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聖域巡礼 私の目から見るチベット(196号所収)

西チベット・アリへ行く(1)

李 建華(り けんか)
 

禅文化研究所客員研究員・北京在住

写真・李 叡(り えい)


西チベット・アリ(阿里へのルート)
ラサ(拉薩)を皮切りに、ヤーンパチン(羊八井)、シガツェ(日喀則)、ラズー(拉孜)、ンガムリン(昂仁)、サンサン(桑桑)、サガ(薩暑ャ)、ツォンバー(仲巴)、パルヤン(帞羊)、ホルチュ(霍爾)、マユム・ラ(馬攸木拉)、神の山カン・リンポチェ(岡仁波斉・カイラス)、聖なる湖マパユム・ツォ(瑪傍雍措・マナサロワール)、パルガ(巴暑ャ)、ダルチェン(塔欽)、ムルツェン(門士)、ツァンダ(札達)、グゲ(古格)王国遺跡、センゲ・ツァンポ(獅泉河)、ルトク(日土)、カシミールに隣接するバンゴン・ツォ(班公錯)までと、帰りにサキャ寺(薩迦寺)、聖なる湖ナム・ツォ(納木錯)を加えて、計三五〇〇キロを走破した。



 

ジョカンの前で一心不乱に拝んでいるチベット族の婦人 中国人にとっても、チベットは大変魅力のある秘境だが、距離的に遠く道路事情が悪いため簡単に行けないし、海抜が高いことを恐れてつい行動するのを諦める人が少なくないようだ。特に「世界の屋根の屋根」と呼ばれる西チベット・アリは最辺境地域だけに、容易に辿りつけるものではない。しかし、僕にとっては、雄大な神の山カン・リンポチェの麓やエメラルドグリーンの聖なる湖マパユム・ツォの畔、そして古い歴史を持つシャンシュン(象雄)王国、仏教復興に力を注いだグゲ王国の廃墟と対面することは長い間の夢だった。それは大自然の雄大な気勢だけでなく、独特な人文景観となんともいえない神秘な力に覆われているためだ。その夢を実現するために、二〇〇四年八月に息子の叡とともにアリへの旅を決行した。一路、青い空に銀色に輝く雪の山々、広々とした高原、険しい峡谷、そして数多くの寺院などを、希薄な酸素の毎日に挑みながら満喫した。
 夢が実現できたのにまだ夢うつつのようだ。

北京からラサへ
 八月四日 早起きして北京空港へ向かった。朝に弱いが、アリへの夢がいよいよ現実になると思うと興奮がおさまらない。CA四一一二便は二〇分ほど遅れて九時四〇分に離陸し、一二時頃中継地・成都に着いた。だが、わけも分からないまま三時間ほど空港で待たされた。一五時前後、ようやく搭乗案内のアナウンスが流れ、乗り換えた飛行機はエアバス三二〇になって乗り心地はよかった。
 チベットの大地に足を踏み入れた最初の経験は二〇〇一年八月だった。滞在が四日間しかなかったうえ、ラサとナクチェ(那曲)だけだった。高所順応のための時間的余裕がなかったし、ラサに着いた翌早朝に出発していきなり海抜四八〇〇mもあるナクチェに行かされて頭ががんがん痛かった。高山病がどういうものかよくわかった。翌年八月に、叡も一緒に長野県山遊会田村宣紀さんをはじめチョモラリ清掃トレックのご一行に同行するチャンスが得られ、二週間ほどラサをはじめ、シガツェ、ギャンツェ(江孜)、パーリ(帞里)、ナンカルツェ(浪所ケ子)、ヤムドク・ユムツォ(羊卓雍錯)を駆け回った。この旅でチベットに対する鮮烈な印象が残り、そのすばらしさを味わえて、認識は深められた。「チベットの旅は、常にサバイバルを意識させられるので、こうした中で人間は改めて原点を見つめ、また、強くなれるのです」と田村団長が言う。まったくその通りだ。
飛行機から見た果てしなく続く雪の山々 さて、ラサに向けて飛び立ってから一時間ほどした頃、なんと雄大な眺めが我々を迎えただろう。左の窓から果てしなく続く雪の山々が視界に入り、気持ちが高ぶった。ナムチャバルワ(南迦巴瓦)周辺の山だと思うが、どれがナムチャバルワだろうか、見当がつかない。叡は夢中で写真を撮っている。一七時一〇分、飛行機は峡谷に向けて宇宙ステーションのようなゴンカル(貢暑ャ)空港にバランスよく着陸した。「世界の屋根」チベットに入った!
 タラップから降りればもう富士山頂到着に等しい。真っ青な空に白い雲。思わず深呼吸したら胸が痛い。空気が薄いのだから。チベットにしかない燦燦と降る陽光に当てられると、まさに大気圏をつきぬけているかと思わせられ、サングラスをかけても周りが白く映った。荷物をキャリヤーに載せ、興奮を抑えながらゆっくりと足を運んだ。元中連部時代の旧友で、いまチベット政治協商会議秘書長を務めている張万生さんがまわしてくれた車が空港で待っていてくれホッとした。ゆっくりと流れるヤルツァンポに沿って走り、曲水を通過してラサ市内に入る。「ラサ天苑麗景賓館」につくと、張万生さんと一三年ぶりの再会ができ、嬉しかった。彼は一九九二年に北京からチベットに移り、すでに一二年の歳月が流れた。いまラサは大分近代化され、ほとんど生活に不自由しないが、当時は大変だったといろいろ聞かせてくれた。長い歳月に耐えたつらい思いが言わなくてもよーくわかる。荷物をおろして張さんと出かけ、「清花餃子酒楼」で餃子を食べながら在りし日の思い出話に花を咲かせた。

陽光の城 ラサポタラ宮
 ラサは魅力溢れる高原古城である。宇宙の恵みを受けるこの地は年間日照時間が三千時間以上にも達し、紫外線の照射強度は内陸より二倍を超えるため、通称「日光城」(陽光の城)と呼ばれる。北京と二時間の時差があり、昼間の時間は長い。生活のすべてが頗る緩慢なリズムのなかを流れ、時間は基本的な意味を失い、気にしても始まらない。絢爛たる色彩と眩しい光を受けながらゆっくりと流れる時間に任せればよい。
 ラサはまた千三百年の歴史を有する文化古城である。古称「邏娑」、チベット語では「ラ(Ra)=ヤギ、サ(Sa)=地」という意味だが、伝説によれば、むかしオタン(臥塘)湖だったこの地に、ソンツィン・カムポ(松賛幹布)王とネパール王妃ティツンが嫁いできた唐・文成公主の占いに従って、羅刹女の心臓部にジョカン(大昭寺)を建てた時、羊に土を運ばせて湖を埋めたことから得られた名称だそうだ。九世紀にラサ(「ラ(Lha)=神)」に改め、「聖地」「神の地」という意味を持った。ラサはチベットの政治・経済・文化の中心地であり、現在人口は四十万、その内チベット族は八七パーセントを占めている。二年前と比べると、一段とにぎやかになり、綺麗になった感じがする。
 八月七日まで、高所順応も兼ねてラサに滞在した。雨季のラサは、よく夜に雨が降り、朝に曇り、昼から天気が晴れて白い陽光がまぶしく降り注ぐ。見所の多いラサだが、滞在中にポタラ宮(布達拉宮)、ジョカン寺、デブン寺(哲蚌寺)、ノルプ・リンカ(羅布林所ケ)をまわり、バルコル(八廓街)を散策した。
ポタラ宮の自由市場の風景 ポタン・カルポ(白宮)とポタン・マルポ(紅宮)からなるポタラ宮は世界で海抜の一番高い古代宮殿であり、一九九四年ユネスコ世界遺産に登録されたラサのシンボルであって、来るたびにマルポリの丘に聳え立つ偉容に感嘆させられる。七世紀のソンツィン・カムポ王時代から始まり、本格な建設は十七世紀にダライ・ラマ五世によって完成し現在の規模に至った。いままで二回も内部に入ったので、今回は外部回廊だけ廻ることにした。高い外壁を伝って歩き回ると、人間がいかにも小さく感じさせられる。東側から入り、壁沿いのマニ車をまわしながら歩いた。野菜やリンゴやキノコなどが路地に並べられ、取引している双方が我々には分からないチベット語で値引きのやりとりをしている。突き当たりに大きな自由市場がある。入ってみると、驚くほど広い。飛行機の修理工場を連想させるような高い天井の下に屋台が幾重にもずらりと並び、野菜や果物や水産物や雑貨など、なんでも品揃いしている。チベット族の親友ゲーピンさんのお母様の話では、以前は野菜が肉より高いうえ、入手することは至難だった。いまラサ周辺に温室栽培が沢山でき、外地からの物流も便利になったため、一年中新鮮な野菜に困ることはないという。ただ、二年前に回ったことのある西側の回廊にずらりと並んでいた露店が消えてしまったことはどうにも寂しい。
バルコルで「五体倒地」で進む信者 最も聖なる寺院ジョカンへ行った。六四七年から建てはじめられたジョカンは一三五〇年の歴史を有し、世界遺産に指定されてチベットで現存するもっとも輝かしい吐蕃時期の建築である。ジョウォ・シャガムニ・ラカン(覚康仏殿)がジョカンの主体であり、チベット仏教ではここは宇宙の中心だと思われる。中には生前一二歳の時にベンガルでつくられた釈尊の等身像が祭られている。釈迦像は南北朝時代にインド国王より中国に贈られたもので、唐の太宗が洛陽の白馬寺に祭られたこの国宝を文成公主に賜り、成婚のためチベットに来たときに請来したのである。ほかにゲルク派の始祖ツォンカバの像が祭られるジェリン・ボチェ・ラカン(歓喜堂)など見所が数多い。ジョカンの正門前で香草の煙りにかすむ中、信者たちが全身を投げ出して五体投地を繰り返す風景が目に入る。ジョカンの屋根に聳え立つシンボルの「鹿と法輪」が青空をバックに輝く中、盛装した婦人が一心不乱に拝んでいる姿に目を引かれた。
 ラサの心臓を象徴するように、バルコルは活気に溢れ、無限の楽しさが味わえる巡礼路である。その独特な魔力が法輪常転のようにいつも大きな磁力を発し、その渦間に巻かれて下界の時間や目的や意義などすべてを忘れ去る。マニ車を手にして回しながら歩く信者、異邦の観光客のポケットから何かものをねだる無邪気な子供たち、放浪者、そして道路の両側にずらりと並ぶ商店や露店に溢れる日用雑貨、アクセサリー、仏像・仏具・タンカ・タルチョなどの仏教用品、骨董品、お土産物、野菜果物・牛肉羊肉、取引する者、値引きする者など、生き生きとした生活臭がここに凝縮されており、その雑踏が中原の「清明上河図」を連想させる。ラサに来るたびにかならずバルコルをコルラし(時計回りにまわって)、ショッピングよりその雰囲気を楽しむ。チベット線香を求めたが、二年前北京がSARSで大騒ぎになった頃、我が家では毎日のように線香を焚いて心を落ち着かせたものだ。
デプン寺 タクシーをひろってラサの北西郊外にあるデプン寺へ行った。市内ではタクシー代は距離を問わず一律一〇元だが、デプン寺へは二〇元になる。デプン寺はチベット四大宗派の一つであるゲルク派の三大寺の一つで、一四一六年にツォンカパの弟子文殊法王によって創建され、かつては七千人の僧侶も擁するチベット最大の僧院であったが、いまは五百人前後だそうだ。入場料は四五元。敷地が広く坂道が多い。鮮やかな屋根に白い壁、窓に名も知れぬ花が置かれて実に美しい。彫刻がすばらしい千手千眼観音が置かれた殿堂では、灯明にバターを注ぎ足す信者が後を絶たない。一人の若いラマさんがゆっくりと仏経を唱えているが、紙にびっしり印字してあるチベット語の経文はまさに「天書」のようである。青い空の下で、二人のラマさんが携帯電話を掛けている風景はこっけいだった。もしかしたら、曼荼羅界の神々と話しているのだろうか。
ノルプ・リンカ 森が生い茂るノルプ・リンカはダライラマ八世によって建立されたダライラマの夏の離宮。一九五九年にダライラマ一四世が亡命したのもこの離宮からだそうだ。大木にはさまれる敷石の小道に、木の葉の隙間から陽光が漏れていい心地にさせられた。「新宮」以外の殿堂はほとんど工事中なので中は見られなかった。入場券六〇元も安くなかった。
 二〇〇二年に長野チョモラリトレックとの旅で知り合ったチベット族の青年ゲーサン・ピンツォさん(いつもゲーピンと略称するが)とご家族の方々に大変お世話になった。ゲーピンさんの家はチベット体育総局の中にある宿舎だが、二階建で部屋も広く、ベランダがあって日当たりがよい。門を入ったところの左右に平屋があり、厨房と食堂である。庭に太陽光釜があり、真中にやかんがおかれている。ただで使えるエネルギーはありがたいが、油断してはいけない。太陽が廻るにつれて日当たりの焦点が変わるから、方向調整に注意しないと火事になる恐れがある。なるほど、一利あれば一害ありか。ゲーピンさんご一家の招待でチベット料理のご馳走になった。ヤク肉とジャガイモのカレー煮、羊肉と大根の煮込み、ヤク肉入り赤大根漬物の炒めもの、などであった。お母様は引退したが、以前はチベット登山協会につとめ、七千メートル以上の山は何回も征服した。お姉さんは登山協会国際部につとめ、英語は達者で日本語は独学中だという。奥様はノルウェーでの留学を終えてラサに帰ったばかりである。うらやましい幸せなご一家だ。代用で来た13年モノのトヨタ
 しかし、ラサ滞在中に予約を入れて押さえたアリへの車はこともあろうに、急に香港の客に横取られたという。これには参った。観光シーズンなので車が間に合わないことと、アリへは危険だから運転手が単独で行きたがらないためだという。結局ゲーピンさんの骨折りで、出発ぎりぎりまでにジープをなんとか一台つかまえてくれた。りっぱに見えるトヨタ四五〇〇型だが、走行距離八〇万キロを越えた一三年目のクセモノと、アリへ行く途中、はじめて知らされて呆れた。
 いよいよ明日アリに出発。スーパーへ行ってインスタントラーメン、水、缶詰、果物を買い集め、ついでに薬局で「高原安」「紅景天」(岩弁慶)を手に入れた。夜、アジアカップ・サッカー決勝戦を観戦、日本は三対一で中国チームを下した。残念だが、実力から見てまあ当然の結果だ。(次回につづく)
 
〔西チベット・アリを旅行するための所用のもの〕
高所対応の薬(「高原安」「紅景天」が高山病に効くという)や自分の体調に合わせた常用薬、酸素ボンベ(我慢できる範囲で吸わないようすすめる。さもなければ依存症になりかねない)、寝袋、テント(万が一に備えてテントも持っていたが、実際には使わなかった)、水、懐中電灯、チベット自治区地図、ガウン服、雨具、マスク、電池(温度が低いため余分に用意すること)、チョコレートなど高カロリーの食品。

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