義、善良、忠誠、純潔を象徴するということなので、チベット族の人たちは聖なる山に畏敬を表わし、友に友情を示すために、決まってカタを捧げる。彼らの意識のなかで、白は間違いなく至上の境界である。チベットの俗諺には、「首が切られても、流れ出るは白い血」とある。白は天に一番近く、それゆえに最高の色である。
 十時二十五分、ゾォンバー兵站(へいたん)に続き八十六番道路修理班を通りかかった。車中では、ジェンズゥーゾォマの華麗な歌声が流れっぱなしである。ジェンズゥーゾォマは雲南シャングリラ出身のチベット族の人気女性歌手で、アチンさんは彼女のファンだ。われわれにもテープを薦めてくれる。歌は時に雪山の頂に届くように高揚し、時に河を流れる水のように古い伝説めいて語りかけてくる。歌に聴きいりながら、窓外の美景を眺めるうちに、玉普郷、松宗鎮が過ぎた。
 緑のトンネルの道の小橋の傍に子供三人を連れた女性がくつろいで立っている。アチンさんが車を停めて話しかける。女性はまだ若いようだが、三人とも彼女の子どもだという。まさかと驚いたが、驚かなくてもいいことに驚くのは、都会で身につけた弊習だろう。彼女の背後にある雄大な氷河群は「ロォジュー」だと教えてくれた。チベットには雪山が数え切れないほどある。雪山があれば神霊があり、氷河があれば生命があるのだ。

ポメ(波密)
 十四時、ポメに辿りついた。「チベットのスイス」と言われるポメは、こんもりとした森に囲まれている。チベット語では「祖先」という意味で、県庁所在地である。町には道が一本しかなくて、一目で全貌が見える。人がほどほどで、繁栄している。道の両側に四、五階建ての旅館や公的機関のオフィスビルがいくつかあるほか、ほとんど二、三階建ての建築である。その多くはレストラン、商店、スーパー、蔵薬(チベット産生薬)の店、工芸品の店、クリーニング屋で、インターネット・カフェもある。贅沢さえ言わなければ、過ごしやすい町である。車は外部からのジープ以外に、バイクが多く、三輪車や自転車も多い。
「チベットのスイス」と呼ばれるポメの町 「雪域美景大酒楼」の前に車を停めた。一般に、チベットの料理屋はどんなちっぽけで狭いところでも、名前だけは大層だ。昨年西チベットのアリを旅した時には、二十平米そこそこの店に、よくも「四川飯店」、「重慶飯店」、「雪域大飯店」、「聖地餐庁」などとすごい名を付けるものだと思った。しかしそんな店はいずれも親近感がもてて、厨房にもあがりこんでコックさんとざっくばらんに話ができるのが大きな楽しみだった。余所の客が少なく、人と話すことがあまりないせいか、コックさんも喜んでいろいろ喋ってくれる。そんなアリの店と比べれば、この「雪域美景大酒楼」は名実ともに立派なもので、二階もあり面積も広く環境も悪くない。そのかわり、厨房に入る気にはならない。

冬虫夏草
 いつの間にか、「小広東」が現われた。ツァカロ(塩井)で知り合った人だが、小柄なので、僕らは勝手に「小広東」と呼んでいる。ぼろぼろの小型車を運転していて、われわれが宿泊地に入ると、いつも突然に現われ、なれなれしく話しかけて取り入ろうとする。建材をやってどんなに財をなしたかなど勝手なほらを吹き、今度はセールス方々遊びに来たなどと、得意そうに言うのが常である。黒ずんだ顔で風采があがらず、いつもスリッパをつっかけて歩いている。とてつもなく大きな話をする彼の傍には、もったいないことに、いつもきれいな若い女性がくっ付いている。ドゥカから一気に駆け上る厳しい道を走った時にアチンさんがまじめ顔で話したことをふと思い出す。川蔵公路(四川―チベット道路)は険しいのに、どうしてそれを恐れずに無謀に挑戦する人がいるのか? 川蔵公路が「情旅」(「情侶」=恋仲同士)の道でもあるからだよ、家族に内緒で愛人を連れた金持ち連中が、けっこうこの人里離れた旅路を選ぶのさ、と。われら三人はお互いに顔を見合わせ、苦笑した。川蔵公路にそんな機能があるとは思いもよらなかった。
 昼食は何を食べたか特に印象がない。メモには食事代―九十二元なり、としか書いていない。しかし、魚があったことは間違いない。そして、魚の頭がアチンさんに独占されたのも間違いない。「小広東」は、彼の顔で、「冬虫夏草」を一本八元という格安の値段で手に入れることができる、と持ちかける。「冬虫夏草」とは、コウモリガの幼虫の頭部に菌が寄生してできるバッカクキン科のきのこで、漢方では昔から不老長寿・強壮、また咳や喀血などの改善を目的として用いられたものである。アチンさんは、一本八元で手に入るようなものはどうしようもない、よいものは一本で二十元くらい、安くても十七、八元はかかると言う。「小広東」は不服らしく、付いてくるようにと言って、強引に蔵薬の店を案内した。店の主人が親切そうに大口のガラス瓶を持ってきたが、アチンさんは頭を横に振って、「だめだ!」ときっぱり断った。もう一軒の店では、「小広東」がすぐ旦那風をふかして、「俺にくれたあの安い値段で売りなさい」という調子。しかし、アチンさんは出されたものを見もせずに、「みんな死んだやつだ。買うもんか」と、さっさと店を出た。確かにモノが黒くて小さく干からびたものばかりだ。「小広東」は、「俺はいっぱい買ったんだ」と青くなってしょんぼりしていた。メンツがつぶれたためか、それ以後ラサに着くまで、「小広東」は姿を見せなかった。人間というのは不思議なもので、会えば嫌いなヤツだと思っても、会えなくなれば気になる。何より彼のほら吹きはさびしい旅路に興を添えるもの。山を愛し美女も愛するには、どのみち度胸が要るのだ。
  本来ならポメに泊まるつもりだったが、アチンさんが急に、「死の道」と呼ばれるタンメあたりはいま交通規制中で、夜七時以後から朝八時までの間だけ通過可能なので、今日のうちにタンメに着かなければ、明日八時までの通過時間に間に合わない、と言いだした。ここは情報がすべて、口から口へという言霊の世界だ、信じないわけにはいかない。一旦足止めを食らったら、えらいことになると考えて、予定を急遽変更してタンメへと急がざるを得なかった。(次回へ続く) 

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