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聖域巡礼 私の目から見るチベット(203号所収)

東チベット〈シャングリラからラサ〉へ行く(三)

李 建華(り けんか)
 

禅文化研究所客員研究員・北京在住


 東チベットの旅の道中にあっても、こちらの遅寝は相変わらぬが、寝坊癖は直さざるを得なかった。朝早く飛び起きて支度にかかり、寝ぼけ眼をこすりながら大急ぎで食事を済ませ、それから大慌てで出発する。なんだか北京よりも忙しい。


峨々たる山々に挟まれ、瀾滄江が眠る蛇のごとく動かない 

 七時半にドゥカをあとにし、急な道を一気に上ると、壮大な宇宙が目の前に広がった。峨々たる山々に挟まれて、その深い渓谷のどん底を巡る瀾滄江が眠る蛇のごとく動かない。断崖絶壁に臨み、山伝いに造られた曲がりくねった道の恐ろしさに、思わず肝を冷やす。その緊張を紛らわすためだろうか、アチンさんはつぶやくように歌を口ずさんでいるが、ハンドルをしっかり握りしめ、前方を睨み据えている。断崖の道端に、時折、白い旗、いや「幡」というべきものが目につく。「白幡の立っているところは車の転落事故があった場所だが、家族がそれを立てて、亡くなった人の冥福を祈るんだ」と、アチンさんがぽつりと言った。こんなところでは、助かるまい。そう聞かされたせいもあって、狭い道に対向車が迫ってくると、息を殺し、足を踏ん張る。断崖から墜落した時の加速過程をイメージする。この心理障害を克服できなければ、「険」(険しさ)に内包される「美」を会得できない。「険」と「美」は表裏一体の関係にあり、「険」に潜む「美」が心を揺さぶり、畏敬の念を抱かせるからこそ、びくびくしながらも、どきどきと胸の高鳴りを抑えきれず、その夢にぐんぐん吸い寄せられていくのだ。

ドゥンダ・ラ(東達山)
 九時五十分、五千メートルを超えるドゥンダ・ラ(東達山)峠に着いた。目の前に青い看板が立ちはだかり、「東達山 海抜五〇〇八メートル」という白字が読める。その下に「艱難をものともせず、流血犠牲を恐れず、四川・チベット道路の天険(天然の要害)を守りとおし、交通鉄軍を鍛えあげる―武装警察交通第四支隊」とある。道路は普通なら道路修理ステーションが保守を行なうが、ここは武装警察交通部隊が担当することからも、その重要性と環境の厳しさがわかる。
 海抜五〇〇八メートル、この標高は今回の道中で一番高い。興奮、欣喜、愉悦、感激……気持ちが昂るが、歓呼や雀躍は禁物。広大にして無辺の碧空に雪山が太陽に照らされてひと際輝き、茫漠とした黄色の大地は限りなく続く。峠の小高い丘にが風になびき、暴れる馬の軍団さながらに戦場を疾走する。アチンさんがドゥンダ・ラにカタを捧げて、びっくりするほど声をはり上げて叫んだ、「ラソソー、ラソソー」(神様が勝利した)。これはアチンさんが遵守する不動の決まり事だ。タルチョが林立する峠に着くと、かならずこの純粋かつ神聖な儀式を繰り返す。神様を祭る太古の韻律がこの蒼茫たる大地と織り交ぜられ、現出するのは「天人合一」の協調性そのものだ。
 下山後、緑がだんだん増してきた。「ほら、鷹だ!」とアチンさんが突然叫ぶ。停車して確かめると、道端に五、六羽の鷹、いや、ハゲワシが路傍に佇んでいる。ハゲワシはこっちを睨み、警戒している。その目には、人類は紛れもなく恐ろしい敵、諸悪の根源だ、とでも映っただろう。エンジンをふかすと、ハゲワシはつばさを広げて飛び立ち、道端近くの岩に気だるそうに停まった。ハゲワシとの出会いはこの後、ワシと野犬「合戦」に展開する導入部でしかないとは知らなかった。

ハゲワシと黒い犬の激戦
 十一時頃、ゾゴン(左貢)を通過。チベット語では「耕牛の背中」という意味の、人口四万人に満たない県である。町はまっすぐの通り一本しかないが、両側に旅館やレストラン、そして雑貨店が軒を並べる。昼御飯にはまだ早いので、素通りした。玉曲河に沿って走り続け、レォダー村を通過して間もなく、三一八国道の三六八〇キロの道路標示が立ったところで、目前の光景に思わず息を呑んだ。
 玉曲河の向こう岸で、死んだ馬を争奪するハゲワシと黒い犬の激戦が繰り広げられているのだ!
ハゲワシ その熾烈な戦いに喫驚した。馬らしい正体不明の動物が一頭、首から上がすでになくなって河畔に胴体を晒したまま倒れ、その周りに十数羽のハゲワシが群がり、その後ろの岩壁になんと百羽とも見えるハゲワシが樹や岩に首をもたげて待機しているではないか。それに対して、犬はたった一匹の孤軍奮迅。黒犬で猛々しい。吠えないが、馬の屍を守り、ハゲワシを近づけない。しかし、ハゲワシは代わる代わる隙を狙って襲いかかりじらす。怒り狂った黒犬は左へ右へとハゲワシを追いはらうのに忙しい。ハゲワシは翼を広げながら急いで逃げ出す。幼い頃の長春の動物園での記憶では、檻のなかに閉じ込められたハゲワシは凶猛で、炯炯(けいけい)たる目が鋭く光り、その目と合うとゾッとするようだったが、ここでは、たった一匹の黒犬に追われて逃げ回っている。なんだか落胆したが、ビデオを撮っているうちに、ファインダから覗く場面にはっとした。ハゲワシは犬に追われて狼狽しているイメージはあるが、その実、従容として慌てず、逃げても余裕綽綽(しゃくしゃく)で落ち着きはらっている。戦術もなかなかうまい。「敵が攻めれば退き、敵が疲弊すればかく乱する」戦術に出ている。「好狗架不住一群狼」(良い犬も狼の群れに勝てず)という俗諺のとおりである。犬は頭がわるいのか。忙しくあっちこっちに追い散らすより、一羽だけを狙って噛み付くまで追い詰め、「殺鶏 初ネ猴」(見せしめに鶏を絞め殺して猿を脅かす)すれば、一発で片付くのに。あるいは、馬から一歩も離れずに「逸を以って労を待」てば、この馬はお前以外に誰のものでもないだろう。バカなもんだ。犬のために疲れを感じ、ハゲワシにはちょっぴり敬服させられた。

ポムダ魚

唇が肥えて玉のように光るポムダ魚 

 ゾゴンからポムダ(邦達)までずっと「幸福路」続きだった。午後一時過ぎ、ポムダにたどり着いた。ここは交通の要地であり、四川・チベット道路の北ルートと南ルートの合流地点である。北はチベットの要衝チャムド(昌都)に通じ、南ルートで西に向かえばニンティー、ラサへ行ける。ここには海抜四千三百メートルの空港がある。世界一海抜の高い空港である。週に一便しかないようだ。よほど余裕のない人でなければここで降りることはないだろう。街角の「川味飯店」に入り、待っている間は手持ち不沙汰だから、厨房に入った。シェフ(親方)は三十代で、一目見れば己の分を守る人間だとすぐわかる。黒っぽい顔をしているが、紫外線に焼けて真っ黒というほどではない。彼が料理するのを見物しながら、よもやま話をした。四川の綿陽から来て七、八年になるが、最初は海抜が高いのになかなか慣れず、冬になると辛かったという。「商売は、まあまあどうにかこうにか、というところです。よくも悪くも四川・チベット道路だから、一年中通行車が絶えないわけで、助かります。ただ、冬は車がめっきり減りトラックだけになって、観光客はほとんどこない分、商売はやりづらくなりますけど」。
 マダムは一見して細心で頭が切れるうえ、口達者である。本当の「親方」は彼女だろう。「こちらのポムダ魚はなかなかの美味ですよ、一つ如何ですか」と聞く。こうなったらお任せというほかはない。ポムダ魚は午前中に通った道沿いを流れる玉曲河の魚だ。どんな魚だろう、好奇心にかられて「川妹子」(四川出身の女性)が持って来たのを見せてもらったら、ビックリ仰天。でっかい、頭が特に大きい。口の位置はほかの魚と違って顎の真下にアングリ、円穴状のそれは首の下にでかい穴が抉られたかのよう。唇がよく肥えてまさに玉のように光っている。
 料理された魚はまもなくスープとなって運ばれてきた。香菜が浮いて爽やかで美味しい。アチンさんはチベット族のくせに、魚には目がない。特に頭が好きだという。当然、このよく肥えて玉のように光る唇のある魚の頭が彼の肴となった。味はどうか、食べていないから分かりようがないが、美味に決まっている。くやしい。

ガマ・ラの峠
 食後、出発。ポムダ兵站を過ぎ、湿原を通り抜けてガマ・ラ(業拉山)を上り続けた。道路はアスファルトでなかなか「幸せ」である。高度が上がるにつれて、眼下の壮大なポムダ草原が一目で見渡せる。途中でチベット族の男性が二輪荷車を引いてゆっくりと上ってくるのに出会った。車に行李を載せているところを見ると、巡礼者だろう。茫々たる平原を一人で歩く彼は、どこから来て、またどこへ行くのだろうか。四十分後、ガマ・ラ峠に着いた。海抜四六一八メートル。積乱雲がもくもくと沸いて山々を覆い、空が青々としてシミ一つない。「怒江山」とも呼ばれるガマ・ラは瀾滄江と怒江(サルウィン川)の分水嶺で、横断(ホンドン)山脈きっての天険でもある。その名を聞いただけで血の気が引くような、恐怖の「怒江山七十二のヘアピンカーブ」はすぐ先だ。この山を越えると、今夜の宿泊先「パシュ(八宿)」である。パシュはチベット語では「勇士山の下の村」という意味だから、この山は「勇士山」とも言うべきだろう。
 五色の綾なすが風にひるがえり、見渡す限り、山々は果てしなく続く。

五体投地を見せてくれたチベットの女性 

 峠でチベット族の女性に出会った。私たちに手を差し出し施しを乞う。風に吹かれ日に焼けた跡が顔に残っている。チャムドから来ているというが、もしかしたら、キャンチャ(五体投地)のために先発したのじゃないか。キャンチャはチベット仏教徒が表わす最高に敬虔な礼拝形式で、現在では親族や友人が先行して宿を探し、炊事などの準備をして巡礼者のために便宜を図ることが許されるようになった。しかし、決まりがある。先行者の役目は着物・食べ物・宿探しだけで、キャンチャを代行してはならない。最後まで巡礼者に伴って礼拝の聖地に向かわせるだけだ。十元わたしたら、それを丁寧に鉄缶に入れた。こちらに可哀想という気持ちはなく、向こうも堂々と金を受け取り、お互いに不自然はなかった。五体投地を見せてもらえないか、とアチンさんに伝えてもらうと、恥ずかしそうにしながらこっくりとうなずいた。まず気をつけの姿勢をとり、胸の前で合掌し、呪文を唱えながら手を頭のてっぺんに持ち上げて一歩進み、再び合掌、さらに一歩進んで、合掌の両手を口元へ、そして胸元まで移し、足を三歩目に踏み出すと、両手が胸から離れて掌を下に向かわせ、うつぶせになって体を投げ出し、頭が地面を叩き、腕を伸ばしきったところで合掌する。姿態がしなやかでなんとも美しい。手や膝に保護用具をつけていないので、繰り返すのはやめてもらった。

怒江山七十二のヘアピンカーブ
聳える巨石が突然眼前に 「幸福路」は三七一二キロの標識石のところで切れ、石ころのでこぼこがあたかもチャレンジの到来を予言するように、道が険しくなった。ちょうどカーブするところに、聳える巨石がいきなり眼前に現われ、アチンさんは慌ててブレーキを踏んだ。巨石は間違いなく山崩れの産物だ。石が落下するところに出くわせば、車はぺちゃんこになるに違いない。幸いに、巨石は都合よく道を半分だけ塞いでいるので、車は巨石と断崖の隙間を縫ってぎりぎり通れた。
 「万歳!」と、ほっと一息ついたのもつかの間、次の瞬間、緊張が体を走った。見下ろせば、怒江が流れる谷底へ真っ逆さまに落ちていくような「怒江山七十二のヘアピンカーブ」がいっぺんに立ち現われた。まさに遊龍巨蟒が山に絡み付いているようなさまにすっかり震撼させられ、その広大な気概に粛然とした。「之」の字に紆余曲折する七十二のヘアピンカーブはまさに「天人合一」の傑作だ。トラックは轟々と重苦しく喘ぎながら登りつづけ、後ろに黄塵が巻き上った。写真を撮ろうと思ったが、全部は収まらない。慨嘆するしかない。
怒江山七十二のヘアピンカーブ 乗車して下山を始める。ヘアピンカーブの一つ一つは生と死を分ける境界である。三千メートルの高度での運転はいかなるミスも許されないので、「鬼門関」と運転手に怖がられている。トラックが一台路傍に傾いたまま止まっている。オーバーロードで車軸が折れてしまったようだ。運転席には誰もいない。救援を求めに出かけているのだろうか。こんなところではどうなるか、心配だ。助手席にいるせいか、神経がピリピリし、曲がるたびに、先方に対向車がないか、ハラハラのしっぱなし。アチンさんには分かっているのに、こちらは、「先方車に気をつけろ」と言わなくてもいいことを口走ってしまう。カーブを無事に通過する度に、心ではアチンさんが祈るときに言う「ラソソー、ラソソー」を繰り返す。七十二のヘアピンカーブというが、いくら数えても尽きないほど多いようであり、その見えない真下には怒江が吼えている。(次回に続く)

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